ー序Ⅱー

3/5
43人が本棚に入れています
本棚に追加
/297ページ
エレベーターに乗り込んで、霧夜の部屋は二階の隅だった。 少女は鍵を回す。今時珍しい大仰なアクリルキーホルダーのついた鍵である。霧夜はそれをやはりただ無為に眺めていた。 部屋は平凡な八畳間で、少し古い以外は霧夜にとって何ら不満のある設備ではなかった。障子窓を開けると、先ほど歩いてきた温泉宿の通りにすぐに面した景色だったが、眺望が良いかというと、そうでもない。 正座して「御部屋の説明をさせて頂きますね!」という少女に霧夜は黒い瞳を向けた。 少女は色白だが勝気な表情であった。慣れた様子で、立て板に水のような設備説明。霧夜はそれを半分聞き流していた。 自分の接客に自信があるのか、それとも自らの勤め先に誇りを持っているのか―――少女の説明は軽やかでご機嫌であるようにも見えた。 「―――以上で設備の説明は終わりなのですが、御朝食の時間は何時からになさいますか?」 「とりあえず、7時30分で」 「かしこまりましたー♪あと、当館の温泉大浴場は少し手早くて10時には仕舞ってしまいますので、お早目のご入浴をお願い頂ければと思います」 最後に付け加えられた言葉。少女の瞳が少し陰ったように見えた。それは気のせいだったのだろうかと思う。 「それではごゆっくりお過ごしください」と口上を終わる少女を、霧夜は最後に引き留めた。 首を傾げた少女に、霧夜は問いかける。 「お名前だけお伺いしても?」 「白神―――白神柚希(しらかみゆずき)と申します♪ここの女将の娘であります、お困りの時はお声かけください♪内線は1ですので!」 ―――やはりそうだったか。 貴女に逢いに来たのだ、という言葉を霧夜は胸の奥底に飲み込んで―――だが数秒の空白は、少女、柚希が腰を上げて立ち去るのには十分な時間だった。
/297ページ

最初のコメントを投稿しよう!