分かれ道

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 ありえない。    歩けないと宣告され、絶望感に打ちひしがれていた。  死んだ母親と同じ病だとも言われた。  これ以上ない不幸だと思った。  ――まだ続きがあるなんて、思わなかった。    目を覆っていた包帯がくるくると外されて、締め付けが和らいで目元の血流が良くなり解放感があった。  最初、眩しい思いをするだろう。  そう思って、そっと目を開けたはずだった。  視界が目を開けても閉じても変わらない。  何度か瞬きしてみる。 「父さん、部屋暗くしてある?」  その質問には返事がない。  かわりに眼科の医師が別の質問をしてくる。   「圭君、これ、何本ですか?」  これ?  何本?   「……なにが?」 「……では、圭君この光、何色に見えますか?」 「光?」  心臓が、だんだん早鐘を打つ。  部屋は暗くないんだ。  今、本当なら何かの数を数えて、光の色も見える状況のはずってことだ。   「え?父さん、俺、目開けてるよね?包帯取れてるよね?光ってなに?早く見せてよ!」 「圭君、動かないでね。少し顔に触りますよ」  医師の手が顔に触れて、目元にも触れて、何か確認している間があって……。  何度か同じ質問を繰り返されるが答えようがない。 「圭……本当に、見えないのか?」  父さんの声が震えていて、俺を更に暗闇に引きずりおろす。    ◇ 「井上医師の息子さん、何を話しかけても無反応で……」  ナースステーションで新米看護師の梶谷が、どうしたらいいのかわからず先輩看護師に相談している。 「今はまだ、現実を受け入れられないのよ。しばらく辛抱強く、寄り添ってあげましょう」   「目が見えないから、反応が無くても何かする時は必ず声をかけるの忘れないで」  看護師達の会話中、父親の井上医師が通りかかった。 「すみません。息子のことで、色々気を遣わせてしまって……」 「井上医師、患者さんに寄り添うのが私達の仕事です。医師もお辛いでしょう。細かいケアは任せてください」  主任看護師の力強い言葉に、誠一は頭を下げる。 「……ありがとう。皆さんがいてくれて本当に、助かります」    ◇     「今日のは卵が入ってるやつだぞ」    柊がスプーンで(すく)ったお粥を圭の口元へ運ぶ。  圭は唇に触れた瞬間、顔を背けた。  柊は追いかけてスプーンをもう一度圭の口元へ持っていくと、圭はそれを振り払おうとする。   「いらない」   「ダメだって。ちゃんと食べないと。昨日も食べてないじゃん。そうやってあの可愛い看護師さん困らせたんだろ……」   「可愛いかどうかなんて見えないからわかんねぇよ!」    圭があたりをつけて手を前に伸ばし、思いきり振り払う。  派手な音をたてて食事をトレーごと全て床へぶちまけた。   「ぅあ……痛ってぇ!」    腕を大振りした反動が腰に響いて悶える圭。   「圭!大丈夫か!?まだそんな動いたらダメだって……腰は時間がかかるって医師言ってただろ?」   「うぅ……大丈夫なわけあるか!飯もいらないって言ってるだろ!――もうほっとけよ。俺なんか、死んだ方が柊も父さんも楽だろうが!」    そう叫ぶと圭は自分の腕に刺さった点滴を無理やり引き抜いた。 「やめろ圭!何してんだよ!」   「病院ではそう簡単に死なせないよ?」    メガネをかけた白衣の男性が病室へ入って来た。  担当の倉橋医師だ。   「食べないなら腹に穴を開けて直接チューブで栄養を流し込むけど、どうする?」   「うわ……圭、そんなの嫌だろ?少しでも良いから……」   「うるさい……うるさい……うるさい!」  圭は全く聞く耳を持たない。   「頼むからほっといてくれ!俺の気持ちなんて誰にも分かんねーよ!」  そうだ。  圭の気持ちがわからない。    生まれてからこれまで、なんでも一緒だったし、考えてることはお互いにほとんどわかり合っていると思ってた。  でも今はわからない。  わかってあげられない。  痛いだろう。  辛いだろう。  苦しいだろう。  想像なんて追いつかないほどに。  せめて半分背負えたらいいのに。  何もできない自分がもどかしい。  今自分にできることは、動けなくて見えない圭に、食事を口元へ持っていって食べさせてあげることくらいだ。どうしても食べてもらえずに困っていた看護師さんから食事を受け取って「俺なら食べてくれるかも」なんて思ったけど、そんなに甘くなかった。  床に転がった食器類を拾って掃除している間も、医師から落ち着くよう話しかけられている圭は、何かもう意味の分からない事を言って喚いている。  倉橋医師と看護師が圭を押さえつけて注射を打ち、しばらくすると静かになった。    ◇    いつのまにか眠っていた。  目が覚めると病室から人の気配が消えて、静かだった。    圭は急に心細くなる。 「誰か」  返事は無い。 「誰かいないの?……柊?父さん?」  放っておいてと言ったのは自分だが、本当に誰もいなくなると、とてつもなく不安が襲ってくる。 「誰か……」  もう一度呼んでみる。  自然と声が震える。  すると直後にノックする音ががして「入るぞ」という声。  扉が開いて近づいてくる足音。 「圭、少し食べなさい」  入ってきたのは父親だった。  新しいお粥を貰ってきてくれたらしい。 「父さん……」  急に涙が溢れてきた。 「うぅ……ふぇえぇぇ……」    声をあげて泣き出してしまった。  どうしたことか、自分で上手く感情を制御できない。  父親が、幼い子供をあやすように圭の手をポンポンと優しくたたいてくれる。  ひとしきり泣いたら、ほんの少しだけ落ち着いた。  父親が掬ってくれたお粥を一口、二口食べた。 「圭、夜は父さんと柊が交代で一緒に泊まるからな」  圭は黙って頷いた。      
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