桜のように………

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「夢原さん、貴方が生きれるのは後一ヶ月です。」 その日、私は余命宣告を受けた。  私の生まれは、他の人よりも裕福な家庭だった。しかし、私は生まれつきの病弱な身体をしていた。外で遊ぶことは、当然の事ながらなかった。………一度、好奇心に負け外へ出たことがあった。けれど、数十歩歩いたところで倒れてしまった。  気がつくと、私は病院にいた。両親たちからは物凄く怒られた。私もこの件で自分の病弱さを思い知ったのでそれ以降は大人しくしていた。けれど、退屈だった。家から出ることが叶わない私は、窓から見える景色しか外を知らなかった。両親は二人とも働いていて家にいることはほぼなかった。だから、家事とかをしてくれるお手伝いさんしか、話し相手がいなかったからというのもあるかもしれない。  けれど、その年から退屈はしなくなった。妹が生まれたのだ。その時、私は10歳だった。私は妹の世話をした。毎日毎日。おむつを取り換え、食事をあげて、時には遊んだりもした。無理をすれば倒れると知っていたから少しだけだったけど、とても充実していた日々だった。  でも………、妹が生まれてから数年が経つと、私はまた退屈な日々に戻った。妹は保育園に通っていた。だから、夕方までは帰ってこなかった。私はこれほど、病弱な身体を恨んだことはなかった。けれど、昔と比べたらほんの少しだけ丈夫になっていた。私は妹と遊べることを考えた。すると、その時間だけは退屈じゃなくなった。けど、まだ何かが物足りなかった。その何かはわからなかった。私は諦めることにした。  妹が小学校に通い始めた。それと同時に私は寝込むようになった。一緒の両親から産まれたのに、何故こうも違うのだろう。そう思うようになると、私は自分が汚れてしまったように感じた。妹は毎日、学校であったことを私に話してくれる。その話を聞くたびに私は嬉しく思うのと同時に、自分の中に醜い感情が湧き上がるのを感じた。それは、ある一種の嫉妬だったのかもしれない。自分とは違って、外を出歩ける彼女が羨ましかったのかもしれない。それは、今になってもわからないままだ。  その年、私は手術を受けることになる。  私は窓から見える景色をボーと眺めていた。入院してから一週間が経つが、未だに両親はお見舞いにこなかった。来るのは妹ただ一人。何で薄情な親だろう。私はそう思った。そう思っていると、医者が来た。何やら深刻そうな顔をしている。 「夢原さん、明後日にでも手術をしましょう。」 …私は癌だった。癌と言っても、小さいものらしいから手術すれば治るらしい。両親たちが来ないまま手術の日がやって来た。 「お姉ちゃん、大丈夫だよ。」 妹が来てくれた。この子は良い子に育ったと私は思っている。少なくともあの両親から産まれたにしては、優しい子だった。  私の手術は成功した。手術してから、一ヶ月後、私は無事に退院した。しかし、部屋で寝たきりの生活になった。食事は妹が自ら持って来てくれた。自分で作ったらしい。味は微妙だったが、愛情がこもってるご飯だと思った。  それから、数年がたち私は15歳になった。正直、この年まで生きれたことが信じられない。私の身体は以前のようにはいかなかったが、家の中くらいは自由に歩けるようになった。これは、嬉しい進歩と言っていい。私は体力をつけるために、毎日家の中を歩いた。動ける時に動いたほうがいい。そう思ったからだ。しかし、歩くというのは思ったよりも疲れるらしい。歩いた後は死んだように眠るようになった。その状態になると妹の呼びかけにも応じないことから、色々と心配させてしまったらしい。目覚めると涙目になってる妹がいた。私は、それ以来歩くことを控えた。でも、そうするとする事が何一つとしてない。私の日常はまた、窓を眺める日々に戻った。  そして、一ヶ月くらいが過ぎたとある日、妹が車椅子を持って来た。 「はい、これ。お誕生日プレゼント。足を使わないから、楽になるんじゃないかな。」 くれたのは、如何にも高そうなものだった。聞くと、アルバイトをして貯めたお金で買ったらしい。私は何も返す事ができないのに、何故こうも尽くしてくれるのか。 「私はお姉ちゃんが生きてくれればいいよ。」 そう聞くと、欲しいような欲しくないような答えが返って来た。妹がそう思ってくれるのは素直に嬉しいが、何だか妹を私に(しば)り付けているようで、複雑な気分だった。それでも、心の奥深くではずっと側にいて欲しい。そう思っている事が嫌だった。妹のことを思うなら自由にさせておくべきなのに……。  次の日から車椅子で移動する練習を始めた。簡単だと思っていたが、間違いだったらしい。幸いなことに家にはエレベーターがついていたので、階を行き行きするのは困らなかったが、ちょっとした段差でも躓くことが大変だった。妹が買って来てくれたのは自動だったため、体力を使うこともなく移動できた。これはありがたかった。お陰で眠る事が少なくなったからだ。しかし、ずっと同じ姿勢でいるのは辛く、初めのうちは体が痛くなることがしょっちゅうだった。でも、三ヶ月くらいが経つと慣れたのか大分(だいぶ)使いこなせるようになった。  そんなこんなで私は17歳になった。相変わらず両親は帰ってこない。でも、そんなことが気にならないほど私の日常は充実していた。それは妹が居たからだろう。  その年の妹の誕生日、私はいつもよりも楽しい気分だった。理由は妹を喜ばせられることができる唯一の日だからだ。私はこの日のために料理を必死で覚えた。全ては妹を喜ばせるために。  けれどいつまで経っても帰ってこない。それでも私は待ち続けた。9時を過ぎ、10時を過ぎ……それでも妹は帰ってこない。私は流石に不審に思った。 プルルルルルルルル プルルルルルルルル 突如、固定電話の音がした。私は弾かれるように電話に出た。…しかし、その奥から聞こえてきた声は……… 「え?」 私が驚愕するには十分だった。  私はできるだけ早く行こうと、車椅子を動かした。私はこれほど自分の身体を恨んだことはないだろう。二本足ならもっと早く移動できるのに車椅子だと半減する。それでも、十分程度で着けたのは良い方だろう。普通なら数十分かかるのだから。 「霊安室はどこですか!」 「え、ええ、地下です。」 私は急いで地下に向かった。そう、先程の電話は病院からだった。交通事故に遭った妹が運ばれてきたが亡くなったというのだ。それが私が焦っていた理由だった。  地下につくと医者が居た。 「妹は!」 そう聞くと黙って霊安室を手で示した。 「大変悲しいことですが…。」 その先は言われなくてもわかっていた。私は焦る気持ちを抑えて中に入った。無機質なその部屋の真ん中に妹は居た。嗚呼‥‥と自分でも絶望するのがわかった。  それからのことはよく覚えていない。ただ確かなことがあるとするならば、葬式で両親が居たこと。妹に二度と会えないことだけだった。    その日から私は人形のように動いた。朝起きて、ご飯を食べ昼間はボーとし、夜はまたご飯を食べ寝る。何も考えずにただ同じ作業を繰り返した。その動きはロボットのように淡々としていた。そこに一切の感情はない。美味しいとも思わなければ不味いとも思わない。人に本来あるはずの感情をすべて失った私は最早、生きながらにして死んでいるようなものだった。  そんな私は毎日妹の部屋に入り浸っていた。部屋に行けば、妹を感じ取れる気がしたからだ。いや、実際した。私は妹の部屋に入って何かするわけでもなくボーとしているだけだったが、目を閉じて、思い出を思い返していると、時々妹の声がする気がするのだ。 『お姉ちゃん、私の日記を見て。』 何回も。何回も、何回も、何回も…。それを聞くうちに、私はその声が幻聴には思えなくなってった。ある日、その声が聞こえた時に目を開けてみた。すると……………、目の前には妹がいた。といっても、向こうが透けて見えるため生きてはないことだけは確かだが。けれど、私は妹とあえた事が嬉しかった。その反対に、妹は悲しそうな顔をしている。 『お姉ちゃん、私の日記を見て。』 日記?私は首を傾げた。日記なんてあっただろうか。本棚を見てみる。一つだけノートらしきものが入っていた。私はそれを開いた。 ○月✕日  今日、お姉ちゃんが入院した。医者が言うにはお姉ちゃんは癌らしい。癌なんて私は知らなかった。お姉ちゃんは知っていたのだろうか?でも、聞こうとは思わなかった。お姉ちゃんは生きることを諦めている節がある。そんなお姉ちゃんに聞くなんて、私には残酷のように思える。取り敢えず、手術が成功することだけを祈ろう。 ○月✕日  今日は良い天気だ。お姉ちゃんが退院するにはちょうどいい。私はバイトを始めた。お姉ちゃんにプレゼントを買うために。買うものはまだ決めてないけど、お姉ちゃんが喜んでくれるものがあるといいな。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー そんな具合に日記は続いていた。そして…………… ○月✕日  桜が見たいな……… 最後のページにはそう書かれていた。誰とかはなく、ただ桜が見たいと。それは妹の願いのように感じた。  パタンと音を立て、ノートを閉じて妹の方を見た。妹は未だに悲しそうな表情(かお)をしていた。 『桜が見たいな…………』 妹はそう呟いた。涙を流しながら……。何処か遠くを見るように……。  その日以来、妹の姿を見ることはもちろん声を聴くことすらなくなった………。それと同時に、私の過ごし方も変わっていった……。    妹が亡くなってから、何年過ぎただろうか。私はあの日から、再び人間へと戻っていった。それはもう目まぐるしい変化だっただろう。しかし、どれだけ努力をしても一つだけ、叶わない事があった。それは自分の足で歩くこと。それだけはどうしてもできなかった…。それでも努力した甲斐はあったのか、車椅子では自由に動けるようになった。同時に少しだけだが、以前よりは体力が、ついた気がした。……其れ等の努力は妹の願いを叶えるため。桜が見たい。そう言った妹の願いを叶えるためだけに……。  ただ、人生はどうも私を地に落としたいらしい…………。    それは突然の痛みだった。何の前触れもなく、ただ突然に。散歩をしていた私は、そのまま意識を失っていった…………。  目が覚めると、そこは見覚えのある場所。そう、病院だった。ナースコールを押すと、すぐに先生がやって来た。 「夢原さん、目が覚めたのですね?早速で悪いのですが、お話したい事があります。」 その医者は険しい表情で言った。それだけでわかった。これは、悪い知らせだと……。 「夢原さん、貴方が寝ている間に検査をしました。結果は…、癌です。それもかなり大きい。この段階まで進むと、手術は遅いでしょう。……夢原さん、貴方が生きれるのは後一ヶ月です。」 そして、その日私は余命宣告を受けたのだった。  その後、病院からの道のりを歩いてる途中、私はずっと放心状態だった。頭には先程の医者との会話が流れている。それはまるで私に一切の猶予を与えない。そのように感じた。  その日、私はご飯を食べる気にはなれなかった。……そのまま、寝落ちしてしまったらしい。気がつくと、太陽が昇っており、空は明るかった。目を覚ました私はゆったりと身を起こすと、何をするわけでもなくただボーと座っていた。それはまるで、妹が亡くなった時の感じと似ていた。でも、その状態は長くは続かなかった。やっとのことでベッドを降り、何かを食べに下へ降りた私はふとテレビのリモコンをつけた。そして、そこから流れるニュースに私の動きは止まった。…………そう、それは桜の開花を知らせるニュースだった。冬だと思っていた季節はいつの間にか過ぎ、春が訪れていたのだ。私はそのニュースで妹の願いを思い出した。そして、その時に誓った自分の決意も。その瞬間、私はこの一ヶ月をどう過ごすか決めた。 ご飯を食べた私は早速行動を始めた。両親はもう何年も前からお金を振ってくれなくなったので、いつからか自分でも出来ることをして稼いでいた。そのお陰か蓄えはそれなりにあり、桜を見るにはじゅうぶんだった。しかし、起きた時間が時間だけに空はもう薄暗く、今日のうちに行くのは無理そうであった。しかも、明日から3日くらいは仕事で予定が埋まっている。私は次の週末に見に行くことにした……。  そして次の週末。私は朝早くに起きると、桜を見るために電車に乗った。車椅子なため、行けるところは限られている。それでも遠くまで行こうとしたのは、どうせなら綺麗な桜を見たいと思ったからだ。ガタンと音がしてゆっくりと電車が走り始めた。流れる景色を何を思うわけでもなく、ただボーと眺めていた私は、ふと自分の人生を振り返っていた。幼少期から現在までのこと。思い返してみると、私は意外と楽しんでいたのかもしれない。何故だかはわからない。ただ思い出したから思い返したまでのこと。それは、まるで何かを暗示するように感じた……。  着いたところは、ネットで綺麗だとお勧めされている場所。やはり人気の場所なのか桜の周りはお花見をする者達でいっぱいだった。私はその中に入って桜を見る勇気はなく、ある程度人が去るまで散歩をすることにした……。  それから何時間経っただろうか。私は桜を見るために来た道を戻った。ある程度人の波が引き、私は桜に近づいた。……その木は、立派だった。そして、気高く美しい。……それは、言葉では言い表せないほどの美しさを秘めた桜だった。その時、ザァーと風が吹き、花びらが風に煽られ辺りに舞い散った。その風は思ったよりも強く、余波を受けた私はその場に倒れ込んだ。でも………、目を開けたそこは、まさに幻想世界……。思わず感嘆の声を漏らしてしまうほどに、美しく……、そして儚かった……。その様子はまるで……………………そこで私の意識は闇に閉ざされた……。  目を開けると、そこはさっきの場所だった。空の様子を見る限り、気を失ったのは一瞬らしい。私は転がるようにして車椅子から降りると、倒れてしまった車椅子を立たせた。そしてまた座ると、荷物の中から短冊の形をした色紙を取り出した。そう、私の趣味は俳句を書くこと。美しい情景を言葉にして表す。それが何とも面白く、唯一の作品になるため好きなのだ。いつもは悩みに悩むのだが、今回は言葉がいくつもいくつも湧いてくる。だからこそ、夢中で筆を走らせていた私は後ろで広がっている光景を知る由もなかった。そしてまた、それが自分の身に近づいていることも……………………。  無事に書き残した私はホゥと息を吐いた。こんなにも集中したのは実に久しぶりだった。そう思いながら後ろを振り向いた私は衝撃で固まった。其処は、美しい桜を上塗りするかのように地獄絵図が広がっていた。一面に広がるのは、紅色。それは、空の色でもなく、桜の色でもない何か……。 「お姉さん、集中してたね。」 そんな中、突如声をかけられ私はビクッと震えた。後ろを振り仰ぐようにみると、自分を見下ろしている目と目が合った。 「お姉さん、何を書いているの?」 「は…、俳句を……。」 私は声を震わせて言った。私を見下ろしているのは、顔立ちの整った男の子。…世の中の人が見れば、十中八九美少年だと答えるだろう。しかし、服と微笑んでる顔は紅い何かで汚れていた。それなのに私は不覚にも美しいと思ってしまった。……そう、私が声を震わせたのは恐ろしさではなく、その少年を美しいと思ってしまったことだった。だって、先程の地獄絵図と同じように紅い少年だ。何がどうなのかはどんな馬鹿でも流石にわかるだろう。そう想像できたというのに私は魅入られたように、美しいと思ったのだ。その少年が何をするかなんてわかっているのに……。私は恐らく何処かおかしいのだろう。今まで感情らしい感情があまりなかったからか、何処か歪んで育ってしまったようだ。 「へぇ〜、俳句か〜。……何書いたの?」 「……この桜のことを、少し……。」 「ふうん?見せて?」  そう言いながら少年は私の背後から俳句を見るように覗き込んだ。次の瞬間、私は体に大きな衝撃が走ったのを感じた。 「お姉さんは少し、不用心すぎるんじゃないかな?」 その原因である少年は最後にそう囁くと、私の元を後にした……。  ポタ…ポタ……と、自分から何かが流れていくのか見ていなくともわかった。紅いそれはじわじわと、飲み込むように周りを染めていく。それと同時に何かが砂のようにサラサラと流れ行くのがわかった。私は震える体に鞭打つと、震える字で一つの俳句を書いた。そして、書き終わると同時に力尽きたように身体がズゥンと重くなり、目が2度と開くことはなかった…………。私の手から滑り落ちた3枚の色紙は、大地に広がった色を吸うようにして紅く染まり、その様子はまるで……命の長さを表してるようだった…………。  そんな事件から数ヶ月後。とある事件の被害者の遺品展示会を開くこととなった。その中に桜の儚さと人の命の例え、それらが絶妙に組み合わさった俳句があった。それをつくった人の名は………… 夢原 桜子 同じ桜の字をもつ、一人の名が書かれたその人の作品は、美しく、それでいて残酷な表現力を持っていた。 桜散る 眠れる人の 命かな (桜が散っている。まるで死期を迎えた人の命を表しているかのようだ……) 花が散る 終わりを迎える 覚えれば   その身に宿る 新しき生命 (桜の花びらが待っている。今年も桜は死ぬんだなあと思っていると、この木に若葉が生えているのを見つけた。どうやら、桜は思ったよりも生命力が強いみたいだ) そして…………………… 桜舞う 美しき景色に 色づいて 紅き花びら 散りゆく生命 (桜が舞っている様子を見ていると、視界が桜ではない紅色に染まった。よく見れば、それは人の生命が花びらのように散っている様子だった。そして、我が身もまた……) 何かに染められたように紅い台紙は何処までも人々の目を惹きつけた…………。                完
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