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「もし、そこのお嬢さん。随分と楽しそうですね」
「えっ?」
黒いシルクハットにタキシードにちょび髭。絵に描いたような紳士風の、しかしこんな時間帯にその格好で出歩いているという事実から不審人物感ありありの男性から、声をかけられた。根っからの人見知りである風深は、突然の声掛けに心身揃って卑屈に強張らせる。
「こんな時間にこの街で楽しく過ごせる場所なんて、きっとお嬢さんはご存じないでしょう? どれ、良かったらこの私目がご案内いたしましょう」
「えっ、いや、その」
ぬいぐるみを抱えていなかった右側の手首を強引に掴まれて、引っ張られるままに足を進めてしまう。想像通り、紳士風の男は格好にそぐわない裏路地まで、彼女を連れ込んでいく。
「……っ!」
何かに足を引っかけて、風深は転んだ。普段は大事にしているぬいぐるみも、こうなっては体を庇うために手放すしかなく、前方に吹っ飛んでいく。
男はきょろきょろと周りを見ているが、なぜかすぐ足元にいるはずの風深に気付かない。数分後、ちっと舌打ちを残して大通りへ戻っていった。
「大丈夫か? 手荒なやり方して悪かったけど、こっから先へ入ったらマズいぜ。この街に住んでる女だったらそれくらい知ってるだろ……、って」
路地裏の中は入り組んでいて、更なる横道があり、そこから出てきた少年。白い着物のような服を着ていて、風深は彼の真っ赤な髪に目が釘付けにされる。少年もまた、風深の出で立ちの奇妙さに目を奪われて、動きを止める。
「ここはどこ? あなたは今、何かしたの?」
「ここはルカ大陸の王都フィラディノート。今のは目くらましの魔法で、おまえの存在をさっきの男に認識出来ないようにしたんだ」
少年は風深の落としたぬいぐるみ鞄を取りに行く。背中についた金属製のチャックに興味を引かれたようで、指先でつんつん、その硬さを確かめている。ひとしきり探ってから、風深に返してくれた。
「ありがとう……助けてくれて」
かろうじて、礼だけは伝えたものの。「魔法」っていうことは、ここはヨーロッパじゃなくて、全く未知の世界だったのだと知って、風深は静かに動揺する。
「ようこそいらっしゃいました、異時空のお嬢さん。私はあなたに会える日を心待ちにしていたのですよ」
ぱち、ぱち、と、儚い拍手の音を響かせて。表通りから歩いてきたのは、白金の髪と瞳の色をした男。目を細めて、待ち焦がれていたという風深の姿をうっとりと観賞しているらしい。先ほどの男とは違った意味での不気味さを感じさせられて、風深は身震いする。
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