舞雪

5/5
前へ
/297ページ
次へ
「だが、わらわは一言告げておきたくての。霧夜、おぬしが何者であろうと言っておかねばならぬことがある。特にわらわの素性を把握しているようであれば、尚更に」 「…何でありましょうか」 一拍の間があった。 静かな間であった。 薄く可憐な唇が開いた。微かに震えを帯びた、祈るような声であった。 「わらわは、おぬしのこの逗留が、本当に良いものになるよう願っておる…。そのためには、―――本来このようなことは御法度なのは承知の上で、神たるわらわが力を尽くすことも、やぶさかではないほどにな。だからこそ、わらわも、こうやって客として逗留の算段を取った…」 「何の義理で…?」 霧夜はそこで口を開いた。正直予想外の言葉であったからであった。―――この神様は、正確なことは知らぬにせよ、俺が剣呑なことを考えていることくらい、恐らく悟っているだろう。 それにも関わらずこの言葉。 舞雪は微笑んだ。 泣きそうな微笑みが、―――こんな状況なのに、何よりも美しいと、音無霧夜は思ってしまった。 その時の彼女の表情が、―――ずっと忘れられないものになるなんて、霧夜は思ってもいなかった。 「…霧夜。おぬしが、この三郷温泉郷、最後の客であるからに、他ならないからであろう…?」 美しい絶句を部屋に満たして、神様は微笑んでいた。
/297ページ

最初のコメントを投稿しよう!

48人が本棚に入れています
本棚に追加