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義定のおじ忠綱は、和田合戦の論功行賞を巡り、政所の前での戦の時、誰が先陣を切ったかで将軍実朝の御前で三浦義村と口論となった。
他の者の証言から、忠綱が先陣を切ったのは明らかとなったが、忠綱は義村に対し、「儂の息子の後ろにいたのに、儂の姿が見えなかったということがあるものか、お主は盲目か!」と悪口をついた。
忠綱の言葉を聞いた実朝は、「裏切り者の汚名を着ることを覚悟の上で奮闘した同士への暴言は許せぬ!」と激怒し、罪科に準じて忠綱には恩賞が与えられなかった。
それでも、忠綱の一番乗りの功績と忠綱の息子経朝の恩賞は認められたため、忠綱はそれ以上事を荒立てることはなかった。
だが、義定には、三浦義村は波多野の手柄を横取りし、忠綱は屈辱を与えられながら保身のために矛先を収め、将軍実朝は三浦を擁護する一方で波多野の罪科を問うたように思われてならず、それぞれに対して怒りを隠せなかった。
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