世界の真逆で、君をおもう

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世界の真逆で、君をおもう

震える指で星の間を縫ったステッチは、見えないオリオン座を結んだ。その指と吐き出される息は白い。蓄光したみたいにぼんやり光りながら、夜に存在していた。 君も私も見えない。まるで始めから居なかったみたいに。辛うじて形を持つのは、何かを探ろうと躍起になる、君の震える指だけだ。 「このまま夏の星座まで辿るよ。だから」 少年は怯えているようだった。かちかちと歯が鳴る音が、耳鳴りと一緒に風に乗る。寒さからくるものなのか。彼の内側からくるものなのか。私にも彼にも、分かる術はなかった。 「だから」 「それまで、傍にいて」 願望ではない。懇願でもない。おそらく絶望と呼ばれる類の言葉だった。声に出した所で叶うはずがないと互いが確信している。ただ、それでも口にすることを選んだ彼とそうしなかった私の間には、一体どんな違いがあるのだろう。一体いつ間違えてしまったのだろう。いまさら覆しようのない欠陥が私たちの間に横たわっているのは明らかだった。私たちは、それが何かを知らない。 私たちが始めて言葉を交わした瞬間を見ていたのは、オリオン、貴方だった。星座の読み方を教えてくれと言った淋しがりの少年と、別にいいよと言った卑屈な私。 私たちは始めから願いなんて口にしないで、いつ消えてしまうかも分からないような光点を指差して、黒い空だけを見ていた、毎日。一度だってそれぞれ相手を見つめたことはなかった。そのままゆっくり夜を数えた私たち。確かに隣にいて、同じ方向に、立ち尽くしていたのだ、あの時。 いつ背中合わせになってしまったのかだって、もう見当さえつかない。 悲しいと思う心が、唇を乗り越えることは無かった。私はなにも、変われなかったのだ。 私たちの真上にいたオリオンは飲まれるようにして、西の黒いビル群に消えていった。そんな風にして、この取るに足りない夜の一部など御構い無しに、世界は巡る。 愛おしい時間たちだった。寒さと闇と小さな光と、其処にあったのはそれだけだった。でも闇の中で確かに、君の声が降り注いでいたのだ。私は、その声が、君が、 「オリオンがどうして沈むのかを、知ってる?」 君の声が響いてさえいれば、何時だって私はとても満ち足りた気持ちになった。けれど私は口にする。大嫌いな自分の声で、心地の良い夜を裂いて、それでも君に伝えるために。 「オリオンを殺したスコーピオンが、彼を追って東から登ってくるからだ」 君の星座の輪郭をなぞる指が止まる。同じ夜空に、彼らが同時に輝くことはない。今までも、これからも、ずっと。 「もう一度殺されることが、彼は恐ろしい。だからこそこそと、西へ逃げて行くんだよ」 ねえ、まるで私たちみたいじゃないか。 夜にしか生きれない彼ら。夜にしか会えなかった私たち。空の両極にいた彼ら。一度だって触れ合わなかった、私たち。 きっと解り合えないことを、始めから知っていた私たち。それでも気付かないふりをして、夜を共有した私たち。 私は殺されたオリオンだ。君は空を昇るスコーピオンだ。私は、君が怖い。 居なくなってしまうんでしょう? 「君が追ってくれたから、私の夜はとても、心地良かった」 消えてしまうんでしょう? 「始まってしまったから、いつか終わってしまうってことも」 もう君と、会えないんでしょう? 「ずっと、分かってたの」 さようなら。そんな言葉は大嫌いだった。だからまた私は卑屈さを言葉にして、優しい君に託す。 いかないで。 「だって君は、とても、太陽が似合う」 「きっと、明るい世界で生きるべき人だ」 卑屈な私を許して欲しい。 君が泣いてくれたことを、幸せに思う私を許して欲しい。 視界の端で、空が白む。朝が来てしまう。 君がいた夜は、私の全てだった。 まるで幻だったようにあの夜たちは明けた。まるで夢だったように君は居なくなった。 星が繋いだ恋だった。朝がくれば、其れらと一緒に消えてしまう幸せだった。 リフレインするのはどうしたって、君の声だ。私たちの距離をなぞる、あの指だ。 失ったのは、夜か、朝か、君か、自分か。私は相変わらず、なにも分からずに居る。だからこうして、星のしたでひとり、私は立ち尽くすのだろう。 一度だって、言えなかった。夜の片隅で、私を見つけてくれた君に。 夜を壊すまいと心を削り続けた、暖かくて輝く太陽のような君が、とても、とても、とても、 大好きだったのです。
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