自宅、リビングにて〜磨いたはいいけど眩しすぎた場合〜

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自宅、リビングにて〜磨いたはいいけど眩しすぎた場合〜

 珍しく我が家に来客があったと思ったら、大手郵送会社の爽やかなお兄さんが玄関口に立っていた。荷物を受け取り軽くお礼を言ってから玄関のドアを閉める。受け取ったダンボールには『五香 湊人様』の文字。どうやら兄が何かを注文していたらしい。 「ごめんよ櫻子、もしかしておれ宛?」  2階から急ぎ足で降りてきた兄は、寝癖もそのまま、寝巻き姿だった。 「そうみたい。朝弱いんだから、夕方ごろに届けてもらえばよかったのに」  自宅、リビングにて。ダンボールを渡すと彼は、「夜はちょっと都合悪くてさ」と笑顔で受け取った。なんだか妙にソワソワしている。ちょっと紅潮さえしているその頬を見るに、かなり待ち侘びていたものらしい。足先をモジモジさせて、今にも小躍りしそうだ。何を注文したんだろうか。湊人が贔屓にしているゲームの最新作はたしか今年の冬に発売だと言っていた気がするし……。 「お兄ちゃん、なに注文したの?」 「よくぞ聞いてくれたな」  湊人はダンボールの中身をわたしに見せながら、 「スカルプシャンプーだ」 「すかるぷ……」 「あと育毛剤な」 「え、うそ、もう始まってるの?」 「なにが?」 「その……頭のドーナツ化現象的な……」 「間接的なはずなのに直接胸に響く言葉だな。さすがは読書好きだ」  ◇◆◇ 「自分磨きをしたいなと思ってさ」  ビジネスホテルの大浴場に置いてあるような、シャープで背の高いシャンプーの容器を浴室に置きながら湊人は語った。 「おれも20代になって早2年。人間の身体は、20代をピークに低下する一方だなんて話、よく聞くだろ?だから今からできる自己投資をして、少しでも若さを保とうと思って」  へえー、とため息にも近い声を漏らして、わたしは目の前の男性をまじまじと見てしまった。将来を見据えて物事を考え、未来の自分が輝けるように今から準備を始めるとは。まるで自分の兄ではないみたいだ。 「でもなんでスカルプシャンプー?」 「まずは身近なところで髪と肌かなと思ってな。スキンケア関連のアイテムも買ったから、それはまた数日後に届く予定」 「アイテム、なんて言うとちょっと小慣れてる感出てかっこいいじゃん」 「そうだろ? おれも今言っててムズムズしたもん」  もー、自分で言っといてなにそれー。あははちょっと恥ずかしくってなー、あはは。え、お兄ちゃん、明日はなにが届くんだっけ?明日はな、スキンケア系の『アイテム』が届くぞお。出たー、アイテム!ひゅーひゅー!なんてやりとりをし、一通りその場の空気が落ち着いた時、わたしを襲ったのは言葉にできないほどの違和感だった。 「……は? 普通すぎない?」 「え、なに、怖。情緒どうした」  数秒前まで一緒にはしゃいでいた妹が急に真顔になれば、流石の兄でも怖いと思うだろう。 「いや、お兄ちゃんにしてはずいぶんと普通な自分磨きだなと思って。もっと説明が必要になるような方向から磨き始めてもおかしくないと思ってさ」  あー、そういうことか、と湊人は腕を組んで眉根を寄せた。 「おれもどうせやるなら前代未聞の自分磨きを持ち出して、その手があったか! ってみんなに言わせてやりたいのが本音ではあるんだけれど……いまいち思いつかないんだよな。そもそも自分磨きしようなんて思いついたのだって最近のことだし」  湊人はよく言えば個性的、悪く言えば変わっていて、一般的に好まれるものに我先にと食いつくタイプではない。世間でなにが流行っていようと、オーソドックスなやり方が流通していようと、「自分はこの方がいいから」という自己流のこだわりを貫くことができるタイプだ。そういうと「芯のある人」みたいで聞こえはいいが、実際はそのこだわりが明後日の方向に向かいすぎたり、それについて熱く語りすぎて引かれたりすることもしばしばではある。  だが、些細なことでも人目を気にしてしまうタイプであるわたしとしては、湊人のそんな性格が羨ましくもあるのだ。本当は着たい柄の服があっても、わたしが着ていたら笑われるんじゃないか……なんてマイナスな思考に傾くことが多いわたしは、湊人の人目をものともしない感じを見習いたくもある。だからこそ、湊人がシンプルな自分磨きをしようとしている姿はとても違和感があった。恐れることはない、ぜひわたしがドン引きするような自分磨きの方法を思いついてほしい。 「じゃあ……何か変わった自分磨きのやり方について、話し合ってみる?」 「まさか櫻子からそんな話題を振られる日がくるとはな」  きっと我ながらもやもやしていたのだろう。驚いたような声を出してつつも、湊人は薄く微笑んでいた。  しかし、今までこの手の話題を振られるたびにうちの兄は変わっていると思ってきたが、ついに自分から振ってしまうとは。もしかしてわたしも大概、変わっているのか?  ◇◆◇  人とは少し違う、個性が光る自分磨きってなんだろう。まずはGoogleで、一般的に言われる自分磨きについて調べてみた。 「えーと……スキンケア、ファッション、ヘアケア、筋トレ、フレグランス……」 「内面的なのもあるな。読書、一人旅、資格の勉強……」 「ということは、逆説的にここにあがってきていないものをやればいいってことだよね」 「そうなるけど……わりと難題だな」  湊人は眉間に皺を寄せ、腕を組んだ。たしかに、ネットで少し調べた程度でこれくらいの情報がでてくるということは、それだけ世間では浸透している考えだということだ。この常識を覆すのは骨が折れそうだ。ふと、思いついたことを口にしてみる。 「じゃあさ、もうシンプルにこの項目を否定系のものにして、それを良いように言ってみるのはどうかな? 例えば、スキンケアをしない。ファッションは気にしない、みたいな。なぜならそれはこうだからってそれらしく言えれば、斬新な自分磨きにつながるかも」 「なるほどな」  湊人は目線を斜め上にやり、考えながらぽつぽつと話し始めた。 「えーと……じゃあ、おれはヘアケアはしません。それが自分磨きのうちの一つです。なぜなら、えーと」 「がんばれ、ここで説得力を出せれば行けるよ」 「朝起きると、こう、寝癖がついますよね。それって寝ている時の自分が無意識につけた、いわば天性のヘアスタイルだと思うんですよ」  後半になるに連れて言葉が滑らかに出てきている。徐々に湊人が乗ってきているのだ。 「それをワックスで自分なりに整えちゃったり、ヘアオイルで艶を出しちゃったり、ましてや前日の夜、スカルプシャンプーでボリュームを出そうだなんて、天に逆らうおこがましい行為だと思うわけですよ、ボクは。考えてみてください。昨日の寝癖の形を覚えていますか? そしてその寝癖と全く同じヘアスタイルを、ワックスで作れますか? あの天を衝くかのような頭頂部の跳ね、もはや崖と見まごうほどの後頭部の絶壁! 作れますか? 無理でしょ! 人間には本来作成不可能であるはずの髪型を、我々は睡眠中に無意識に作っているのです。その自然なままの包み隠さない姿を皆に見せて回っている者こそ、真に心のキレイな純然たる人間だと思いませんか!」  最後まで一息で、湊人は言い切ってみせた。少しずつ声のボリュームが大きくなって、結びの部分なんかはかなり真に迫っている感じが伝わってきていた。わたしの口からも思わず、「おぉー」と声が出る。 「良いように言えてたね!」 「だよな! 今おれも手応えがあった!」  すごいすごい、とどちらからともなく拍手をして功績を褒め称え合った。冷静に考えると、ついさっきまでスカルプシャンプーを紅潮した顔をして受けとって小躍りしていた男が、全力で寝癖の素晴らしさを語るというのは実に滑稽だ。だが今のわたしたちに必要なのは事実ではない。理屈だ。 「今話してる途中で、自分でも次にどんな言葉が口から飛び出してくるのかわからずに喋ってたもんね。気づいたら舌が動いてたっつーのかな? こう、自分の奥深くから登ってくるものがあったっていうか」  想定以上に悦に入っている。おそらく湊人は、夜寝る前に今みたいな上手くいったエピソードを思い出し、「あの時のあれ、めっちゃウケてたな〜」と思い出すタイプに違いない。 「じゃあ次は櫻子、斬新なやつをいっちょ聞かせてくれよ」 「え、わたしも?」  そんな、大将いつもの!みたいなノリで言われても。もともと湊人のもやもやを払拭のために思いついた企画だったので、自分がやることは想定していなかった。 「これ考えてみるのけっこう面白いぞ。別に言ったからって実践しなきゃいけないなんてわけじゃないし」  確かにその通りだ。ちょっと頭の体操をするくらいの感覚で考えれば…… 「じゃあ、わたしは読書をしないことが自分磨きになるってことで話してみようかな」 「おお、チャレンジャーだな」  そう、わたしは自分で言うのもなんだが読書家な方だ。そんなに分厚い本を読むわけではないにしても、だいたい週に1冊のペースで文庫本を読破している。月に4、5冊と考えれば、まあ読んでいる方だろう。そんなわたしが読書をしないことを良しとするように話すというのは、多分想像以上に困難だ。ここは逆に、腕がなると考えるべきか。 「よし、では櫻子。読書をしないことは、どうして自分磨きになるんですか。教えてください!」 「えー、まず読書をするとですね、普通に生活している上ではなかなか得られないような考え方を得られるようになるんですよ。なにせ物語の主人公は、当たり前だけれど『自分じゃない』わけですから。目の前で起こった出来事に対して、わたしならこうするのにって考えがあっても、主人公はまったく違う行動をとる。その姿を見ていると、そうかそんな考え方もあるのかって思ったり、逆にそれはやめた方がいいよ、だってこういう悪いことが起こるじゃん、なんてハラハラしたりと、思考を働かせることになるのです」  うんうんと湊人が頷く。さっきの湊人同様、自分がだんだん乗ってきている。 「さらにですね、言葉で感情表現をする方法が身につくわけですよ。こうなった時になんて言えばいいんだろう。このもどかしさはなんて言えば相手に的確に伝わるんだろうって悔しく思ったことはありませんか。そんな時でも、普段から本を読んで文字に触れていると、いつのまにかスッと自分の気持ちを言葉にできたりするんですよ。それは別に新しい単語を覚えて語彙力が高まったからとかではなくてですね、もともと知っている言葉の組み合わせ方を気づかないうちに習得できているからなんですよ。自分が日常的に使っている言葉が、組み合わせを変えるだけでこうも力を持つようになるのかって初めて知った時のあの感覚っていうのは……!」  チラッと湊人の顔が見えて、その顔がなにか哀れなものを見るかのような生暖かい目をしていることでようやく気づいた。わたしは今、さっきの兄とテンションだけは同じくして、ただひたすらに読書の素晴らしさを熱く語っているだけだ。 「ダメだ、読書のデメリットが見つからない」 「うん。おれも今、本読みたくなったもん。『語彙力が〜』の件なんて、けっこういい説得力だったぞ」 「……無念なり」  ちょっと変わった自分磨きを見つけて、兄のもやもやを払拭する手伝いをするはずが、オーソドックスな自分磨きのよさを全力でアピールする形になってしまった。かわいいやつめ、と兄に乱暴に頭を撫でられ、余計に恥ずかしくなる。こういう時のやりきれない気持ちは、わたし程度の読書量じゃまだ言葉にはできないようだった。  ◇◆◇  時計を見て、そろそろ出かけないとな、と湊人が呟いたのはその日の夕方だった。時刻は午後5時。真夏である今は、この時間でも嘘みたいに明るい。 「どこか行くの?」と、わたしは尋ねた。そういえば今朝、夜は都合が悪いみたいなことを言っていたような。 「まあ、なんだ。バイトにな」 「バイト?」  思わず大きな声がでた。湊人がバイトをしていただなんてまったく知らなかったからだ。湊人は高卒で文学系の専門学校に入り、小説家を本気で目指していた過去がある(そういう意味で言うならわたしなんかより彼の方がよっぽど読書家だ)。しかし小説家の道は甘くなく、学校を卒業しても道が切り開かれることはなかった。一時期はそれでけっこう落ち込んでいたこともあり、今では小さな賞に短編小説を応募しつつニート生活を謳歌しているものとばかり思っていたが。そうか、バイトを始めていたのか。だからあのちょっとお高いシャンプーが買えたのか。 「すごいね。どこでやってるの?」 「古本屋で。隠すつもりはなかったんだけど、なんか恥ずかしくてな。定期的に夕方に出かけることになるから、そのうち自然にバレるだろって思って言わないでいたんだ」  言いながら湊人は、部屋着にしているジャージからベージュのチノパンに履き替えている。それが職場での制服なのだろう。確かに洗濯されているのを何回も見ていたが、特に気にもとめていなかった。 「古本屋ってところがお兄ちゃんらしいね」 「いやあ選んで正解だったよ。日常的にいろんな本に触れられるっていうのは素直に気持ちいいしな。さっき櫻子が話してた読書の魅力、わかるよ。本当にその通りだと思う」  企画倒れなプレゼンみたいになってしまったが、そう言われればもちろん悪い気はしない。どうやら兄は、一足先にすでに自分磨きを始めていたようだ。しかもかなりオーソドックスなやつを。バイトだろうがなんだろうが、少しでも前に進もうと思わなかったら働こうという気持ちになんてなれない。一風変わったやり方なんてしなくたって、ちゃんと自分のこと磨けてるじゃん。  ちょっとふわっとした気持ちを抱えたまま、出かける湊人を見送りに玄関まで行く途中。湊人の背中に視線が吸い寄せられた。Tシャツになにやら文字が書かれているのだ。 「なにこれ?なんか書いてあるけど……Takkun、Suke-San、iintyoooo……?」  それ以外にもアルファベットでびっしりと、人の名前のようなものが何個も書かれている。兄から衝撃の事実を告げられたのはその時だ。 「ああ、それは中2のときのクラスメイトのあだ名だよ」 「え、これ球技大会のときのクラスTシャツ?!」  部屋着じゃん!そう言えばたしかに、さっき湊人はズボンは履きかえていたがシャツはそのままだった。まさか部屋着のまま出勤しているのか。というかいまだに中2の時のクラスTシャツを部屋着にしているのか。十年近く前のTシャツを! 「大丈夫、下はこのチノパンが指定だけど、上はなに着てもいいんだ」 「そういう問題じゃないよ!」 「いやいや、この上から指定のエプロンつけるんだぜ」 「背中は隠れないでしょ!中2の時のクラスメイトのあだ名晒しながら働いてる人なんて聞いたことないよ」 「とは言っても、おれはバイトだから5時間勤務だぞ?」 「晒すには十分だよ!」  たまにいる。クラTを後生大事にとっておいて部屋着にしている人。さらにはそれに中学校の指定ジャージの短パンを合わせてコンビニまで買い物に行く人。もっと言えばその上からシャツを羽織りベニマルの衣類品コーナーにあったカーゴパンツにバッタモンのクロックスもどきを添えてワンコーデ完成させる人。そしてその上を行くものが身近にいた。職場指定のチノパンとエプロンを合わせて5時間勤務をする人。恐ろしいことに、それはわたしの兄だった。 「着替えたほうがいいって!」 「おいおい、さっき逆説的な自分磨きについて語り合ったばかりじゃないか」  靴を履き、つま先をトントンとしながら湊人はキュッと目を細め、親指を力強く突き立てた。 「おれはこの一般的ではないファッションで、おれ自身を磨き上げて見せるぜ」 「磨き方がチャレンジャーすぎて身体が摩耗しちゃうよ!」  そんなわたしの言葉で彼が止まるわけもなく、自転車にまたがった兄は颯爽と去っていった。そういえばあの人、寝癖直してたっけと気づいたのはその数分後だったが、どうあれもはや手遅れ。寝癖を直さないほうが自分磨きになる理由でも考えていたほうが、よっぽど有意義だ。
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