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忌一が担当した交通誘導の仕事は、不運な事故が重なり担当者が何人も入れ変わっていたが、最終的に忌一だけが真面目に最後まで続けていたこと、そんな彼と現場で挨拶を交わす度に打ち解けていったこと、そして茜と遭遇したあの日は、偶然忌一の落とし物を拾い、家まで届けに行ったのだと。
(え……。じゃああれは、デートじゃなかったの?)
二人きりでカフェに居たのはてっきりデートだと思い込み、自分の誘いは断って史佳からの誘いは断らないのだと、忌一を一方的に責めたことを後悔した。だがすぐに、その時忌一がハッキリと口にした、
『いいえ。茜は父親同士が兄弟というだけの、ただの従妹です。それ以上でも以下でもありません』
という言葉を思い出し、生まれたての罪悪感は塵と化す。そんな茜の百面相を、史佳は興味深そうに瞳の端で観察していた。
エレベーターが八階へ到着すると、真っすぐに伸びる廊下沿いに部屋の数だけ扉が並んでいた。このマンションは、ワンフロアに十世帯が住める十五階建てのファミリー向け物件だ。
八〇六号室の前に立つと、茜は無言で扉の鍵を開ける。がらんどうの室内はあまり埃を被っておらずに綺麗だ。このマンションはまだ築年数が五年に満たず、この部屋に住んでいたのも一世帯だけで、それも三ヶ月前に退居したばかりだった。
内見用に使うスリッパを玄関に並べると、茜は「どうぞ」と言って史佳を室内へ促す。
部屋によって配置は違えど、このマンションは全室3LDKだ。八〇六号室は細長い長方形で、玄関から真っ直ぐに伸びる廊下の両側に各部屋が並んでいる。
右手には三つの部屋、左手には風呂場と洗面所とトイレ、そしてキッチンが並んでいる。廊下の正面つきあたりはリビングダイニングになっていて、ダイニングからはカウンター越しにキッチンが見えた。
リビングの最奥には大きな窓が並んでおり、外はベランダになっている。ひと通り部屋を覗いた史佳はそのベランダへ降り、八階からの景色を望みながら、
「やっぱり素敵な部屋ね。松原さんに頼んで間違いなかった」
と、心底呟いた。
史佳が茜のことを知ったのは、「怪奇案件を解決してくれる不動産屋がある」という噂を耳にしたからだという。
それが茜の勤める小咲不動産だったわけだが、それと同時に松原という若い女性従業員の伝手で、その筋に詳しい人間が怪奇案件を解決してくれるらしいという話も、業界内でまことしやかに浸透していた。
そして先日忌一が茜のことを“従妹”だと言っていたので、史佳はもしやと思ったのだと。
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