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自宅、リビングにて 〜わたしの兄は、変わってる〜
自宅、リビングにて
わたしの兄は、変わっている。
友達だってちゃんといるし、今は知らないけど彼女もいたことがあるみたいだ。勉強もそこそこできるし、相談なんかするとけっこう親身になって聞いてくれる。たぶん学校でちょっと話したりする分にはみんな気づかないと思う。でも、あの人の妹歴17年のわたしにはわかる。兄は人とは少し違う。
「おー、櫻子。ここにいたのか」
さっそくご本人登場だ。わたし、櫻子の兄こと、湊人が話しかけてきた。
自宅、リビングにて。クーラーの効いたリビングでソファーに寝そべり、自堕落に小説を読んでいたわたしの元へ、妙にニヤついた湊人が現れた。無視するわけにもいくまい。8月に入ったばかりとはいえ外は灼熱地獄だ。高校2年生の貴重な夏休みを、わざわざそんな地獄に出てまですごそうと思うほどアクティブな人間でもない。少しくらい付き合ってもいいか。もちろん、嫌な予感はするが。
「どうかした?」
「いやぁ、おれは思うんだよ」
わざとらしく腕を組み、うんうんと謎の頷きを見せながら近寄ってくるその様は、演技がかったというのがおこがましいくらいに下手くそな演技だ。今日は何を言い出すつもりなんだろうか。
「もし、モンスターを3匹連れ歩くことができるとしたら、どんなやつを連れ歩きたい?」
……嫌な予感がする!!
◇◆◇
「なんて?」
間違いなく聞き取れたつもりだが、念のために聞き直してみる。湊人は嬉々とした様子を崩すことなく、さっきと同じ言葉を一言一句違わずに繰り返してみせた。
そう、わたしの兄はこういうことをなんの脈絡もなく聞いてくるのだ。世界を制服したらだれを自分の側近にしたい?だとか、自分が戦隊ヒーローのブルーだったらどう名乗ればレッドより人気が出るか?だとか。計画性はまったくなく、それについて語ったところでどうオチがついたら納得がいくのだろうというようなことを平気で話題にしてくる。
「これはかなり面白い内容だと思うぞ! なにしろどうせ実現しようがないんだから。いくらでも妄想を広げていいわけだ!」
厄介なのはこの嬉しそうな態度だ。ここでわたしが、こんなに曇りのない目をしている彼を無碍にしてしまってはあまりに不憫だ。ただ、子供っぽい話の内容からは想像できないだろうが、彼はもはや22歳。とっくに成人済みなのだ。そんな大の大人が目を輝かせ、中学生でも恥ずかしくて人前では言えないような質問を実の妹にしてきているのはさすがにどうかと思うが。とくに強く突っぱねる理由もないし、けっきょく毎回話に乗ってあげる形になってしまっている。
「えーっと、モンスターっていうのは例えばドラクエとかポケモンとかに出てくるようなやつ? それともオリジナル?」
「オリジナルを想定している! どんな技が使えるとか、見た目がどんな感じで、とか自由に決められるしな。まあでも」
「でも?」
「櫻子がどうしてもって言うなら……既存のキャラを使ってもいいぞっ!」
「え、なんでわたしがお願いしたみたいな感じになってんの?!」
急に後ろ手を組んでモジモジし始めたからなにを言うのかと思ったら、頼んでいもいない譲歩をしてきただけだった。
「おれはな、やっぱりドラゴンタイプは1体はほしいと思ってる。背中に乗れるサイズのやつな。羽がついてて、力強く飛ぶんだ。」
「おー、だいぶでかいね。空飛んでるうちに風圧で民家が飛ばされて苦情来そう」
「火も吹いてほしいよな! 闇の組織が暴動を起こしたときに火を吹いて一網打尽に……なんて考えると妄想も捗る! 男子ならだれもが憧れる設定だ」
「あー、いいね、山火事が起こるたびに取り調べ受けそうなあたり最高」
「さっきからぜんぜんプラスなこと言ってくれないな」
わざとらしく唇を尖らせて、もっと意見を言ってくれよーとごねる兄を尻目に、わたしはソファーから起きもしていなければ小説を閉じてすらいない。休みであるのをいいことに、朝起きてから着替えてもいない部屋着(好きなバンドのTシャツにどこで買ったのかすら忘れたジャージ素材の短パン)の効果も相まって、今のわたしは側から見たらさぞかし話す気がない人に見えているはずなのだが、そんなものは兄には通用しない。暗にこの話題はあまり乗りたくないと示しているのに……。
というのも、わたしも中学生の頃はよくこの手の妄想を1人でしていた。それこそ大きなドラゴンをいつでも召喚できたらなんて妄想、何度したかわからない。だが当時のわたしは妄想だけでは飽きたらず、それらモンスターの設定を細かく考えては、恐ろしいことにノートにまとめていたのだ。たいしてうまくもないイラストまで添えて、モンスターの種族名から二つ名から特技から、なんならわたしのことをなんて呼んでいるかまで事細かく……。他の人には一切心を開かない暴君モンスターが、わたしが一言「おやめ」と声をかけると「くっ……櫻子がそう言うなら……貴様、命拾いしたな」と引き下がる、という妄想エピソードまで。思い出しただけで首筋がかゆい!
中学卒業間近に偶然そのノートを見つけたときにはあまりの恥ずかしさに全身が燃えるかと思ったほどだ。捨ててもいいが、もしうっかりだれかに拾われたらと思うと怖くてそれもできず、部屋のどこかに封印した。そんな苦い思い出が蘇るこの話題、あまり積極的に乗ろうとは思えない。オタクだったわたしはもういないのだ。平凡な女子高生でいさせてほしい。
「えー、楽しいよー! お兄ちゃんがどんなモンスターを採用するのか、わたし気になるー」
最大限のかわいい妹を演じると、「おおそうか、しょうがないな」と兄も満更でもない顔をしている。どうやら彼も自分の話を聞いてもらいたいほうが勝っていたらしい。
「さっきのドラゴンなんだが、こいつは常に連れ歩くというよりはピンチのときに颯爽と自分からかけつけるタイプがいいなと思ってる」
「自分から?」
「そう!例えばおれが敵と戦っていて、その舞台がビルの屋上とかだったとするだろ?敵の猛攻をかわしきれず、おれがビルから落とされて」
「なるほど、そこでドラゴンが登場するわけだ」
屋上から落とされた湊人。掴まる場所や安全に着地できる場所などあるはずもなく、もはや絶体絶命のピンチ。みるみるうちに地面が近づいてきてもはや地面激突寸前!その瞬間、力強い羽音とともにドラゴンが湊人を掻っ攫い、再び屋上に向かって一直線に飛んでいく。勝利を確信し、歩き去ろうとした敵の背中に向けて「まだ終わっちゃいないぜ」とドラゴンとともに言い放つ湊人が容易に想像できた。
「この展開は熱いよなー」
「この場合敵もドラゴン使いであってほしいね」
「お、櫻子わかってるじゃないか」
「もちろんこっちのドラゴンは赤い炎、敵のドラゴンは青い炎でしょ?」
「ラストは青い炎と赤い炎がぶつかり合って、じわじわ押しあった後に赤い炎がその場の全てを飲み込んだりしてな!」
「うわー!! しびれるー!」
……いやしびてる場合か!ついノリノリになってしまった。気づいたら小説を放り出してソファーの上に膝立ちになって身を乗り出していた。この手の話題は劇薬と同じで、話してる今は楽しいけれど後になってから黒歴史として自分の首をしめることになるのだ。落ち着けわたし。早いところこの話題は終わらせよう。
「ドラゴンはわかったけど、他の2体はどうするの?」
一度身を乗り出してしまった手前、また寝そべる気にもなれなかったのでそのままソファーに腰かけ直す。
「人間型のモンスターも欲しいと思ってるんだよな。ちょっと耳が尖ってるくらいで、ぱっと見じゃ人間にしか見えないようなやつ」
「その人とは常に一緒に行動するの?」
「だな。おれの相棒ポジション」
湊人はカーペットの上であぐらをかき、熱のこもった口調で続けた。
「おれが背中を預けられる唯一の存在、みたいな感じでさ。敵に囲まれたとき背中合わせに剣を構えたりして、作戦を話し合ったりするのもいいよな!他の人が聞いても理解できないくらいの最低限の会話だけで全部わかり合っちゃう、みたいな」
「かっこいいけど……それってモンスターなの?」
「まあモンスターというよりは人に近い感じか。あ、エルフと人間のハーフとかいいな! 今思いついた!」
大げさな身振りをとりながら語る湊人はまるで少年だ。手を大きく動かして「こんな見た目でー」と話しているが、どんな見た目なのかはあまり想像がつかない。興奮してるのはわかる。
「でな、街中を一緒に歩いてるとそいつが言うんだよ。『おい、湊人』って」
「それでお兄ちゃんが『ああ、わかってる』って言った瞬間に敵がバッと飛び出してくるんでしょ?」
「よくわかったな!」
大きく両腕をひろげ、おそらく分かり合えたもの同士のハグを求めているのだろうとは分かったが、もちろん無視した。
どうせ妄想の話だから水を差すようなことはあえて言わないが、そのエルフとのハーフとやらが常に湊人のとなりにいるというのはどうなんだろう。今の話を聞いてる限り、おそらくその彼はけっこうなイケメンだ。おまけに高身長と見た。対する湊人は我が兄ながらだいぶ平凡な見た目というか、服装次第では妙に子供っぽく見えるというか。別にそんなに背も高くはないし、ヘタしたらただの引き立て役になってしまうように思える。
「まあわざわざ言うことじゃないか」
「なにが?」
「いや別に。3体目はどうしようか」
悪意が若干漏れてしまったが、湊人は気にする様子もない。
「3体目はもちろんヒーラーだよな。ティンカーベルみたいな妖精の女の子。蛍みたいに光を放ちながらおれたちの周りを飛ぶんだ」
「はいはい、なんとなくちょっと気の強い妖精が想像できたかも。また無茶して!みたいな」
「その感じだな! 小ささを利用しての回避能力も抜群」
「え?」
「魔法系の敵モンスターの攻撃を華麗にかわして、『くそっ、ちょこまかと!』みたいな展開もいいよな」
「……そこは小さいがゆえに相手からも認知されてなくて、お兄ちゃんたちはドラゴンとエルフのハーフとの3人組だって思われてた方が面白いでしょ!」
「なんだと?」と湊人が目を見開いた。妹が突然大きな声を出したのだから当然の反応だろう。だが妹として、元オタクとして、兄の失態を見過ごすわけにはいかない。そんないいキャラ作りをしておきながら、小さいから攻撃が当たりませんなんてちゃちな設定をゆるしてたまるものか!
「妖精が常に回復しちゃうから、いくら攻撃してもぜんぜん倒れない『不死鳥の一味』なんてあだ名つけられてて、敵のリーダーが『バカな!さっきの攻撃は確実に当たったはずなのに、なぜ傷一つない?!』ってうろたえるまでがセットじゃん!」
湊人がなにか言いたげにしているが、こうなったわたしはもう止まらない。
「そして戦闘が終わったあと、みんなを回復しながら妖精が『あんたたちが勝てたのは私の回復のおかげでもあるのに、なんであいつらは私たちのこと3人組とか言ってんのよ』って言って拗ねてるの。そしてそれをエルフのハーフがまあまあってなだめて、遠目からそれを見てるドラゴンが、やれやれまたやってるぜみたいな顔で見て流のがいいんじゃん! そっちの方が!」
「そっちの方が……?」
まだピンときていない様子の兄に苛立ちさえおぼえる。その方が……その方が読者も作者も絶対に!
「興奮するでしょうがあ!!!」
自分の声に、エコーがかかって聞こえた。
◇◆◇
終わった。
ご近所さんにも聴こえるのではないかというほど叫んだわたしを前にしばし茫然とした湊人は、「コーヒー飲むか?」とキッチンに歩いていった。ドリップパックにお湯をそそぐコポコポという音を聞きながら、わたしはソファーにうずくまっていた。真夏なのにホットを淹れている時点で完全にわたしを落ち着かせにかかっている。その優しさが、今は逆に胸に痛い。
「そういえばさ」湊人がこちらに背中を向けたまま、キッチンから声をかけてきた。
「けっきょくおれが使いたいモンスターの話しかしなかったけど、櫻子はとくに思いつかないのか?」
「思いつかないよ、もう……」これ以上、傷をえぐらないで。
「じゃあさ、おれが考えてやるよ! 櫻子のぶんのモンスターたち!」
両手にコーヒーの入ったマグカップを持って、湊人がリビングに戻ってきた。受け取って、一口飲む。熱い。
正直、もう気疲れが勝って断る元気もない。わたしがその手の妄想好きなのもバレたし、失うものはなにもない。湊人が話しているのを、はいはいそうだねって聞いていた方がよっぽど楽だ。
「いいよ、聞かせて」
「おう! まずは櫻子にとって相棒かつ親友がほしいよな。ローラという名前の同い年くらいの女の子はどうだ。光の精霊の力を受け継いでる選ばれし者で、光属性の技で戦うんだ。一人称は妾、語尾に『じゃ』をつけてしゃべる和風な子だ。櫻子のことは普段は主君と呼んで慕っているが、櫻子が本当のピンチに陥ったときだけ、焦って櫻子と呼び捨てにしてしまうという設定」
やけに詳しいな。でもパッと思いついたわりにはかなりわたし好みだ。しかも呼び名まで決まっていて、当時のわたしなら大喜びしたことだろう。
「2体目は、バトル担当。実態がなく、真っ黒な雲のような見た目に眼だけが怪しげに光っているという謎めいた存在なんだ。影のようにいろんなものに姿を変えて戦う戦闘力のかなり高いモンスター。敵からしたらあまりに絶望的な存在だけど、なぜか櫻子にだけは心を開いていて唯一言うことを聞いてくれる。名もなき存在だけど、あまりの強さに敵からは『ザ・エンド』と呼ばれている」
兄よ、ザ・エンドじゃなくてジ・エンドだよ。だがその他の人には一切心を開かない暴君モンスターというのは惹かれる。どんなに暴れていてもわたしが一言「おやめ」と声をかけると「くっ……櫻子がそう言うなら……貴様、命拾いしたな」と引き下がって……。
……あれ?
「最後の1体はなー、えーと、あれ、どこのページだったかな。いいやついたんだけど」
見ると、湊人は少し古めかしい大学ノートをペラペラとめくっている。どうやらそこからわたしが従える3体目のモンスターを探しているようだ。いや、というかそんなことよりそのノート……さっきのモンスターたちの設定……!
わたしは自分の動きをもとに爆風が巻き起こるのではないかというほどの勢いで思いっきり立ち上がった。
「それわたしのノートじゃん!!」
湊人が持っていたのは間違いない、わたしが中学時代に書き溜めたあの厨二ノートだった。なんで持ってるの?というかもしや全部読まれてた?いや、そんなことよりなにより、
「返せ!!」
疾風のごとくノートに飛びついたわたしを、湊人はあっさりと避ける。どこにそんな身体能力が!いつもゲームしてるかスマホいじってるだけのくせに!
「いやぁ、この前部屋のクローゼット片付けてたら見つけたんだ。ほら、櫻子が高校に上がるまでおれたち部屋一緒だったろ。その名残で奥の方にねじ込んであってさ。櫻子もおれと同じような発想を持ってておれは嬉しいぞ」
そうかクローゼットにぶち込んでそのまま忘れてたんだ!うかつだった。再び飛びかかったわたしを、華麗に身体をひねって踊るようにかわす。よく考えたらさっきのドラゴンや相棒の設定もなんとなく記憶に引っかかるものがある。さてはこいつ、細部まで読み込んだ上に自分なりのアレンジを加えて披露していたな!ということはわたしはさっき、過去のわたしが考えた設定に全力で熱をあげていたということになる。時を超えての加筆・修正。ちっともときめかない!
「あと妹よ、ザ・エンドじゃなくてジ・エンドだと思うぞ」
「わかってるわ!!」
さっき飲んだコーヒーなんか比べ物にならないくらい、今は自分の顔が熱かった。やっぱりわたしの兄は変わってる!白熱するノート争奪戦のせいで、わたしの貴重な夏休みの1日は過ぎ去っていった。
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