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アンジェリカの夢
2年前のこと。
デイヴィス家ではひと月後のパーティードレスに頭を悩ませるアンジェリカの姿があった。
『いかがでしょうか、アンジェリカお嬢様』
母親の店で働くお針子が仮縫いのドレスを身にまとったアンジェリカに問う。
アンジェリカは大きな3面鏡の前でくるくると回っていろんな角度から何度も姿を確認していたが、2分ほどそうしてから首を振った。
『前回のパーティーも似たようなデザインだったし、なんだか面白みがないわね』
鏡の中の自分の姿を見るアンジェリカの目は真剣だ。
はっきりと言われることに慣れている針子は、ふむとその姿を見て考える。
『ではどうしましょうか。装飾を足しますか?』
『いえ、装飾を変えるわ』
アンジェリカが着ているのはたっぷりと広がりのある深みのある赤いドレスだ。
次のパーティーは婚約者を決める重要なパーティーだ。それなのにこれまでの装いと似たようなものは着ていけない。今のデザインだって、半年前の流行りのものだ。
けれどもあまりにも今の流行りから離れてはいけない。貴族は大きな変化を嫌うものだ。
裾を持ち上げてみたり抑えてみたりしつつ、どうすれば新鮮さがありつつ周囲に受け入れられるようなドレスになるかを考える。
『刺繍の入った布を上に重ねましょう。一緒にお母様のお店に行くから生地を見せてちょうだい』
『畏まりました』
『ねぇミレーネ』
テキパキと片付けを始めようとした針子を呼び止めると、アンジェリカは遠慮がちに微笑んだ。
『ほとんどデザインが決まったところで違う注文をしてごめんなさいね。でも、エリック様の婚約者候補としても、お母様の娘としても、ドレスに妥協はできないわ。大変な思いをさせると思うけど協力してちょうだいね』
『なにを仰います。わたくし達針子の仕事は、依頼者の満足のいく洋服を仕立てることです。それに、アンジェリカお嬢様は大事な広告塔ですから。アンジェリカお嬢様が目立てば目立つほど、店も繁盛致します。それにまだ時間もありますし、すぐに取り掛かれば問題ありませんよ』
アンジェリカはことドレスに関しては厳しいが、無理な要求をしたことはない。
むしろ母親譲りの感性を発揮し、斬新かつ洗練されたデザインを思いつくなど、針子達の創作技術向上と創作意欲の火付け役になるほどだ。
『いつもありがとう、ミレーネ。じゃあ、はやくお店に行く支度をしましょう』
貴族だろうが平民出の職人だろうがアンジェリカの態度はほとんど変わらない。
貴族は取引や情報をくれる大事な相手。平民は労働をし税を納めてくれる大事な存在。
どちらもアンジェリカが満足に生きるためには必要不可欠なものだ。
なのでパーティーはできる限り参加をするし、慈善活動にも力を入れる。
すべては自分の人生を思いどおりに過ごすため。幸い、自分にはそれを成し遂げるだけの知性も財力も権力もある。恵まれた容姿もあり、環境も良い。
アンジェリカの夢は、自分の力で世界を華やかにすることだ。
アンジェリカは華やかなものが好きだ。綺麗なものに囲まれて、みんなが笑っていて、楽しそうで。
みんなが幸せで心にゆとりがあれば、大きな争いは起こらないはず。平和のなかで豊かさを育み、経済を回すのだ。
ドレスのデザインにこだわるのも、素敵な服を身につければ気分が高揚して心のゆとりに繋がるからだ。
母親の服飾店では大勢の針子を抱えている。服飾専門学校をつくるという夢もあり、その際の教員の育成を今から始めているのだ。
将来は、平民の服装も良くしていきたい。平民は貴族のようにデザインの違う服はほとんど持っていない。毎日似たような服装だ。それでは心にゆとりは生まれない。
やりたいことがたくさんあるわ。
そのためにも、わたくしは必ず婚約者になるのよ。
王族に仲間入りすれば、出来ることは格段に増える。商談も今よりもさらに優位に立って進められるだろう。
平民が豊かになれば貴族も潤う。平民の幸せは貴族の幸せだ。
アンジェリカは、自らの夢が世界の幸せに繋がると信じて疑わなかった。
けれど、その幸せは叶うことはなかった。
崩壊の始まりは一通の手紙からだった。
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