ある寄宿学校にて

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「岩下、待て!」 「ウルセェな。早くボロっちい寮に帰れ」  体育会の練習が終わり、皆が寮への道を歩く途中で争う声が聞こえて、足を止めた。ワクワクした顔で千紘が様子を窺っている。 「陸上部の下寮生と岩下が喧嘩してる。最近、岩下が彼女を取ったんだって」 「………」 どうして他の部の事情を知ることができるのだろう。下寮生は岩下に掴みかかっている。胸ぐらを掴まれた当人はにやけて、俺と話す時には想像できない程意地の悪い顔をしていた。 「お前に魅力がなかっただけだろう」 「そんな!彼女とは上手くいってた。岩下、お前が手を出したんだ」 「いやいや、お前のダメさが分かったんだよ。もしかして自分では気付いてないとか?馬鹿にも程があんだろ」 「ふざけるな!」 下寮生は拳を振り上げたが、岩下と一緒にいた男に蹴られ、地面に転がった。岩下は舞台に立っているかのように腕を広げた。 「俺は可愛い彼女に見せてやっただけさ。お前がどれだけダメダメかを。馬鹿なお前にも見せてやるよ。あ、観客にも俺には罪がない証明をしないとな」 大声で宣言すると、スマホを取り出した。下寮生の顔が青ざめる。 「やめてくれ」 「やめてくれ?敬語も忘れたのか。この動画では話せているのに」 『やめてください』と叫ぶ音がスマホから流れ出した。俺の方向からは画面が見えないが、下寮生が良からぬことをされているのだけは伝わってきて、爪が手のひらに食い込む。この学校で平然と行われる行為は嫌いだった。 「優弥?」 千紘が俺に声をかけるのを聞き流し、一歩踏み出した。 「お……」 「いつまで騒ぐつもり?」 あいつらを止めようとする言葉は女子の声に遮られた。岩下も高笑いをやめて、口を閉じる。千紘が『転校生だ』とこぼした。肩までの髪をたなびかせ、黒い瞳は真っ直ぐとスマホを高らかにあげる岩下を捉えている。 「あ〜?新しい下寮生じゃん。転校したきたばっかりでこの学校のルールも知らねーのか。誰か教えてやれよ」 岩下はにやけ顔を取り戻した。彼女は眉を寄せた。 「そう、この学校のルールにはまだ馴染めてない。でも10数年、この国で生きていて知ってることはある」 「は?」 「これは法律に反している」 「あぁ?俺が犯罪者だって言うつもりか?」 岩下は怒気を含めた声で詰め寄り、彼女に手を伸ばした。周囲で『あっ』と息を呑んだ声がかすかに上がった。が、彼女は岩下の腕を掴み、振りかぶった。彼の体が宙に舞い、彼女を寝取られた下寮生の隣に落ちた。見事な一本背負い投げで、どこからか拍手が聞こえてきた。心臓の音が拍手よりも大きく鼓動する。 「じゃあ、あんたそのスマホ持って警察行く勇気あんの?」 彼女は岩下を冷たい目で見下ろした。何も答えられない彼に興味を失ったのか、彼女は下寮生に手を差し伸べた。 「大丈夫?」 「あ、うん。でも君こそこんなことして」 「ケ・セラ・セラなんとかなるよ」 ふふふと快活な笑顔は眩しく、俺の心に突き刺さる。 「見つけた!」 「何を?」 千紘の問いかけに答える余裕はない。俺の人生に足りなかったものが、人がここにいたと確信した。運命の恋を見つけた俺は彼女に駆け寄った。周りに戸惑いの波が訪れる。掴んだ腕は細く、困惑の色を含んだ瞳は陽の光を反射している。 「好きだ。名前を教えてくれ」
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