プロローグ

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 耳をつんざく蝉の合唱が暑さを募らせる。帰省していた俺はいっそ昼間っからビールでも飲んじまうかと実家の冷蔵庫を物色していた。居間からは嬉しそうにはしゃぐ娘の声が聞こえてくる。 「ねぇ見て見て! 美里(みさと)おばさんの似顔絵だよ」  どうやら姉の絵を描いたらしい。最近娘は似顔絵を描くのにはまっている。 「まぁありがとう。真奈美(まなみ)ちゃんが描いてくれたの? 上手に描けたわねぇ」 「うん、真奈美ね、昔からお絵描き得意なの」  ビール片手に居間を覗くと小学三年生になった真奈美が少し大人びた表情を浮かべて笑っていた。 「そうだね。それにしてもこの絵はいいわ。絵の才能あるんじゃない? 和也(かずや)とは大違い。あいつの描く絵はほんっとひどかったもん」  さりげなく俺をディスるんじゃねぇよ、と思いつつ聞き耳を立てる。 「そうなの? お父さんはお絵描きヘタクソだったの?」 「うんうん、誰を描いても宇宙人にしか見えなかったもん」  大声で笑う二人に、堪らず「ちょっと待て!」と声をかけた。 「あ、和也いたんだ」  姉がクスクス笑いながら俺の顔を見る。 「あのな、確かに俺も絵は苦手だったけど姉貴の方がひどかったじゃねぇか。好きな動物を描くって宿題で描いてたの、あれ豚にしか見えなかったけど猫だったんだよな?」  途端に顔を真っ赤にして「猫にしか見えなかったでしょ!」と怒る姉を無視して真奈美に向かって手を差し出した。 「どれ、真奈美、見せてごらん」  真奈美は嬉しそうにスケッチブックを差し出す。俺は真奈美の描いた絵を見て感心した。確かに上手に描けている。 「おお、確かにこりゃ上手に描けてるなぁ。でもな、真奈美、気をつかうことはないんだぞ?」 「気をつかう?」  鸚鵡返しに尋ねる真奈美に向かい俺は大きく頷いた。 「そうだ、皺があるところはしっかりと皺をだな……いてて」  姉からの容赦ないローキックに顔を顰める。 「うるさいわね、そりゃ皺ぐらいできますよ。私ももう四十五歳ですからね」 「四捨五入すると五十歳かぁ」  またしても余分なことを言ってしまった。今度は平手で背中をバシンと殴られる。 「年齢は四捨五入なんてしませんっ。だいたいあんたも来年四十歳でしょうが。ちょっとは大人になんなさい」 「痛いなぁ。まったく昔っから乱暴者なんだから」 「よく言うわよ、こっちに来てからいじめられてたあんたをいつも慰めてやってたこの優しいお姉様に向って」 「はぁ? 何が慰めてただよ。面白がってただけじゃねぇか」 「お父さんいじめられてたの?」  心配そうに俺の顔を覗き込む真奈美に慌てて首を横に振る。 「そんなんじゃないよ。お父さん、小学生の時に転校して慣れるまでちょっと時間がかかったんだ。そんだけ」
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