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3.
「やあ、ハルコさん。久しぶりだね」
突然声をかけられた。見れば、街灯の下にイチロウさんが立っている。
イチロウさんとは、十年以上の付き合いがある。
五十代後半だろう、白髪頭の小柄な彼は、まるで困ったかのように眉を下げている。だが、それが彼の素の表情なのだ。
「イチロウさん、こちらに来ていたんですね。トシエさんはお元気ですか」
トシエさんは、イチロウさんの奥さんだ。彼らは二人とも、この町に出入りするようになって長い。
「もう、元気すぎて困るくらいさ。あいつは今頃、現実世界で友達とスペインへ遊びに行っているよ。俺たちには晩香町(ばんこうちょう)があるっているのに、なんで旅行なんてしたがるのかね」
確かに、と私は笑った。
この町の名を、晩香町という。
ここに定住している人間はおらず、ぶらりとやって来る人間たちにより、建物は維持されている。
この町には季節を問わず様々な花が咲いていて、夜になるとその香りがいっそう濃くなることから、晩香町と呼ばれていた。今も、むせかえるような花の香りが辺りに満ちている。
イチロウさんの陰から、ゆらりと背の高い人物が姿を現した。穏やかな顔をした青年だった。
イチロウさんが言う。
「今回は、初めて俺の甥を連れてきたんだ。先輩として、仲良くしてやってくれるかい?」
私は男と別れたばかりだったので、密かに身を固くした。しかしイチロウさんの甥だという人物は、優しげに微笑む。
「初めまして。アキラと申します。晩香町は古くからここを大切にしている方たちの憩いの場所だと聞いているので、邪魔にならないように気を付けます」
その謙虚な物言いにほっとしたものを感じて、思わず頬が緩んだ。
「ハルコです。皆、最初は誰かに連れられてここに来るんです。気を遣わないで、滞在を楽しんでください」
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