自宅、リビングにて〜恋するステータス〜

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自宅、リビングにて〜恋するステータス〜

 テレビの中で、妙に目の大きな女優が、やけに長いまつ毛をバサバサと振りかざし涙ながらに声をあげていた。 『行かないで! 私にはもう……あなたしかいないの……!』  それを受けた妙に鼻の高い俳優が、やけに先端のとがったまゆ毛を歪ませながら答える。 『ダメだよ……君は僕とじゃ、幸せになんかなれない』  おいおいと顔を覆って泣き出した女優を、俳優は一瞬抱きしめようとし……すんでのところで我に返ったように首を左右に振ると、なにかを我慢するように自分の両手をポケットにねじこみ背中を向けた。と、そのあたりでテレビが消え、うしろから「聞いてられん」という兄の声が聞こえた。兄の湊人はリモコンをテーブルの上に置き、カーペットにゴロっと寝転ぶと、携帯ゲーム機の画面に向き直る。まったく同感だったわたしも手元の小説に目線を戻した。戻す、ということはさっきまで目線は別の場所に向かっていたわけで、ようするに実はわたしはテレビを見ていた。湊人のように「聞いて」いたわけではない。だが消されたことに文句はない。あの手の展開には食傷気味だ。  自宅、リビングにて。わたしたち兄妹はとくに会話をするでもなくお互いの時間を自由にすごしていた。夏まっさかりのこの時期、クーラーの効いた部屋で自堕落にすごすことほど快適なものはない。 「でもさ、恋愛ものに対するニーズっていつの時代もなくならないよね」 「需要はあるだろ。展開はどうあれだれもが通る道だからな。あんま想像したくないけど、うちの両親でさえ」  なんとなくつぶやくと、湊人はゲーム機から目も離さずに応えた。たしかに。ロマンスとまでは言わないまでも、この世で親と呼ばれる人種はみなそれなりに恋愛をして結婚し、子供を授かっているわけだ。 「高校生にもなると、櫻子の周りでも彼氏がいる人なんか珍しくもないだろ」 「そうだねぇ。最近そんな話聞く機会も増えたかな。なかには別れた途端にいかに早く次の彼氏を作るか血眼になってる人もいるよ」 「彼氏ほしい? 櫻子も」 「いらないと言えば嘘になるけど……彼氏いないとかほんと無理! とか言って躍起になってる人みたいにはなりたくない。彼氏がいることをステータスみたいに捉えてる人は苦手かも」 「ステータスか」  言うと、湊人はゲーム機を机に置いてスッと居住まいを正した。こちらを見るその顔が、不自然に口元にだけシワのよった奇妙な形になっている。これはあれだ、嬉しくて笑いそうになっているのを必死で我慢して、真顔で話そうと努力してるときの顔だ。 「よし。現代社会において、持っていたら得しそうなステータスを一緒に考えてみるのはどうだ?」 「すてーたすぅ?」  ◇◆◇  湊人の談はこうだ。世の中に数多あるステータス。高身長。イケメン。お金持ち。だれしも自分の中に、自分をアピールするための秀でた箇所を持っている。というか、持っていると思うことで自分を安心させている。「だがそんな使い古されたステータスなどもはや役にはたたない。地味だけど、意外とウケのいいステータスを持っていれば、だれも想像もつかない強みを手に入れられるんじゃないか?」だそうだ。  言ってることはわかる。顔がかわいい、スタイルがいいとかのステータスはたしかにわかりやすいけど、どこかありきたりだ。それならいっそ、耳慣れないステータスを持ちアピールすることで、逆に目立つことができるかもしれない。それに、形はどうあれ自分の強みを探すという行為そのものは、 「悪くないね」 「だろ?」  話は決まった。うちの兄はちょっと変わってるところもあるけれど、今日の話題は平和にまとまりそうだ。 「じゃあお兄ちゃんからの提案だし、さっそく教えてよ」 「いいだろう! おれの持つ自慢のステータスは」  目を瞑り、スッと天井に顔を向ける湊人。徐々にその顔をわたしの方に向け、鼻から深く息を吸い込み、止める。カッと目を開いた湊人は、叫んだ。 「虫をつかめる!!」 「くだらなっ!!!」  ◇◆◇  とんだ茶番だった。たいそうな前振りをつけたからどんな話が飛び出してくるかと思ったら。真面目に自分の得意分野を考えていた自分がバカみたいだ。 「待って待って、おれは冗談で言ってるんじゃない。これはけっこう本気でステータスだと思ってる」  さっそく手元の小説を開こうとしてるわたしを湊人は制した。 「今の世の中、虫が平気って人って意外と少なくないか? 子供の頃は平気だったけど、大人になったらなんか気持ち悪くて無理になったなんてザラに聞くだろ」 「わかるけど……さっきちょっと恋愛の話と絡めてじゃん。だからその手の話が出てくるのかと思ったんだよ」  僕は虫が平気です。付き合ってください。とか言われてもさすがにときめかない。わたしは正論を言ったつもりなのだが、湊人は、わかってないなぁと小さく首を左右に振った。 「付き合ってから気づく魅力だってあるだろ。一緒にすごしてるときにひょこっと虫が現れたとして、悲鳴をあげて逃げだすのとさらっとつまんで外に逃すのとどっちがスマートかって話だ」  想像してみる。付き合って数ヶ月経った彼氏とのお家デート。借りてきた映画のDVDを、ソファーに並んで座って見ている2人。スッと、彼がわたしの手を自然に握ってくる。握りかえし、彼の肩に頭を預けるわたし。チラッと横目で彼を見ると、目があった。映画を観てるはずなのに、目が合うだなんて変なの、なんて言いながら笑いあう。ひとしきり笑い終わったとき、また2人の目があった。さっきよりもずっと近い距離で。力の強まる握りあう手と手。鼻腔をくすぐる彼の甘い吐息。どこまでも漆黒で、まるで宝石のように艶やかな彼の瞳。そして、机の上のゲジゲジ。それを見た途端に「キャアアッ!!」とソプラノヴォイスで悲鳴をあげながら彼がのけぞり、「無理無理!!はやくとって櫻子ちゃん!」と懇願しながら手足をジタバタとさせたら……。 「まあね。いつも爽やかなのにこんな一面もあってかわいいって思うかもしれないけどね」 「ポジティブでけっこう。ちなみにおれは害虫系もいけるぞ。悪い虫さんなんて、ヒョイっとつまんでポポイのポイだ」  湊人はどこか誇らしげに胸をはり、指でなにかをつまむジェスチャーをして見せた。言われてみれば、自室に虫が出たときなんかはわたしもすぐに湊人を呼びに行くし、あっさりおっぱらってくれるから毎回助けられてはいる。ステータスとして認めざるを得ない。 「さあ、次は櫻子の番だ」 「そんなんでいいなら……じゃあはい、食べ物の好き嫌いがない」 「あー、これはわかりやすい長所だな」  そう、わたしは子供の頃から食べ物でこれは食べられないというものはない。好んでは食べないというものはなかにはあるが、食べろと言われれば基本的には残さない。 「ちなみにそれは味付けも込みでなんでもいける?」 「いや、辛すぎとか甘すぎとかはちょっときついけど。食べられない食材がないって方が正しいかな」 「付き合いたての彼女のためにご飯を作って、どんな感想がもらえるかななんてワクワクしながら出したら『わたしトマト無理なんだよね』って言われてヘコむ、なんてこともあるあるだよな」  せっかくの手料理を前に「これは嫌い」とバッサリ言われたらたしかにヘコむが、わたしは外食してるときに自分の嫌いな野菜なんかを必死によけている友達を見たときもなんとなく悲しくなる。代わりに食べたいくらいだが、そんな意地汚いことができるわけもないし。 「好き嫌いがあるのは悪いことではないけれど、作った側からしたら全部きれいに食べてもらったほうが嬉しくはなるな」 「友達の家に泊まりに行った時なんかも便利だったよ。友達のお母さんが作ってくれた料理全部食べたら、『うちの子は好き嫌い多いからなんでも食べてくれて嬉しいわ』って言われたのはわたしも嬉しかった」 「たくさん食べる女の子が好き、なんて人もわりといるしな」  どうやら湊人の中で、『好き嫌いがない』はステータスとして認定されたようだ。なぜか安心している自分がいる。  ふと窓の外を見ると、今日も今日とてものすごい日差しが降り注いでいる。目が覚めるような青空は見ていて気持ちがいいが、少しくらい雲がかかってくれないと、本当にアスファルトが溶けて変形してしまうのではないかというほどだ。時間もそろそろ13時にさしかかる。1番暑い時間帯だろう。 「暑いと言えば」  食べ物の話なんかしたからお腹が空いてきた。お昼ご飯はどうしようかなどとと考えつつ、無意識につぶやいていた。 「わたし暑いのわりと平気かも」 「え、ほんとに?」  湊人が興味津々といったように目を見張った。目だけで話の続きを促すのが上手い人だ。 「まあ暑いのは嫌だけど、周りの人と比べるとそんなに汗かいたりしないかも。なんでそんな涼しい顔してるのって友達に言われたことある」 「この時代においてめちゃくちゃ役に立つやつじゃんか!」  ここ数年の日本の暑さは異常だ。ただ立ってるだけでも汗をかくし、涼しい部屋に入っても暑さが体内に残っていてなかなか汗がひかないという人だっている。服に汗のシミがついてしまったり、臭いや肌のべたつきだって気になるポイントだろう。でもわたしは周りと比べると暑さの耐久時間が少し長いなとは前々から思っていた。これだけガンガンにエアコンが効いている部屋で言うのも変かもしれないが。  湊人はわたしのこのステータスをいたく気に入ったらしく、何度もそうかそうかとつぶやいていた。さすがはおれの妹だとか関係があるようなないようなことまで言っているが、あんまり感動されて事が大きくなるとちょっと自信がなくなってくる。 「いや、なんかえらく感動してるけど、お兄ちゃんが思ってるほどすごいことじゃないと思うよ。けっきょく今みたいな真夏はわたしだって外出たくないし」  一応注釈を入れてみたが、湊人の弁は止まらない。 「謙遜することはない。見てみな、この灼熱地獄」  湊人はレースカーテンをシャッと軽快に開けてみせた。一気に日差しが室内に飛びこんできて、部屋の冷気を奪いさる。窓を背に、腰に手を当てて大股に立つと、 「暑い月と言えば7月、8月を想像しがちだけど、正直最近は4月も半ばになるとけっこう暑い! なんなら10月に入ったってまだ暑い! せっかく春服、秋服を買ったのに、もはや出番すらないなんてこともままある。それに暑さによる不快感はけっこうひどいぞ。別になにも嫌な事がなくたって、暑いだけでイライラしてしまうくらいだ。でも櫻子は、それらを人よりも感じにくいわけだろ?」 「たぶん……?」 「それこそもし彼氏ができたとき、普段は制服姿しか見られない彼女の私服を楽しみにする男子は多いはず。暑さを感じすぎない櫻子は、季節に応じたいろんなファッションをすることでその都度彼氏をときめかせることができる。もちろん自分もファッションを楽しむことができる!」  いや、わたし万年同じ服ばっかり着てるけど……とは言えない雰囲気。でもそう言われれば悪い気はしない。そうか、彼を喜ばせつつ自分も楽しめるのか。 「さらに、この暑さに不快感を覚えないでいられるということは、余計なストレスを感じずに済むということ。お互いを思いやりながら夏祭りデートでも花火デートでも存分に楽しめるにちがいない」 「褒めすぎだよお」  口の端が無意識に持ち上がるのをがんばって堪える。思いつきでなんとなく言ってみた自分のステータスだったが、ここまで褒めてもらえるとなんだかくすぐったいほどだ。そうか、わたしはそんないいステータスを持っていたのか。今からでも遅くなかったりして……高二の夏、夢の花火大会デートができたりなんかして……妄想が頭を巡りそうになったとき、湊人が優しくわたしの肩に手を置いた。さっきまで窓越しとはいえ日差しを浴びていたからか、その手はTシャツを貫通して肩に熱を伝えてくる。 「ところで、もうだんだんいい時間だな。櫻子もお腹がすいたんじゃないか?」 「……ん?」 「今の櫻子なら、この暑さの中でもコンビニまで行って、涼しい顔で昼ごはんを買ってこられるはずだ!」  これが目的だったのか。この兄はほんとにどこまで本気でこんな話をしてるんだか……暑さに強いステータスにせっかく惹かれてたのに!夏の暑さを無効化するほどの冷めた目で兄をジーッと黙って見てやると、「あとほら、アイスとか買わないで済むからお金が浮くよ?」と早口で言ってきた。両目が、湊人の眼孔という名のプールを金魚のようにフラフラと泳いでいた。夏らしい、とは思わない。  ◇◆◇  けっきょく2人してコンビニまで歩いて昼ごはんを買いに行くことにした。家にたどり着く頃には着ているシャツの形に日焼けしていそうだ。セミの声が耳にうるさい。日差しを遮る高い建物のない風景が、自分の住んでいる町はどうしようもなく田舎であることを教えてくれる。 「ほんとに汗かかないな」  見ると、湊人はとなりでアゴから滴るほど汗をかいていた。対してわたしは背中が少し湿っている程度。なるほど、どうやらほんとにわたしは暑さに強いようだ。すっかりステータスとしての魅力はなくなってしまったが。 「真面目な話、夏を一緒に楽しめる恋人ができるといいよな。おれも櫻子も」 「なによ急に」 「おれだって兄として、櫻子に幸せになってもらいたいとは思ってるんだぜ」 「……なによ急に」  そりゃわたしだって彼氏は欲しいし、兄に幸せになってもらいたいとも思うけど。こんな話、面と向かってするものだとは思っていなかったから、なんだか妙に照れたような、気まずいような、変な感情だ。 「もし彼氏ができて、この人は本当にいい人かな、なんて悩んだら、おれのところに連れてくるといいよ」 「なんでそうなるのよ。さすがに恥ずかしいって」 「いや、見せておいた方が得すると思うぞ?おれのステータスを覚えてるだろ」  湊人はキュッと目を細め、アゴに手を当てながらわかりやすいキメ顔を作って言い放った。 「おれはを追っ払えるからな!」 「くだらなっ!!!」
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