自宅、リビングにて 〜何もない日と13回見た彼女の笑顔〜

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自宅、リビングにて 〜何もない日と13回見た彼女の笑顔〜

 目の前で扇状に広げられた2枚のカードを、わたしは睨むように見た。    どちらかが数字の6、そしてどちらかがジョーカーであることは分かりきっている。わたしの手元にあるカードが、数字の6だからだ。確率は2分の1。右か、左か……   「……右!」    湊人が持っているそのカードの右側を、わたしは勢いよく取り、そして目に写す。  カードに印刷されているジョーカーと目が合った。   「んぐっ……!!」    声にならない声を発したわたしに構わず、湊人はスッと6のカードを奪い去った。   「すまないな櫻子。君の負けだ」    わざとらしく作った低音ボイスに、細めた目。たぶんキメ顔・キメ台詞のつもりなんだろうが、口元がにやけそうなのを必死にこらえているのがすぐにわかる、絶妙に腹立つ顔だった。怒りに任せ、わたしは手元に残ったジョーカーのカードを握りつぶしながら叫んだ。   「またああ?! ババ抜き13連敗とか普通ないでしょなんかイカサマしてんじゃないのお兄ちゃん!!」   「うおおお櫻子当たり前のようにカードを握りつぶさなでくれええ!!」    自宅、リビングにて。わたしたち兄妹はババ抜きに興じていた。この令和の時代に、と思うかもしれないが、これがやってみると案外ハマる。ただ相手のカードを引いて数字が合ったら捨てて、最後に手元にジョーカーが残ったら負け、という単純なルールのおかげで、頭を使うことなく楽しめる。楽しめると言いつつ、場合によってはジョーカーを握りつぶす女子高生が誕生してしまうこともあるのだから侮れない。    ただ時間を持て余したので、なんとなくわたしから兄の湊人を誘ったら、彼はノリノリで参戦してくれた。実は最初の勝負はわたしが勝ったのだ。すると湊人が「おれ、次からぜったい負けないわ」と啖呵を切ってきたので受けて立った。    2回戦目はわたしの負け。これで1勝1敗。2回戦目もわたしの負け。これで負け越し。次で2勝2敗にしてやる、と勢いこんだが、それでも負けて1勝3敗に。結果的に湊人はあの宣言通り、その後一切負けることなく13連勝してみせたのだ。 「どうなってんの? わたしどっち側にジョーカー持ってるか分かりやすい?」   「いや、別にそんなことないけど……感だな、こればっかりは」    誰かのせいでシワシワになっているジョーカーを手でこすって伸ばしながら、湊人は答えた。   「子供の頃なんかはよくやったろ、ババ抜き。櫻子にルール説明した時のこと、なんとなく覚えてるよ」    そういえばそうか。わたしは湊人からババ抜きのやり方を教えてもらったのだった。当時わたしは3歳くらいだったか。その頃は、トランプそのものが完全に未知のものだったということもあり、かなりワクワクしたのを覚えている。絵柄のカードを、キングやクイーンと呼ぶということでさえ、かっこいいと思って嬉しくなっていた。   「いつのまにかあんまりトランプとかってやらなくなっちゃうんだよね」   「けっきょくゲームとか小説とか、1人でも楽しめるやつをやり始めちゃうんだよな。あと、子供の頃は楽しめてたけどだんだん面白みがわからなくなってくるものとかもあるし」   「お兄ちゃん的には、例えばなに?」   「1人スピード」    皺伸ばしを諦めて、手持ち無沙汰になった湊人は、残りのカードの束を適当にシャッフルし続けていた。   「なに、1人スピードって」   「スピードってあるだろ、トランプのゲームで」    確かにある。手持ちのカードを4枚、表面にして場に出し、合図とともに対戦相手と同時に表向きにしたカードを1枚ずつ場に出す。そこからはそのカードの前後の数字(5だとしたら4か6)をカードの上に重ねて置いていき、いかに早く自分の手札を無くすことができるかという、名前の通りスピードを競うゲームだ。それを。   「それを1人で……?」   「そう。どれだけ早く終わるかって、毎回タイム測ってたな」   「もうゲームというか、ただのせっかちなカード整理だね」   「でも不思議と子供の頃は楽しかったんだよな。タイムが早くなれば嬉しかったし、これなら無限に時間潰せるな、とか思ってた」    小学生の頃、わたしも湊人もそんなに友達が多い方ではなかった。別にいじめられていたとか遊びに誘われなかったとかそういうわけではないのだが、自分から誰かを誘うなんてこともしなかったし、放課後はまっすぐ家に帰ってきて家族と過ごすものだと思っていた。   「あの頃は櫻子を誘って一緒にやろうって発想はなかったな」   「えー、なんで?」   「ぜったいおれが勝つじゃん。そしたら櫻子だってつまらないだろ」   「あー……」    今でこそあまり感じないが、わたしと湊人は5歳差だ。小学生の頃の5歳差なんて、大人と子供くらいの差があるように感じたものだし、瞬発力の求められるスピードなんかは、確かに勝負にならなかったかもしれない。   「妹とはいえ、女の子と遊ぶのなんか恥ずかしい、みたいな理由かと思った」   「周りにはいたなー、そういうやつ。姉とか妹のことわざとすごい悪くいうやつね」    湊人は苦笑する。子供の頃の男女というのはどうしてああもお互いを非難し合わないといられなかったのだろうか。   「それで言ったらさ、わたしも1人でぬいぐるみ遊びしてたな。お母さん役とかお父さん役と決めて、全部に1人でアテレコしてた」   「ん? おれそれ何回か一緒にやらなかったっけ。お父さん役やった記憶あるぞ」   「……最初のうちは誘ってたんだよ」    1人でやっても面白くないからと、保育園児だったわたしは湊人にお父さん役をお願いしたことが何度かあった。彼は嫌がるどころかノリノリで演じ、なんならお兄ちゃん役もやろうかとまで言ってくれたのを覚えている。   「なんだ、おれけっこういい兄じゃん」   「いや、そうなんだけどさ、お兄ちゃんの演技が迫真すぎてわたしが引いちゃったんだよ。急に歌歌い出したりしてたでしょ」   「……したわ。した。おれあの時期、ディズニーにハマってたんだよ」    納得のいくようないかないような微妙な答えだ。わたしは当時、ただ普通におままごとらしい会話さえしてくれればそれでよかったのだ。だがわたしがぬいぐるみを通して「おはよう」と語りかけると「おはよう! WOW,WOW〜、それは朝を告げる魔法のおまじない〜」とか歌いだし、急におままごとをミュージカル風にされてからは自分からは声をかけなくなった。   「でもあれ、楽しかったよな」   「まあ今思えば、茶化すでもなく全力で乗ってくれてたんだから感謝すべきだったよね」   「おれたぶん、今誘われても同じノリで付き合える自信ある」   「わたしが誘わないから安心して」    今誘われたら、たぶんわたしも一緒に歌ってしまう恐れがある。そんなところで兄妹の血を感じたくはなかった。    あっという間に外が暗くなっていた。もう19時過ぎだ。真夏とはいえ、この時間になるとさすがに日も落ちる。   「いいかげん、ご飯作らないとね」   「だな、しゃべりすぎた」    2人して、とりあえず腰を上げる。ふらふらとキッチンへ向かうが、何を作るかなんて特に決めてすらいない。   「今日って親父たち帰ってくるかな?」   「月末までは帰ってこないっぽいよ、さっきお母さんからLINEきてた」    おれにもしてくれよ……とぶつぶつ言いながら冷蔵庫の中をあさる湊人。家族のグループLINEに来ていたメッセージだから、君が見ていないだけだよ、とは言わないでおく。いずれわかることだ。   「今日ちょっと多めにおかず作って明日は料理しないで済むようにしちゃおうよ」   「あのでかい鍋でカレーでも作るか」    2人で話しながら適当に料理を作るこの時間も、わたしは嫌いじゃない。食事が済んだら、もう一回ババ抜きでも挑んでみるか。    こんなふうに何事もなく1日が終わっても、たまにはいいだろう。
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