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逃げなければと思うのに、足が動かない。足はびくともしないのに心臓はひっくり返りそうなほど脈を打っている。
その時、また雲が満月を覆った。
狼男が空を見上げる。
そして、アニエを見る。
狼男が唸った。
近づいてくる。
アニエは自分が魔法使いであることを思い出して両手をかかげた。ところが、まるで魔法の記憶だけがすっぽりと抜け落ちてしまったかのように何の呪文も思い浮かばなかった。魔法が使えない魔法使いとは、なんて無力だろう……!
まず心を整えなければ、と思うのに、それを意識すればするほど心臓の音が大きく響いて恐怖が増した。
――助けて。
アニエの声に応えるかのように、再び満月が顔を出しはじめる。また狼男は空を見上げる。彼は忌々しいものでも見るかのように、月をにらみつけた。
その時、一つの言葉だけが頭に浮かんだ。
狼男がこちらを向く。
アニエは再び両腕をあげ、手のひらを夜空に向ける。そして、
「ルヴェス・ベラ!」
と叫んだ。
ぱっと雲が散った。
満月がまるで太陽のように光り輝き、あたり一面真っ白な光で包まれる。
狼男は目を覆っている。
しかし、不思議なことにアニエはちっともまぶしくなかった。それどころか、先ほどまで恐怖で固まっていた足が羽のように軽くなっていた。
アニエは振り返り、森の外まで飛ぶように走っていった。馬に飛び乗り、森を離れる。しばらく走ってから後ろを振り返ったが、モリスの森は静かな暗闇に包まれていた。
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