お知らせ

4/8
前へ
/526ページ
次へ
アリスは拒む言葉を絞り出すより早く 北斗に支えられて半ば持ち上げられるように 引きずられて通路を進んだ どこに連れられているかまったくわからないし それどころではなかった 今すぐこの着物を脱がないと 呼吸困難になりそうだ 昔から着物は好きではなかった もう二度と着くない 北斗は素早くアリスをエレベーターに乗せ 三階のエンジ色の重厚な二重で覆われたカーテンを広げ アリスの背中を押した アリスは薄暗い中へほとんど 押し込まれるように入った そこは分厚い絨毯が敷かれた 先ほどいた桟敷席10席分よりも 遥かに広いボックス席だった 空気は清浄機が稼働しているので澄んでいるが ふんわりとたばこの残り香に包まれていた 北斗に両肘を支えられ丁寧に座らされた肘掛椅子は 毛足の長いベルベット生地で アリスが座ると心地よく腰が沈んだ 「・・・顔色が悪いな・・・ 具合が悪いのか? いつからだ? 」 心配そうに彼が顔をのぞきこむ 「お・・・帯がきつくて・・・ 」 今やアリスはハァハァと浅く呼吸をしている 着崩れるのを嫌がる着付け師が 力任せに締め付けているのだ これを直すのは一から帯をほどかなければ でもこんな場所でそんなことは出来ない 「帯?・・・帯がきついのか? 」 北斗が眉に皺を寄せて聞く ハァ・・ハァ・・・ 「く・・・苦しい・・・  」 アリスは下を向いて息をあらがせた 前かがみになりたいのに 帯が除骨にめりこんでいるので 上手く座っていられない 「失礼 」 その時北斗が背中のアリスの帯の飾り部分に3本指を入れた そして2~3度力任せに ぐいっぐいっと外側に引っ張った 「あっ・・あっ!」 苦しいっ!息が出来ない! そう思った途端に 肺に空気がいっぱい入り込んで来た   北斗の引っ張った指の分 帯と胴体の間に隙間が出来たからだ なんとも言えない解放感と呼吸が出来る 心地よさがよみがえった さらに北斗がもうニ回ほど指三本を差し込んで ぐるりと全体的に内から外へ引っ張ってくれた さらに隙間が出来た ウソのようにアリスは呼吸が楽になった 「これでどうだ?」 アリスは何度も深呼吸した 今帯はアリスが呼吸が出来る十分な隙間がある 暫くしてやっと一息ついてなんとか しゃべれるようになった 「あ・・・ありがとうございます・・・ 本当に・・・とっても楽になりました・・・ ええ・・もう・・・ウソのように 」 「俺の母がよく着物を着ている時 帯が苦しいと俺に帯の中に腕を入れて 引っ張ってくれと言ってたんだ 」 北斗が依然として低い声で言った 「そうなんですの?お母様が? 」 それを聞いて今自分の座っている席に ハッと気が付いた 「ここは?・・・ お連れ様のお席で休ませて頂いて・・・ いらっしゃったらお詫びを申し上げないと 」 「ここは俺一人だから気にすることはない」 こんな特等席にこの人一人? アリスがキョロキョロと改めて あたりをじっくり見てみると ここは舞台を眼下の真正面に臨む ボックス席であることが分かった 思わず目を見開く   そうここは・・・・ 国宝級の観客が座る国賓席だ とてもつもない貴重人物が極秘で観覧する所だ アリスの(くらい)の人物でも なかなかここのボックス席には入れない これほどの特等席に彼は たった一人で観覧しているの? 眼下には観客席と舞台をまるで天から 見下ろしているように隅々まで一望でき くつろげる家具調度 明かりが絞られたガス灯・・・ 象眼細工が施された艶やかなテーブルがあり きわめて豪華な設え(しつらえ)だ けれどもここには自分とこの人以外には誰もいない そして隣に座っている彼は歌舞伎など見ておらず 注目は体ごとアリスに向けられている それはアリスも同じだった 観劇の騒々しさと音楽が遥か眼下に聞こえ・・・ まるで世界に二人っきりのような 錯覚を起こす
/526ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3143人が本棚に入れています
本棚に追加