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キキキーという車のブレーキの音が痛い。
耳に嫌なブレーキの音だけが残る。
私、車に轢かれた? 生きている?
私は車に轢かれて死にそうになったらしい。
もう駄目だと思った瞬間、誰かが私を助けてくれた。
救急車の音が聞こえる。たくさんの人が集まっている。
助けてくれてくれた人は大丈夫だろうか?
不安になって何とか起き上がる。周囲の人が大丈夫かと寄ってくる。
救急隊員もやってきた。状況がわからないまま病院で検査を受けることになる。
警察の人に事情を聞かれる。車が私に向かって突っ込んできた。
しかし、それを見た同じ歳の少年が私を助けて倒れている。
名前も知らない会ったこともない少年。
なぜ、彼は命を張ってまで私を助けてくれたのだろうか?
私は念のため入院することになった。足のかすり傷と彼が無理に道路に押し倒した時の捻挫が残っただけだったけれど。病室にいると「無事で何より」と妙に納得している少年がいた。
というか、真横に立っている。いつのまに?
知らない人だ。親戚でも友人でもない。
「あなただれ?」
「俺は君を助けた翔太だよ」
「え? 何言ってるの?」
「仮死状態になっていて、本体は結構ヤバイんだけど、体だけがなぜか幽体離脱しちゃったみたいなんだ」
「どうして?」
「あの世への行き方がわからないし、もう少し生きたいっていう気持ちもあるしね」
「勝手にあの世に行けるわけじゃないの?」
「天国への行き方がそもそもわからない。地獄じゃないというのは確定なんだけどね。俺が瀕死状態となったとなった原因であるお前に色々手伝ってもらいたくてさ」
「あなた、本当に飛んでいるの?」
ふわりと宙に浮く少年はやっぱり普通の状態ではなかった。
彼は病室内を自由に飛び回るし、頭を逆さにしてその場にとどまる。
つまり、重力を無視した動きをする。
「まるで天使みたいな存在だね」
天使は人間を守護する存在であり、天を飛ぶことができる者だ。まさにそのものだった。
のちに、助けてくれた少年の写真を見せてもらったが、横にいる少年そのものだった。
両親と私は翔太君の家族に謝りに行きお礼をした。
しかし、真横で病院に入院しているはずの少年が元気に笑っている。でも、私にしか見えないらしい。
「私なんかより、あなたが生きていたほうがこの世のためになるとおもうの。あなたの話を聞いたら、勉強や運動ができる友達の多い人気者だったんでしょ。私はその逆だから」
「勉強なら俺が教えるし、運動ならば、君にのりうつれば簡単に速くなるって」
「そーいう問題じゃないよ。だって、あなたは生きるべき人で、その健康な体を奪ったのは私。ごめんなさい。あなたはきっと未練があるからここにとどまっているのかもしれない」
「未練はないけどな」
「うそだー。だいたい、あなたは私のことを知らないでしょ。しかも私がぼけっとしていたせいで……あなたの女友達からは抗議文が届いたのよ」
「人助けしたいって思っていたのは本当だ。それと、俺はおまえのことを知っている」
「嘘? どこかで会ったことあった?」
「同じ塾に通っていたんだよ。席は遠かったし、話したこともなかったけど。おまえが受験する中学を直接聞いて同じ学校を受験しようかって思っていたんだよ。だから、塾の帰りに車にぶつかりそうになったのをすぐに察知できたんだよ」
「あの時、受験校聞こうと思っていたの?」
うなずく翔太。というか、後ろからついてきていたんだ? 気づかなかった。
「俺はさ、違う小学校だけど君が持っていた空の写真集を拾って君に渡したことがあるんだ。同じ写真集を俺も持っていて、お気に入りだったからさ。趣味が合うかなって。それ以降話しかけてみようと思っていたんだ。でも、なかなかチャンスもなくて、塾でもクラスが別になったし」
「私、学力が低いからクラスが下がったせいか」
「しかも、その写真集はシリーズになっていて星の写真集、花の写真集も君はコンプリートしていた。俺のまわりにその写真集を持った人はいなくて。少し大人びた君を遠くから見ていたんだ」
「ウソ? でも、私、学校でも全然イケてないよ。友達も少ないし」
「それは、誰が決めたんだよ。イケてるとかイケてないとか、俺には関係ないよ。俺が君のために、学力を上げる手伝いをしてもいいし、運動神経を高める手伝いをしてもいい。そのうち全快できるかもしれないからさ」
イケメンで何でもできるくせに、私のことを気になっていたの?
でも、瀕死状態なんだよね。どうしようもない事実。
意識が戻っても体に後遺症が残るのかもしれない。
元気に普通に生活できないかもしれない。
本人が一番不安なはず。なのに、呑気に隣であくびをしている。
「じゃあ、意識が戻ったら、何かねがいはあるの?」
「そうだなぁ。君の子供になりたい」
「何それ、旦那さんじゃないんだ」
「恋人や夫婦よりも親子のほうがずっと深い絆で一生結ばれると思うから」
しばらく、真横にいるイケメンはいなくなる様子はない。
「じゃあ、なかったことにできたらいいよね」
「事故がなかったことにするってこと? 難しいだろ」
「タイムリープすればきっと助けられると思うんだ」
「そもそもタイムリープなんて簡単にできないだろ」
「じゃあ、しばらく私のそばにいてよ。申し訳ないから、あなたのねがいは極力聞きたいと思うし」
「じゃあ、俺と一緒に添い寝してよ」
「はぁ?」
「実体がないんだから、問題ないだろ。触れることもできないし」
「仕方がないなぁ。命を助けてもらったお礼だから、できる限りのことはしてあげたいけれどね」
そんなこんなで夜寝るときに彼が添い寝をしたいとやってきた。即席の部屋用の小さなプラネタリウムを持っているので、その機械を使って部屋の中で人口の夜空を見上げた。人口でもなんだか神秘的で美しくて不思議な感覚になる。
一緒に肩を寄せ合いいつのまにか眠くなってしまう。
気づくと翔太は寝息をたてている。
翔太は死んでいるのに、まるで生きているかのように眠っていた。
緊張しているこっちのほうが馬鹿らしく思える。
意外とそばにいると安心したというパターンなのだろうか。
って私にはそんな経験なんてないから、パターンも何もわからないけれど。
命がけで守った代わりに願望をかなえてほしいという翔太。
許せる範囲の願望ならば、極力何かはしてあげたいとは思う。
人には見えない死んだはずの翔太は毎日笑顔で元気に過ごしている。
家族が涙しているのをしっているので、元気な彼を見せてあげたいけれど、それは不可能なようだ。
一緒にいてわかったことは、眠るけれど食事をすることはないということだ。喉も乾かないしお腹もすかないらしい。疲れるという感覚もない。でも、普通の人間のように喜怒哀楽はある。空を飛んだり壁をすり抜けることは簡単らしい。
普通意識不明の重体になったら、悲しい気持ちになるけれど、こんなにそばにいられたら親近感がわくし、悲しい気持ちにはならない。一種の親友のような感覚かもしれない。さびしい時に話しかけるといつでも応答してくれる人。元気な時にもっともっと話をしてみたかった。彼を知りたかった。後悔すでに遅し。
「こんどの休日はデートしてよ」
「傍から見たらひとりで遊びに来てる人になっちゃうから、極力人目につかないところがいいかな」
「じゃあさ。水族館とかなら、静かだし、一人でも変じゃないんじゃない? デートっぽいしさ」
「デートが幽体離脱状態の人間とだなんて、ちょっと理解に苦しむけれど、あなたには恩があるしね」
「未練がなくなれば、多分戻れるような気がする。俺、おまえともっと話したり出かけたりしたいって思ってたから」
「でも、私なんかのどこがよかったのかわからないなぁ」
「おまえ、意外と人気あるんだぞ。塾内でも気になるとか、かわいいって狙ってる男子が多かったしな」
「そうなの?」
衝撃の事実に照れてしまう。
私が意外にも人気者だなんて想像もしなかった。
「あなたのほうこそ、顔はいい方だと思うし、モテたんじゃない?」
「あー、わかっちゃった? 俺ははっきり言ってモテる」
キメ顔の翔太に思わず爆笑。この人、意外と面白いことを言う。
「でも、これって思った女子としか付き合いたくないから、ちゃんと断ってた」
これって思った女子。すごくドキドキする言葉だった。
「こんなに順調に願望がかなうと、結構すぐに君のそばからいなくなるかも」
いなくなっちゃうんだ? 早くない? 後ろ髪が引かれる。
もし、彼がいなくなったら、話し相手も出かける相手もいない。
好きだと言ってくれる相手もいない。
さびしさが襲う。でも、彼にとっては本体に戻ることが絶対に幸せのはず。
「じゃあ、手をつなごうよ」
「やだ、だって、いなくなっちゃうかもしれないでしょ」
「へぇー。俺を束縛したいってわけね」
ジト目で私を見る。正解だけど、そこは否定も肯定もしない。
手を差し出される。まるでプリンセスみたいだ。
手をのせると幼稚園のときにつないだ手つなぎみたいな感じのぎこちない手つなぎが完成した。とは言っても、彼には実体はない。でも、一時的ならば手を繋いだ感じに近い感覚は出せるらしい。
沈黙の手つなぎは恥ずかしい、嬉しい、緊張が混合する。
水族館に行く日は、私の中の最高のおしゃれをしてみる。
好きな人と行くデートだから、気合入れる。
世間的には、意識不明っていうことだけど、彼は私の中では元気に生きている人間だ。
親には一人で行くということで、まさかデートだと思われることもない。
元々男子友達もいないし、地味で真面目な私が水族館に行くと言えば、勉強のためにいくのだろうとおこづかいまで奮発された。デートだけど、勉強もしてくるから嘘ってわけじゃないよと心の中でつぶやく。
「デートって俺、はじめてだぁ」
「私もはじめてだよ」
「俺たち初めて同士ってことで、仲間だよな」
にやりとする翔太。
「正直、他の奴とデートの経験あるって聞いたら嫉妬しそうだし」
さりげなくドキンとする言葉を投げかける翔太。
多分、私も同じく翔太が誰かとデート経験があるならば嫉妬するだろう。
イルカショーでは最前列で水を浴びたけど、翔太は実体がないから濡れてないし。
でも、イルカに触れたりすることができたから、良しとするか。
室内の空間はとても穏やかな空気が流れている。
ほどよい暗い照明がいい感じの雰囲気を醸し出す。
翔太と一緒にまた来たいな。
横には若干宙に浮く翔太がいる。
かわいい顔をしている。
アイドルの誰かに似ているような気がするけれど、芸能人に詳しくないから全然わからない。もし、彼ともっと昔から友達だったら、もっとずっと素敵な時間を過ごせたかもしれないのに。どうしてだろう。自然と涙が流れる。
「どうした?」
翔太が焦った顔をする。
「広い水槽を眺めていたら、なんだか涙が流れたの」
「なんだよそれ。俺がそばにいるから」
「ずっとそばにいてくれる? いなくならない?」
「ずっとそばにいるよ」
手をぎゅっとにぎってくれる。体温はないはずなのに、ぬくもりみたいな愛情が流れてくる。この人は優しくてお人好しで、すごくまじめで純粋な人。
なんとなく安心して涙をぬぐう。お土産売り場で一緒に買い物をする。もちろん翔太はお金はもっていないし買い物はできないけれど、一緒に選んだりするだけで心地よい時間が流れた。私は幸せ者だ。
「そろそろ、願望もかなったし、その時がきたかも」
帰り際に言う翔太。
焦る私は取り乱す。
「だめ!! ちゃんと私のそばにいてよ。だって、大好きになっちゃったんだから」
「でも、俺、今後本体は健康体かどうかもわからないし」
「それでもいいから私は翔太がいいの」
実体のないはずの彼の胸に飛び込む。
実体ではないので、心臓は動いていないから彼から鼓動は聞こえない。
でも、すごく嬉しそうな顔をしたのを見逃さなかった。
「俺も大好きだよ。実は告白したのも初めてなんだ。手を繋いだのだって全部初めてづくしだからな」
「私だって、全部初めては翔太とだよ」
「っていうか俺、やっぱり元へ戻る方法がわからないんだよな」
「それでいいんだよ。我がままだけれど、そのままで私の力になってよ」
「俺、おまえに恋人ができたらめちゃくちゃ嫉妬すると思うし」
「大丈夫、翔太以上に好きになる人なんていないよ」
「マジで言ってるのか? 命を懸けた甲斐があったかもしれないな」
頬が赤い。幽霊も頬が赤くなるらしい。
翔太の場合レアケースだと思うけど。
私はきっと幸運だ。
初めて恋をしたのは、私のために命をかけてくれた少年だった。
初めての恋は彼とやりたいって思ってる。
ほんとだよ。
その後、彼はすうっと体が消えていなくなってしまった。
もしかしたら、本体に戻れたのだろうか?
それとも、最悪、亡くなってしまったなんていうことはないだろうか?
意識不明の重体ならばあるかもしれない。
どんな彼でもいい。体が不自由だとしても、翔太のそばにいたい。
走って走って、病院へ行く。息を切らし、全速力だ。
病院に行くと、翔太の意識が戻ったらしく、看護師さんと医師が慌ただしく動いていた。
病室の翔太に入り口で手を振る。
本体の翔太に会うのは初めてだ。
もしかして、記憶が無くなっているなんてことはないよね?
不安になる。
でも、翔太は変わらぬ笑顔で手を振り返してくれた。
後日、彼は事故の後遺症もなく日常生活に戻ったとメッセージが届いた。
最初に行った日に私の連絡先を教えておいたので、彼が元気になってスマホを操作できるようになってから、毎日メッセージを送りあっている。出会いは最悪だったけれど、私たちの絆は相当深い。
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