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凪の足は、恐怖でその場から一歩も動けなかった。
以前、クラスメイトたちの顔を黒く染めた“黒面子”という異形の正体を目の当たりにした時に、桜爺からされた忠告を思い出す。
『異形の姿が見えるなら、人の言葉を操る異形には特に気をつけるんじゃな。黒面子なんぞ可愛いもんじゃぞ』
黒面子を含め、凪は今まで人の言葉を喋る異形に出会ったことが無くわからなかったが、騙り隠しを目の前にした今、その意味をようやく理解した。が、すでに遅すぎたのかもしれない……。
逃げるのを諦め、凪は一か八かの勝負を賭ける。腕輪から伸びる糸を必死に手繰り寄せ、風船の結び目を掴んでもう一方の手で簪を振りかぶった。
もはや忌一の姿を保てていない騙り隠しは、凪の行動を目の当たりにし、咄嗟に地を這うような低い声で「よせぇぇ!!!!!」と叫ぶ。
「あなたは、私の好きな忌一さんじゃない!!」
そう叫び返し、凪は思い切り簪を風船へ突き立てた。
パァァァアアアアン!!!
風船の破裂音が轟いた瞬間、一気に会場の喧騒が戻り、人混みの真っただ中に凪は居た。目の前に居たはずの騙り隠しは、もうどこにもいない。
「お嬢ちゃん、ラムネ三つね」
真横から店主の声が聞こえ、こちらにラムネの瓶を三本差し出していた。凪は狐につままれたような心持ちで無意識にそれを受け取ると、オートマチックにラムネ代を支払う。
腕に嵌められていたプラスチックの腕輪も、風船の消滅と共に跡形もなく消えていた。握り締めていたスマホをいじると確かに忌一からの着信があり、自分が折り返した履歴も残っている。そして葵と美月のグループラインには、美月から「席取ったよ」というメッセージが表示されていた。
(元の世界に……戻ったんだ……)
まだ足はガクガクとしていて、全く力が入らない。あのまま偽の忌一に河原の向こうまで連れて行かれていたら、自分はどうなっていたのだろうか。
もしかしてこの会場で神隠しに遭ったとされる被害者二人は、騙り隠しと共にあの異次元空間の川を渡ってしまったのだろうか。
いずれにしても、もう確認する術はない。
未だに大地をしっかりと踏みしめない足をなんとか動かし、凪はなるべく人混みの少ない場所へと移動した。安心したせいか、今になって下駄の鼻緒の摩擦で剝けてしまった足の甲の皮膚のヒリヒリとした痛みを感じる。
眼鏡をかけていたせいで急に戻った人混みの会場には、モノクロの亡者や、奇妙な姿形をした異形をいくつも目撃した。しかしどれを見ても、先ほど追いかけてきた騙り隠しほどの恐怖は感じない。
なるべく何も居ない場所へと移動し、改めて忌一に電話をかけ直す。すると二つ目のコールですぐに繋がった。
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