公暁、武士になろうとした男

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 善哉は、当時の鶴岡八幡宮の別当だった定暁のもとで出家し、父が名付けてくれたその名を捨てた。父と受戒の師の一字ずつをとって新たに頼暁と言う名が授けられた。  だが、父を思い出す唯一のよすがとなるであろうその名も、鎌倉を離れた後、捨てられてしまった。  公暁(こうぎょう)。仏に仕えるためのその名は、屈辱以外の何物でもなかった。  
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