3人が本棚に入れています
本棚に追加
/44ページ
悪夢の金曜日
「ただいま」
信が帰宅すると、廊下はしんとしていた。
子供達はもう寝てしまっていたのか、すっかり家の中は静まり返っていた。
寝室でスーツだけ脱いでハンガーにかけると部屋を出た。
信は奥にあるリビングからテレビの音が漏れて来るのを耳にしながら、洗面所に向かうと手を洗った。
洗面所で手を洗う時、握られた右手を見ると、彼女の顔が再び蘇ってきた。
ちょっと名残り惜しい気持ちもしたが、丁寧に手を洗った。その後、うがいを数回して乾いたタオルで口と手をしっかり拭いた。
寝室に戻ると、部屋着に着替えた。だが、あのハンカチがまた気になって、スーツのジャケットのポケットから取り出した。
ブランドのロゴがガッツリ入ったそれは赤地のチェック柄で、縁がレースで装飾されており、デザインの一部にも用いられていた。
これはどう考えても信の持ち物には見えなかった。
もし、弥生に見つかってしまったら、怪しまれそうでそれも面倒に思えた。
いや、むしろハンカチぐらい隠す方が逆に怪しまれそうで、洗濯にこのまま出す方がいいような気もする。
でも、困ったことに信が知られたくなかったのは、この持ち主との思い出であって、弥生に聞かれるのはやっぱり嫌かも知れないと思ってしまった。
手にしていたハンカチを少しの間眺めた後、それをスーツの胸ポケットに入れ直すと、寝室を出た。
リビングのドアを開けると、弥生はいつもと同じようにドラマを見ていた。
信はため息をつくと、冷蔵庫を開けた。缶ビールとラップにかけられたおかずを取り出す。
おかずをレンジに入れると温めるボタンを押した。
「おかえり」
漸く信の存在に気付いたのか、弥生から言葉が返って来た。
「ただいま」
信はそっけなく返すと、目の前の食事にありついた。
今日は鶏肉の照り焼きとインゲンの胡麻和え、肉じゃがだった。
ご飯だけはきっちり用意してある。
信は食卓のテーブルから、弥生の方を眺めると、ビールを喉に流し込んだ。
毎日、働いてとりあえずご飯食べて、寝てまた働いて…
ビール飲むくらいが小さな幸せかな
でも、人生ってそれでいいんだろうか?
あまり考えても仕方ない気もするが、時にむくむくと蘇って来る哲学的な問いに、たまに頭を悩ませては、また忘れて生きてる。それが現代人なのかも知れない。
それにしても、割と綺麗な女だったなぁ。
頭痛薬のおかげか、いや、彼女のおかげか、帰宅するまで再びにそれに悩まされることはなかった。
信がさっきの出来事を振り返りながら、夕食を食べていると、珍しく弥生がやって来た。
「なんかいいことでもあったの?」
「別に」
こういうときだけ勘が冴えるのってなんなんだろう?
信には時に妻が不可解に写ることがあった。
いつもなら、あまり声は掛けて来ないのに。
今日に限って声をかけられるのはなんだか気が引けてしまった。
「あのね、こないだ優衣が友達と喧嘩したんだって」
「ふーん」
「信くん、あの子達に興味ある?」
「は?」
「いや、心配にならないのかなって」
「まぁ、子供の喧嘩だよ?そのうち仲直りするんじゃないの?」
弥生は不機嫌そうにもういいと呟くと、リビングに戻って行った。
なんなんだ?一体
信はご飯を食べ終えると、一口お茶を啜った。そして、食べた食器を流しに持っていくと、リビングを出ようとした。
最初のコメントを投稿しよう!