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エレベーターに乗り込んで、霧夜の部屋は二階の隅だった。
少女は鍵を回す。今時珍しい大仰なアクリルキーホルダーのついた鍵である。霧夜はそれをやはりただ無為に眺めていた。
部屋は平凡な八畳間で、少し古い以外は霧夜にとって何ら不満のある設備ではなかった。障子窓を開けると、先ほど歩いてきた温泉宿の通りにすぐに面した景色だったが、眺望が良いかというと、そうでもない。
正座して「御部屋の説明をさせて頂きますね!」という少女に霧夜は黒い瞳を向けた。
少女は色白だが勝気な表情であった。慣れた様子で、立て板に水のような設備説明。霧夜はそれを半分聞き流していた。
自分の接客に自信があるのか、それとも自らの勤め先に誇りを持っているのか―――少女の説明は軽やかでご機嫌であるようにも見えた。
「―――以上で設備の説明は終わりなのですが、御朝食の時間は何時からになさいますか?」
「とりあえず、7時30分で」
「かしこまりましたー♪あと、当館の温泉大浴場は少し手早くて10時には仕舞ってしまいますので、お早目のご入浴をお願い頂ければと思います」
最後に付け加えられた言葉。少女の瞳が少し陰ったように見えた。それは気のせいだったのだろうかと思う。
「それではごゆっくりお過ごしください」と口上を終わる少女を、霧夜は最後に引き留めた。
首を傾げた少女に、霧夜は問いかける。
「お名前だけお伺いしても?」
「白神―――白神柚希と申します♪ここの女将の娘であります、お困りの時はお声かけください♪内線は1ですので!」
―――やはりそうだったか。
貴女に逢いに来たのだ、という言葉を霧夜は胸の奥底に飲み込んで―――だが数秒の空白は、少女、柚希が腰を上げて立ち去るのには十分な時間だった。
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