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自宅、リビングにて〜追い詰められた犯人と白い恋人〜
スマホのモバイルバッテリー、ハンカチ、ポケットティッシュ、2日分の着替え、日焼け止め、トラベル用のハンドクリーム……小さなキャリーバッグの中に荷物を詰めこんでいく。どう置けば有効にスペースを使えるか考えるこの作業は、パズルみたいでちょっと楽しい。
「まあ最悪、財布とスマホさえあればなんとかなるか」
自宅、リビングにて。床にバックを広げて荷物整理をしているわたしを、兄の湊人が遠目から不思議そうに覗いていた。聞かれる前にこちらから声をかけた。
「お兄ちゃん、わたし明後日から2泊3日で新潟行ってくるから」
「新潟? またずいぶん急だな」
湊人は素っ頓狂な声を出して近づいてきた。正直わたし自身も、明後日には新潟にいるという実感はないので、湊人の驚きもよくわかる。本当に急に決まった旅行で、わたしも焦って準備しているのだった。
「夏休みなのにどこにも行かないなんてもったいないよって、佐々野ちゃんが誘ってくれたの」
「佐々野ちゃん……ああ、佐々野ちゃん。2丁目の。じゃあ2人旅だな」
佐々野ちゃんは小学校からのわたしの同級生で、中学の時は部活も一緒だったこともありそれなりに仲がいい。たしかお姉ちゃんが湊人の同級生にいたはずだから、それで彼もすぐにピンときたのだろう。休日は本さえ読めれば満足できるわたしとは違い、彼女はかなりアクティブだ。休みの日には必ずどこかに出かけている。
「新潟のどこに行くの?」
「笹川流れってところ見てくる。知らない場所だったんだけど、調べたらすごいキレイだったよ」
言うと、湊人はすぐにスマホを操作して、
「……うわ、すごい、崖だ。海もキレイだしまさしく観光地って感じだな」
自分が今からいく場所を褒められると、なぜか自分が褒められたみたいに嬉しい。笹川流れは新潟にある景観スポットだ。海岸が11kmも続いていて、そこには日本海の波で自然にできた岩礁や洞窟がたくさんあるとのこと。近場にある会館から見られる夕日なんかはかなりの絶景だそうだ。佐々野ちゃんは海とか川とか、そういった水関係の自然が見られる場所が好きらしい。曰く、自然の力強さを感じると、どんな悩みもちっぽけに思えるとか。
湊人は笹川流れの画像を何枚も漁りながら、「へー」とか「ほー」とか感嘆の声をあげていた。兄妹そろってインドア派ではあるが、別に出かけるのが嫌いなんてわけではない。素直に「羨ましいなあ」と口にしてくれた。
「女子高生2人で崖に行くっていうのもなかなか渋いな」
「崖というか海を見るのがメインだと思うけどね」
「まあ楽しんできてくれよ。船越ちゃんにもよろしくな」
「佐々野ちゃんだよ。今完全に崖=船越英一郎っていうイメージだけで話してるでしょ」
またこの兄はくだらないことを。ちょっと面白いじゃないか。
◇◆◇
バッグの中を再確認し、あとは当日の朝にメイク関連のものを入れる程度で問題ないだろうというところまで片付いた。帰りにはお土産を入れられるだけのスペースを空けて……と、そこで気づく。
「そういえばお兄ちゃん、お土産何がいい?」
「面白そうなやつ!」
質問するやいなや、今の今までぼんやりとスマホをいじっていた人間とは思えないほどにキラキラした目をこちらに向け、湊人は叫ぶように言った。予想を裏切らないその返答にちょっと呆れる。
「言うと思ったよ……お兄ちゃんの気にいるおもしろグッズを買える自信はないから、具体的に言って」
中学生の頃に行った京都への修学旅行でも、わたしは湊人にお土産を買った。その時の彼の注文も「面白そうなやつ」。まだ若すぎたわたしはその注文を真に受け、健気に兄が面白がりそうなものを探し回った。帰ってからパッと本人に見せたときに、これは面白いねと言ってもらえるものを買わなくては。そう思うともう何を見てもつまらないものにしか見えてこず(そもそも面白いお土産ってなんだ)、お土産選びがちっとも楽しめなかった。半泣きになり、面白いかどうかの恐怖に怯え、かつ友達にドン引きされながらわたしが買ったお土産は、
「あれはよかったよなあ。八つ橋味の歯磨き粉。おれの人生史上最高のお土産だ」
「やめて、本当にやめて。わたしはあれを買ったことで友達3人くらい失ったと思ってるんだから。あといつまでも部屋に飾っておくのもやめて。早く使い切って」
「おれは4年に1度しかあれを使わないって決めてるんだよ」
「歯磨き粉界のオリンピック代表選手か」
正直もうお土産を買わないという選択肢もあったが、それはわたしの良心が許さなかった。別にどんな注文を受けようと、ぜんぜん関係いないものを買ってきたところで文句を言う兄ではないが、念のため聞いておくのが優しさというものだろう。すると湊人が言った。
「意外性のあるお土産を考えてみるのも面白そうだな! ちょっと意見を出し合ってみようぜ」
「その意外性のあるものを探して買ってくるのはわたしなんですけど……」
◇◆◇
お土産の定番といえば、すぐに思い浮かぶのがご当地お菓子だ。北海道の白い恋人、東京都の東京ばな奈、静岡県のうなぎパイなど、食べたことはなくても聞いたことくらいはあるようなものが多い。他にも、そのテーマパークにちなんだお菓子もよく見る。○○水族館の限定チョコレートとか、ディズニーのキャラクターが印刷されているビスケットなんかも代表格だろう。
「お兄ちゃんとしては、そういうのは嫌なわけよね」
「嫌とは行ってないぞ。お土産買ってきてもらって、ようはお金を使ってくれてるわけだし、何だって嬉しいさ」
湊人はいかにも心外といった感じで話した。
「ただ何がいいかって聞かれたら、面白いやつって言っちゃうなあ。その人の個性も出るし、なによりお互い話の種になるだろ。おれ妹からこんな変わったお土産もらったんだぜ、とか話せたら楽しいじゃん」
そう聞くとわりとまともなことを言っているように聞こえるから不思議だ。そして、どうやらそんなに難しく考えなくてもいいようだとわかりホッとする。
「じゃあわかった、あんまりご当地感を出してないけど、その土地でしか手に入らない、みたいなやつだといいんだね」
「その感覚だな」
「お兄ちゃんから例を出してよ。そしたらわたしもイメージつきやすいし」
わたしが言うと、湊人は腕を組んで考え出した。ここで眉間に皺でも寄せていれば、ほら、自分でもなかなか思いつかないでしょと言えるのだが、湊人はこういう時は口元に笑みをたたえて楽しそうに思案する。思考をまとめているのかむにゃむにゃと何事か口走ったあと、よし!と膝を打ってこちらに笑顔を向けてきた。
「整理しながら話すぞ。まず、ご当地感を出してはいけないってわけではない。結局はお土産なんだし、その土地でしか買えないっていう特別感は欲しいわけだし。いかにさりげなくご当地をアピールするかが問題だ。だからとりあえず、定番になりがちなお菓子系は今回は外そう。意外ではないしな。同じ理由で飲み物とか、他の食材系もなしだ。ご当地レトルトカレーとか、そういうやつ」
「まあそうなるよね」
「となると実用的なものが候補になる。例えば水族館だったら、イルカの絵がプリントされたハンドタオルとか、靴下とか」
たしかにその手のものは、お土産コーナーによくあるのは見るものの、お菓子に比べてもらう機会は少ないかもしれない。
「でも別に意外ではなくない?」
「だな。だからここで、実用的ではあるけれど、おれたちの年齢的にあんまり使い所がなくなってきているものにシフトしようと思う」
湊人の話のペースが上がっている。身振り手振りが大きくなっているところを見るに、いよいよオチを言うぞと興奮しているのだろう。
「その土地でしか買えなけれどお菓子ではない。実用性はあるけれどおれたちの年齢ではあまり使わない。さらにもらったことがある人の方が少ないであろう意外性のあるものといえば」
一拍置いて、
「ご当地学習帳だ!」
「……え、なにそれ」
湊人の置いた一拍とはまた違う種類の拍を置きながら尋ねると、湊人は嬉々として説明し始めた。
「学習帳ってあったろ、小学生の時に漢字の書き取り練習したり算数の筆算書いたりしたやつ」
「ああ、あったね。落書き帳みたいにしてる子もいたけど……あれってご当地あるの?」
あるんだなこれが、と湊人はスマホの画面を見せてきた。見ると、見慣れた学習帳の表紙に歴史上の偉人やお城の写真が載っているもののサンプル画像が並んでいた。わたしはそもそもこんなものがあること自体知らなかったので、けっこう衝撃だ。
「面白いね! これだったらどこにいった時のお土産なのかもすぐわかるし、この歳にもなるとあんまり使わないのもあって、そういえば学習帳なんてあったなあってところからスタートするし」
「しかも、話の種になりそうだろ」
得意げな湊人。今回ばかりはかなりお見事だと思ってしまった。意外性も抜群だし、日常遣いはしないまでもメモ帳にもできるから決して邪魔にもならない。さすがは言い出しっぺだ。
「さて、櫻子はどう思う?面白そうなお土産」
「うーん……ちょっと待ってね」
考えてはみるが、湊人の答えが今回は鮮やかすぎた。この感じだとなにを言っても二番煎じになりそうで少し怖い。
わたしも考えを整理してみよう。今の湊人の考え方を真似するのであれば、そのお土産がどこ産のものなのかが少しわかりづらい形で相手に伝われば、それがそのまま意外性につながるのではないか。となると、そのお土産そのものはなんでもいい。それこそそこらへんで売っているお菓子とかでもいいのでは……
「櫻子、何か思いついたね」
わたしの表情の変化に気づいたのか、湊人が言った。気づくとわたしは腕を組んで口元に笑みをたたえていた。さっきの湊人と同じことをしてしまっている。やっぱりわたしたちは兄妹なんだなとこんなところで実感した。それはさておき。
「そうだね。けっきょくお土産の中身が重要ではないんだもんね。大事なのは、意外性とご当地感。だとしたら、明らかにどこでも買えるものなのに、確実に旅先で買ったぞというのがわかれば、最高に面白くなる」
「じゃあ、櫻子の買うお土産は?」
わたしは息を吸い、止めた。これは、けっこう自信がある!
「コンビニで買ったブラックサンダーに、旅先の支店名が書いてあるレシートを添えて渡す!」
「え!ずる!」
湊人の声がわたしの声量を上回った。
「意外性はあるけど、それ人によっては怒られるぞ」
「でも間違いなくご当地だし、話の種にもなるでしょ?」
わざと胸を張っていって見せる。湊人も「怒られるぞ」なんて言いながらとても楽しそうな顔をしていた。この辺、わたしたちは感覚が同じなのだ。さらに追い討ちをかける。
「もしそれだけじゃ気に入らないっていうなら、そこのコンビニでビニール袋もらって中に空気パンパンに入れて渡してあげる! その土地の空気まで一緒にプレゼントしちゃう」
「それは確実にいらないだろ」
わたしのジョークが通じたのか、湊人は盛大に笑ってくれた。ウケた!なぜか達成感にあふれるわたしの胸中。
実はこれだけ話しても湊人になにを買ってくるかはまったく決まってない。しかしここでこれだけウケたのは非常にありがたい。最悪、ほんとに袋の中に空気を詰めて持って帰ってこようという腹黒い考えのわたしもいた。
◇◆◇
2日後。すっかり荷物の準備を終えたわたしは玄関先でスニーカーを履いていた。外は相変わらずの猛暑なので本当はサンダルがよかったが、少しでも歩きやすい方がいいだろう。湊人はめずらしく早起きして、わたしを見送りに玄関まできてくれていた。
「楽しんできな。ここからはどうやって行くの?」
「ああ、向こうのお母さんが車出してくれるから、まずは家まで歩いて行くんだ。駅まで送ってもらって、そこからは新幹線」
「そうか、ご近所だしな。お母さんにしっかり挨拶するんだぞ」
「子供じゃないんだから」
変なところで心配性な兄をあしらいつつ、身の回りの最終チェックをする。ポケットにはスマホが入ってるし、ハンドバッグには財布も入ってる。お金も昨日おろしたばかりだし……
「大丈夫そうかな」
「そうか、じゃあいってらっしゃい」
うん、と頷いて、わたしは言う。
「行ってくるね、船越ちゃん家」
「は?佐々野ちゃんだろ?」
……。
…………。
………………。
気づくまでに時間がかかった。いや、時間はかかったが気づいてしまったというべきか。わたしは今、間違いなく、思いっきりスベった。
「……あ、もしかして今の」
湊人がどこか得心したように言い、言いながらみるみる顔がにやけていく。まずい。これはまずい。
「やめて、言わないで。いってきます、帰りは遅くなります」
「おれが一昨日使ったあの雑な小ボケ、櫻子気に入ってくれてたのか!」
「違う! 違うから! とにかくいってきます!」
「そうかそうか、船越ちゃんのお母さんによろしくな」
「佐々野ちゃんだから! いってきます!」
「火曜サスペンンス劇場」
「やめてってのに!」
ああもう!一昨日、うっかりちょっと面白いなんて思ってしまったわたしが馬鹿だった!湊人ならすぐに気づいてそれなりに拾ってくれると思ってたのに!
後ろ手に思いっきりドアを閉め、ズカズカと歩道を踏み鳴らすようにして歩いた。まだほとんど外気に触れていないのに、体感でわかるほど顔が赤い。佐々野ちゃんの家に着く頃には治っていることを祈るしかないか。スベったわたしが悪いのはもちろんわかっているが、この瞬間、湊人へのお土産は『笹川流れの空気』にしようと心に誓った。
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