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交錯する思い
「3週間後にうちの最高司祭が帰国する。きみのお披露目はそれからだ。それまではゆっくり過ごしていればいい」
立ち上がったエリックはアンジェリカの背後に立ち、テーブルに片手をついてアンジェリカの耳元に顔を寄せた。
「焼印が消えた暁にはお祝いをしよう。きみにプレゼントを用意しているんだ」
睦言を囁くような声に反射的に体が逃げ出そうとしたが、その肩をエリックが押さえつける。
「ここでのことや私のことをどう思おうがきみの勝手だけれどね、自分の立場を忘れてはいけないよ」
クスリと笑ってエリックはその場を離れた。
去り際に、庭園から見える廊下の柱のあたりに視線をやると、さっと人影が隠れるのが見えた。
それを見て満足気に口元を釣り上げる。その柱の影に隠れたのはモーリーンだ。
鉢合わせないようにそちらとは逆の方へ歩いて行くエリックに、気がつかれていたことを知らないモーリーンは詰めていた息を吐き出した。
モーリーンは2人が向かい合って話をするのを遠くから眺めていた。
2年ぶりに見るアンジェリカは、どんな目に遭ってきたのかは知らないけれど、以前までの眩いばかりの華やかさはなくなっていた。
そのかわりに貫禄と落ち着きがあり、無表情がゆえに精巧に作られたビスクドールのような、どこか人間離れした儚げな美しさを感じさせる。
「……死んでいれば良かったのに」
アンジェリカに親しげに身を寄せ、なにかを語りかけていたエリック。表情までは見えなかったが、モーリーンはあれほどまでにエリックに身を寄せられたことはない。
やっぱり、あの子は特別なのね。
痛みを伴ってざわつく胸をギュッと抑える。
モーリーンにとってエリックは憧れだった。
華やかな容姿、優しい笑顔、落ち着きのある声。全てが愛おしい。
『モーリーン、きみはそのままで十分美しいよ』
4年前、あるパーティーで、社交界デビューを果たしたばかりのアンジェリカが周囲の興味を攫っていくのを見ていたくなくて、こっそり噴水のある広い庭園へと抜け出したことがあった。
そのとき、エリックはあとを追いかけてきてくれたのだ。
『だから逃げ出すことなんてないんだ。堂々としていればいい』
『ありがとうございます……。それよりもエリック殿下、わたくしは大丈夫ですので、どうかお戻りになってくださいませ。みんなが寂しがりますわ』
なにに落ち込んでいるのか、エリックは言わなくてもわかっているようだった。
アンジェリカに対して劣等感を抱いていることは誰にも悟られたくなかったのに。なぜわかったのか。
社交辞令だと思いとりあえずの笑顔を返すと、ふと真剣な目つきになったエリックにどきりとした。
『きみの思慮深さや奥ゆかしさを私はとても好ましく思っている。きみほど公爵家にふさわしい令嬢はいないよ。どうか、自信をもって』
そう言って、エリックはモーリーンに手をさしだした。
『夜は冷える。一緒に戻ろう』
このとき、どれだけ他人の存在がありがたかったか。
どれほどこの言葉がモーリーンの胸に染み渡ったことか。
幼い頃から憧れていたエリックにそのような言葉をかけられるとは夢にも思っていなかった。
この人なら、今のままのわたくしを見てくれる。わたくしの努力を正しく評価してくれる。
そう確信したのだ。
なのに。
なのにあの女は。
他の男に色目を使いながらもエリック様を奪おうとした。
モーリーンは見ていたのだ。
ちょうどこの庭園で、アンジェリカが社交界デビューを果たしてまもなく、サンプトゥン国へと訪れたエリックと仲良く話をしているところを。
遠目からだったが、父親の付き添いで王城に訪れていたモーリーンは、庭園でテーブルを囲んでいる2人の姿を見た。
その数日後に催されたパーティーでも、2人が仲良く談笑している姿を目撃している。
汚らわしい。
婚約者候補であるのなら、他の男を寄せつけないよう振る舞うべきなのではないか。
そんなことをしていながら、エリックに肩を抱かれて婚約者候補だと紹介されるアンジェリカが許せなかった。
こんな女、エリック様には相応しくない。
だからモーリーンはアンジェリカを排除することを決めたのだ。
ゆっくりしていられるのも今のうちよ。
椅子に座ったまま動かないアンジェリカの背を睨みつけ、モーリーンはエリックのあとを追いかけるべくその場を離れた。
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