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愛おしむかのように、そっとその頬を指でなぞり上げると、天沼は、息を飲んだ。そんな少しの反応が嬉しくて、そっと耳元に唇を寄せて囁く。
「田口さんのことなんか、考える暇ないくらいにしてあげられるのはおれだけだ」
自分で吐いた台詞で笑ってしまった。初恋の人には、こんな大人の男みたいな台詞はいえなかったクセに。生意気にも、ここまで言い切れるくらい、自分は成長したようだ。
「十文字……」
吐息交じりに呼ばれた自分の名は心地いい。天沼の首筋を指でなぞり上げると、彼の唇が開くのがわかった。
「ほら、嫌いじゃなさそうだ」
からかうように呟くと、きっと彼は怒るのだろう。
そう予感していたのに、反応なし?
いつもの天沼を想像して、彼に視線をやると、十文字は言葉に詰まった。十文字の指の感覚だけで、もう泣きそうじゃないか。目元を赤くして、これでもかって恥ずかしそうに視線を伏せている天沼の表情に十文字の鼓動が激しくなる。耳元に心臓があるみたいに、ドキドキと大きな音を立てて心が騒ぎ出した。
「ちょ、待って……。それ、フェイントでしょう?」
「な、なに?」
そんな顔されたら、もう無理。
「感じすぎでしょ? 本当に経験あるんですか? 女性にもそんな顔しちゃうんですか」
「ななっ」
天沼は、慌てて目元を拭ってから、顔を隠した。
「見るなっ!」
「見せてくださいよ。見てほしいって言っていたくせに」
「そう言う意味ではないしっ」
本当に天沼は面白い。
「これから、どんなことされるのか、想像しているんでしょう? 妄想家ですもんね。ねえ、どんな妄想しているんですか? 聞かせてくださいよ」
「うるさいっ……聞かないでよ!」
「すっごくいやらしい妄想していますか? ねえ、そうでしょう?」
腹をなぞる指先の感触だけで、天沼の呼吸が乱れるのが嬉しい。
「十文字って、本当に意地悪で嫌い」
「ああ、そうですか。いいですよ。嫌いで。じゃあ、やめましょうか」
ひゅっと手を引っ込めて、意地悪に見据えると、天沼は「うう」と唸った。
「や……」
「え?」
「やめないで……」
「聞こえませんね」
「意地悪」
急に天沼の腕が首に回ってきたかと思うと、体ごと持っていかれる。十文字は慌てて手を着くが、バランスを崩して、天沼の上に倒れ込んだ。
「な、なにするんですか?」
「こうすれば、顔見えないもんねっ」
そこ!?
ぎゅーっと抱きしめられて密着すると、確かにお互いの顔は見えないけれど、これって、結構……。
「ねえ、天沼さん」
「なに?」
「これって、誘ってるって意味ですか」
「……」
腕は外さないがきっと、もう目も当てられないくらいに真っ赤になっているに違いないと想像すると、笑うしかない。天沼が好きだ。こんな天然で、意味不明で、妄想家で、すぐ怒る人だけど。
「愛しています」
耳元でそう囁くと、彼は居心地が悪そうにもぞもぞとするのが分かる。天沼が、今の状況をどう捉えているのかは分からないが、十文字の心に空いた穴が何かで埋められていくのは明らかだ。彼も同じ思いをしてくれているといいのだけど。
もう一度、幸せを噛み締めるために、彼の腰に腕を回してぎゅうーっと抱きしめる。こうして一緒にいられる時間は少ないのかも知れないけど、離れていても大丈夫。きっと彼がいてくれるから。
「おれ、きっと。十文字のこと好きだよ」
天沼の言葉に十文字は目を閉じて、今ある幸せを実感していた。
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