13人が本棚に入れています
本棚に追加
自宅、リビングにて〜風邪ひいてる時はだいたい悪夢を見る〜
自宅、リビングにて 5
無限ループものって面白いよな、と突然言われ、わたしは身構えた。
自宅、リビングにて。ソファーに寝っ転がって本を読んでいると、兄の湊人から急にそう言われたのだ。普段より少し大きく見開かれた目、爪が食い込むのではないかと思うほど強く握り込まれている右の拳。間違いなく話が長くなる。わたしの兄はわりと変わっているところがあって、ふと思いついたことから想像を膨らませては、突拍子もなく会話を展開させてくる。それが今回はたまたま『無限ループものっていいよね』というお題だったというだけで、決して珍しいことではないのだが。今日はわたしの推しの小説家が出した最新の本を読んでいるところだったので、できれば平穏に読み続けていたかった。
「最初にこのジャンルを思いついた人は誰だったんだろうな。おれはその人に千円くらいあげたい気分だ」
言いながらカーペットの上にあぐらをかいて落ち着いた彼をみて、逃げられないことを確信した。ちらと見ると、彼の左手には『無限ループ読本〜こうしてあなたも回転する〜』という雑誌が握られていた。どこで買ったんだそんな本。どこが出版したんだそんな本。
「あんな王道ジャンルを世に広めたのに、見知らぬ青年に千円で労われちゃその人もたまらないよ」
「無償で金銭を献上したいと思うほどに感動しているって意味だよ。櫻子は無限ループものの中でもどのタイプのやつが1番面白いと思う?」
「タイプ?」
そもそも無限ループものとは、凄惨な現状を打破するために時間を巻き戻してはやり直し、自分の望む未来をつかむまで何度でも何度でも同じ時を過ごす創作物の総称、というのがわたしの解釈だ。自分の大切な人が不慮の事故で亡くなってしまい、過去に戻ってその人が亡くならずに済む世界線を見つけるというパターンが多いのではないか。たいていは、死因である交通事故に遭わないで済むように、過去にもどって自宅で過ごすことを提案して「これで無事に事故に遭わずに済む」と安心していたら、思いもよらない別の方法でけっきょく恋人が死んでしまい主人公が困惑する、なんて展開になりがちだ。運命に翻弄され、どうあれ望まない未来しか選択できないでいる主人公の姿というのは、なんとも悲痛で胸をうつものがある。そんな話を湊人にすると、
「それは主人公が望んでループしているタイプだろ」
「だって自分の望む未来にしたいからループするんじゃない?恋人を救いたいとか、友達との約束を果たすとか」
「もう一つ、望まないのにループさせられちゃうタイプがあるだろ。おれはどっちかというとそっちの方が好みなんだ」
望まないループ。つまり一定の条件を満たせない限り、勝手に時間が巻き戻ってしまいいつまで経っても時間が先に進まない世界に巻き込まれてしまう、というパターンだ。
「えー、でもそのタイプのやつってだいたい怖いからなあ。わたしはちょっと苦手かも」
その手のアニメや漫画を見たあとの後味の悪さったらない。怖い思いを何度もしたり、目の前で同じ人が何度も死んだり……そのうち感情が麻痺してきて、目の前で繰り広げられる血みどろな展開さえも無表情で眺めている主人公を見ると、けっこう本気でゾッとする。
「まあ言っても創作だからな。ちょっとホラーな展開とかがあってもいいと思う。夢オチみたいなタイプも好きだな」
「うわああ!って叫びながらガバッてベッドの上で身体起こして、今までのループが全部夢だったってわかる、みたいなやつ?」
そうそう、と湊人は脚を組みかえた。
「おれはさらにその上のパターンも好きだな。全部夢だった、あーよかったと思っていつも通り生活していると……」
湊人はわたしの着ている部屋着のTシャツを指差して見せる。
「あれ、櫻子が着てるこのTシャツ、初めて見たなって気がつく。でも同時に、初めて見たなって感想を、なぜか前にも抱いたことがあるような気がしてくる」
「……うわぁ」
「そして徐々に、無限ループは夢だったのではなく、また違う世界線に迷い込んだだけだったということに気づくというタイプ」
「めっちゃ苦手だそれ」
やっと終わったと思っていた最悪の事態が、また再び別の形で襲ってくる絶望感は、想像するとかなり堪える。しかもその手の作品は、主人公が「もしかして自分はまた別の世界線に……?」と疑問を持ったあたりで完結しがちだ。あとはご想像にお任せしますというやつ。わたしはそうなると、見てしまったという感覚が強まってしまう。
「わたしその物語の続きを変に想像しちゃうから向いてないかも。この人はこの後こうなりましたっていうある程度の終決を見せてもらわないと不安になっちゃうんだよね」
「それは例えバッドエンドでも?」
「あー……そうかも。もうこのループからは確実に逃げ切れませんって言ってもらった方が、そういう作品なんだなって割り切れるからまだマシかな。もしかしたら脱する方法があるかも、みたいにチラつかせられたりしたら、どうやったらこの人は逃げ切れたかなとか延々考えちゃう」
そういう考えもあるかー、と湊人はその場でゴロッと仰向けになった。これは話に飽きたとか座っているのが疲れたとかではなく、議論がしっかり煮詰まってきたときに彼がよくとる行動だ。曰く、トークの満足感を全身で浴びている時のポーズらしい。
「このジャンルがしっかり根付いているからこそこのトークができると考えると、おれは嬉しいよ」
大の字になり、うっとりと天井を眺めて、湊人はだれに言うでもなくつぶやいた。なんで創始者目線なんだ。
◇◆◇
大の字になったまま、顔だけこちらに向けて湊人が言った。
「次は櫻子の好きなループ感について語ってくれよ」
さっきまで湊人が話していたループものは、いわゆるホラーサイドだ。わたしとしてはちょっと違う。会社の上司に自分の考えがいかに素晴らしいか伝えるごとく、わたしは頭の中で言葉を整理してから話し始める。
「えーと、ループものには探偵要素があるとわたしは嬉しいんだよね。気楽に『またダメだったな、時間戻そ』みたいな感じではないにしても、思考をまとめて手順を整理して、この場合はここで失敗したから次はこうしてみよう、みたいにロジックで攻めて欲しい」
例えば、自分が出先から帰ってくると、家の中がめちゃくちゃに散らかっていて、財布や通帳が全て盗まれているとする。そういえば玄関の鍵を閉め忘れていたことに気づき、時間を巻き戻してしっかりと玄関に鍵をかけたことを確認して再度出かける。帰ってくると、なんと家の中がめちゃくちゃで金目のものが盗まれている。家をよく調べると実は窓の鍵を閉め忘れていたことがわかり、今度は窓の鍵も閉め、他の出入り口も入念にチェックしてから出かける。しかし家に帰ると、やっぱり家の中はめちゃくちゃに……
「こうなってくると、鍵をかけたかどうかは実は本質的な問題ではないってわかるじゃない?鍵の有無にとらわれず、家の中をあさって金目のものだけを持ち出すことができる人物がいたってことになる」
「となると、わかりやすい例で言うなら鍵を元から持っている人物。つまり犯人は身内にいる、とかかな」
「そうだね。またはそのずっと前から家の中に潜んでいたとか。出かける直前のことだけ考えていたけど、もっと前に時間を戻したら実は他人が入り込める隙を作ってしまった瞬間があって、みたいな」
「無限ループと推理ものの掛け合わせか」
わたしの意図が湊人に伝わったらしく、彼は興奮気味の声を上げた。推理要素が入ってくると、ループそのものの立ち位置が変わる。抗えない脅威ではなく、その人物の持つ武器になるのだ。本格推理ものではなくなってしまうものの、SF要素ありきだと分かった上での推理小説もけっこう読み応えがあって、わたしは好きだ。
「さらに発展して、犯人は実は自分でした、みたいなパターンも面白くない?」
「ほお。『ドラえもんだらけ』的な感じか」
さすが、勘がいい。『ドラえもんだらけ』とは、原作の第五巻に収録されているドラえもんのストーリーの一つだ。ある夜、のび太から宿題を押し付けられてしまったドラえもんは、タイムマシンで2時間後、4時間後、6時間後、8時間後の自分を連れてきて、宿題を手伝わせようとする。数時間後の自分はなぜか全員、誰かに殴られたかのように傷だらけになっているが、なぜそうなっているかは現在のドラえもんにはわからない。眠気で気性の荒くなっている未来の自分達をなんとか諌めながら宿題を完了させるが、安心したのも束の間、睡眠中に叩き起こしたことで恨みを買った未来の自分達にタコ殴りにされてしまうのだった。
「なぜか誰かに殴られている未来の自分。でも殴ったのも殴られた原因を作ったのも、全部自分。ループしているのとは少し違うけれど、時間を巻き戻すことで起こる謎やハプニングも、タイムパラドックス系の醍醐味だよね」
「それでいうとさっきの櫻子の話も、実は部屋の中を荒らしていたのは自分自身だった、みたいな展開になるわけか」
「何回時間を巻き戻してもやっぱり荒らされてるから、もう思いっきり前の時間に戻ってあらかじめ財布と通帳を現代に持ってきちゃおう!みたいなね。そしたら財布も通帳もなかなか見つからなくて、散々探し回ったら部屋の中がめちゃくちゃ」
「無事に財布は手に入ったけど、過去の自分と鉢合わせしそうになって慌てて現代に戻って、結果的に何も盗まれはしなかったけれど部屋は自分で荒らしただけだった、ってきれいにオチがつくな!SFっぽさもあるしギャグ的な要素もあるし、対象年齢の幅も広そうだ」
ループものにはワクワク感が欲しいというわたしの意見も認められたようだ。子供の頃から本好きでいろんなジャンルのものを読んできたが、こういった少し笑えて、読み切った後に謎の解けた爽快感のあるSFものがかなり好きだった。それこそドラえもんなんて、子供の頃はSF作品だということさえ気づかないで楽しんでいた。人それぞれではあるが、わたしにはそんな『全年齢対象』みたいなループものが向いている。
湊人は一通り意見交換ができて満足したのか、うっすらと笑みを浮かべて小さく身体をゆすっている。たぶんさっきの自分達のやりとりを脳内で反芻して楽しんでいるのだろう。どうやら話はひと段落かな。わたしもようやく読みかけの小説に集中できる、と、ページを開きかけたその時だった。
「ところで、櫻子は今何周目なんだ?」
声が、聞こえた。
兄の声だ。間違いなくわたしの兄、五香湊人の声だ。そのはずなのに、まるで初めて聞いたかのように思えたのはなぜだろう。なんでこんなに、無機質なものに聞こえたのだろう。そして、質問の意味が、よくわからない。
「は?」
顔をあげると、目の前に湊人がいた。目の前というのは比喩ではない。本当に、文字通り目と鼻の先。互いの鼻と鼻が接触する直前のところに、湊人の顔があった。ほんの数秒前まで、床に寝っ転がっていたはずだ。その湊人が、わたしが小説に目を向けたわずかの間に、音もなくこの距離まで近づいてきた。どうやって?
「櫻子。今、何周目なんだよ」
湊人の吐息が顔にかかる。すごくすごく、冷たい。サーッと、自分の体温が頭からつま先にかけて順番に下がっていくのを体感できた。目を逸らすことができない。そしてやっぱり、質問の意味がわからない。
「……なによ。無限ループの話の続き? フィクションの世界の話なんだから、わたしはループなんかしてない。しようがない」
「そうか。じゃあ一周目なんだな」
「だからそうじゃなくて」
「おーい! この櫻子は一周目だってさ」
パッと、わたしから顔を離し、湊人は大声で呼びかけた。誰かに。誰に?今この家には、わたしと湊人の2人しかいないはずでしょ?
「たしかにおれと櫻子だけだな。でも2人しかいないだなんて、ひどいじゃないか」
湊人の声が、後ろから聞こえてきた。目の前に湊人はいるのに、後ろから。振り返る自分の首が、錆びついた歯車みたいにガクガクと震える。振り返った先には、湊人がいた。
「おれも湊人だよ。一周目の時の湊人だ。だから君は、正式にはおれの妹なんだ。おれも湊人だから、この家には櫻子と湊人しかいないっていうのはその通りだよな」
湊人が2人。悪い冗談だ。どこから連れてきたのこんなそっくりさん。ねえ、ドッキリだよね。そう言おうと、また振り返ると、
「あれ、三周目のやつはどこいった?」
「いや、おれが三周目だよ。五周目のくせになに生意気に質問なんかしていやがる」
そこには湊人が2人いた。2人の湊人が口論をしている。なに?なんなの?これじゃ湊人が3人……。
「おい、喧嘩するなよ。一周目の櫻子が困ってるだろ」
キッチンの方から声が聞こえ、そこからまた湊人が現れた。
「そうだよ、喧嘩なんかされるとうるさくて寝てられない」
2階から湊人が降りてきた。もうこれは確実にそっくりさんとかドッキリとか、そんなふざけた話じゃない。それじゃ説明がつかない。その場に現れた全員、いつもわたしが見ている湊人そのものだ。だからこそ、信じられないくらいに気持ち悪い。同じ顔、同じ服、同じ背丈の人間が、何人も集まって、同じ声でなにやら口論を続けている。声で耳が圧迫されて、そのまま頭がパンクしてしまいそうだった。
「おれが二周目の時だよ」
「でもそれじゃ三周目の時の辻褄が合わなくなるだろ」
「だったらまたもう一周すればいいんだよ、こんなのそう難しい話じゃないんだから」
もはや誰が誰に向かって話しているのかすらわからない。兄は何度も時間を巻き戻って繰り返していた?繰り返して、なにをどうするつもりだったの?それでそれぞれの時間軸の兄が今いっせいに集まっていて……?そんなバカな話があってたまるか!
混乱が極まり、恐怖と不安がない混ぜになる。目の前のグロテスクな光景に、漠然とした危機感を覚えた。この世界に巻き込まれてはいけない。どこにかはわからないけれど、とにかくどこかに逃げないと。このままじゃわたしは、
「ねえ、大丈夫? 顔色悪いよ?」
後ろから女の声が聞こえ、もうこれ以上、下がることがないだろうと思っていたわたしの体温が、さらに奪われていった。
不思議なもので、こんな状況なのにずいぶんと思考は冷静に働いている。この家には、櫻子と湊人しかいない。それは間違いないとさっき、湊人が言っていた。でも、じゃあ、今この家にいる女性は、わたししかいないはず。もっと正確にいうなら、『櫻子』しかいないはず。もっともっと正確言うなら、『櫻子』なら、何人いても、おかしくない。
「ねえ、大丈夫?」
喉にフタでも取り付けられたかのように声の出せないわたしとは対照的に、その声はずいぶんと流暢に喋っている。わたしが振り返るまでもなく、彼女はわたしの顔を強引に覗き込んできた。そこには、いつも鏡で見るわたし自身の顔があった。きっと真っ青な顔をしているであろうわたしとは違い、まるで何事もないかのような微笑を浮かべているわたし自身が、じっとこちらを覗き込んでいた。そして、ゆっくりと目を細め、口角をあげ、笑顔を作って見せる。間近で見る自分の笑顔というのは、こんなにもおぞましものなのだろうか。もはや眼球が見えないほどに細められた目と、歯茎まで剥き出しになるのではないかと思うほど持ち上げられた口角を見せつけながら、彼女は囁いた。
「つーかまーえた」
◇◆◇
「うわああああああ!!!」
ガバッとベッドから飛び起きた。はあ、はあ、と荒い呼吸を繰り返すが、一向に肺が満たされない。一度思いっきり口から酸素を吸い、わざと息を止めた。肺に酸素が入っているということを脳に自覚させないと、死んでしまいそうだった。大丈夫。息を吸えてる。そう自覚してから、一気に息を吐き出した。同時に身体中からブワッと汗が吹き出してくる。髪の毛の生え際なんて、お風呂上がりかと思うほどぐっしょり濡れていた。
「……嫌な夢だった、なあ」
ぽつりと呟いた声はガサガサに掠れていてまるで老婆で、何十歳分も歳をとったかのようだった。 廊下からバタバタと足音が聞こえてきて、血相を変えた湊人が部屋に飛び込んできた。
「櫻子?! どうした!」
寝癖もボサボサのまま、寝巻き姿で現れた兄。そのあまりにいつも通りの姿を見て、ああ、本当に自分は嫌な夢を見ていただけだったんだなとわかりホッとする。
「ごめん、なんか変な夢見ちゃって。もう大丈夫。起こしちゃったね」
わたしが身体を起こしながら謝ると、湊人は破顔して「何事かと思ったよ」と胸を撫で下ろしいてた。時計を見ると、まだ午前8時にもならない。夏休みの朝と考えるとかなり健康的な時間に起きられたものだ。
「せっかくだからこのまま起きて、朝飯でも食べるか」
言って、湊人はリビングに歩を進めた。
「櫻子と話したいこともあるしな」
「うわー、お兄ちゃんのそのセリフ聞くと本当にここは現実なんだなってホッとする」
「どんだけ悪夢見てたんだよ」
2人で談笑をしながらリビングへ向かう。よく見ると、兄は左手に一冊の雑誌を持っていた。わたしの部屋に駆けつけた時にすでに持っていたとすると、ちょうど部屋で眺めていたところでわたしが悲鳴をあげ、慌ててそれを手にしたままに走り出した、といったところか。もしかしてさっきの話したいことっていうのもこの雑誌関連のことかもしれない。タイトルは……?
表紙こそ見えないものの、背表紙がちょうどこちら側を向いており、その文字はわりとはっきりと見ることができた。
『無限ループ読本〜こうしてあなたも回転する〜』
どこで買ったんだそんな本。どこが出版したんだそんな本。
またぞろよくわからない本をよく見つけて……
……あれ?
最初のコメントを投稿しよう!