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『凪ちゃん大丈夫!? もしかして異形に邪魔されたのかと……』
「当たりです。邪魔されたけど、無事戻れました。忌一さんとおじーちゃんのおかげです」
『良かった……。戻れなかったらどうしようかと思ったよ』
電話口から心底身を案じた忌一の声音が聞こえ、凪の心臓は再びトクントクンと忙しなく動き始める。
(私やっぱり、忌一さんのこと……)
異形”騙り隠し”は、風船を渡すことによって凪の精神から情報を盗み、忌一の姿を騙ることで凪を誘惑出来ると判断した。
異形によって明らかにされた欲望は、もはや認めざるを得ないのだと、凪の心臓は語るのだった。
* * * * *
アブラゼミの声が響き渡る平日の昼過ぎ、とあるオートロックマンションの正面玄関前に茜はいた。重いガラス扉を開けると、そこはエントランスになっている。
正面奥には、管理人室の受付窓とマンション内へ入る自動ドアが並んでいた。自動ドアの脇には、各部屋への呼び出しと自動ドアの開錠を兼ねたインターホン機器が佇んでいる。
右側の壁沿いには各部屋のポストコーナーがあり、左側手前はテーブルセットがひとつだけ置かれた待合スペースだ。
その椅子に、つばの広く白い帽子をかぶりサングラスをかけた髪の長い女性が一人座っていた。
「初めまして」
そう言って茜が右手を差し出すと、彼女はその手を握ろうとはせずに、
「あら、初めてじゃないけど?」
と言って、立ち上がりながらサングラスを少しズラして見せた。
(この人……)
帽子とサングラスを外した彼女を見て、茜はハッと息を飲む。なぜなら、彼女には一度会ったことがあるからだ。それも忌一の家の近所のカフェで、忌一とお茶をしていた女性に間違いない。
その時と服装は違うが、今回は黒地に大きな白のドット柄のノースリーブシャツと、真っ赤なスキニーパンツに黒いリボンの付いた白いパンプスを履いており、自信漲るキャリアウーマンという印象は、第一印象とほぼ変わらなかった。
「この前はあまりお話出来なかったから、ちゃんと話してみたかったのよね」
そう言って彼女は、真っ赤な紅を塗った口元を綻ばせる。
(こっちは別に話すことなんか無いんだけど)
という心の内はおくびにも出さず、自分がこれから紹介する部屋のある八階へと先導しつつ、彼女の自己紹介に耳を傾けた。
彼女の名前は大島史佳と言い、小咲不動産の取引先の一つである中規模企業の建設会社で現場主任を任されていた。年齢は二十九歳で、忌一より一つ上だ。
「忌一君と出会ったのは、うちの会社が建設を請け負っていたビルの交通誘導員として彼が配属されてきた時なの」
訊いてもいないのに、史佳はペラペラと続ける。
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