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3.ひとり、泣く
すうっと緑先輩が草むらの向こうに向けていた顔をこちらへ戻す。僕は入れ違いに顔を俯け、言葉を続けた。
「本当はお化け役、茜先輩だったんです。でも肝試しの段取りとかいろいろあるみたいで替わってって頼まれて」
僕は知っている。緑先輩と茜先輩。クリスマスカラーみたいだな、と周りにからかわれるふたりが本当にクリスマスカラーみたいに仲良くて、いつも一緒にいることを。
ふたりが付き合っていることを。
だから僕がこんな風に茜先輩をフォローしなくたって緑先輩はなにも思いはしない。茜先輩が緑先輩を避けたとかそんな風に感じるわけがない。
でもなぜか僕は口を動かしてしまっていた。
自分の気持ちをまっすぐに見ないために言わずにいられなかった。
「本当は茜先輩が良かったですよね。なのに、俺で……すみません。本当に」
「清貴さ」
緑先輩は多分、なに言ってんだ、気にするなよ、と言うだろう、そう思った。
そう言われたいと思っていた。けれど先輩の口から出てきたのは別の言葉だった。
「お前はなんで俺と茜をくっつけようとする?」
「え? だって付き合ってますよね?」
「誰と誰が?」
「茜先輩と緑先輩が」
「どうしてそう思う?」
感情の色が微塵も見えない声で緑先輩が問いかけてくる。僕は一度唇を引き結んでからぼそぼそと答えた。
「だっていつも一緒にいるじゃないですか。いつも緑先輩、茜先輩見てたし」
「……お前にはそう見えたんだ」
「は?」
ぽかんとした僕に緑先輩はため息をつきながらこつん、と後ろ頭を大樹に当てた。
「まあ、いいや。じゃあ少しだけ俺の話を聞いて」
緑先輩は片膝を引き寄せて抱え込むと僕の返事を待たずに話し始めた。
「去年の今頃かな。茜に相談された。好きな人がいるけどどうしたらいいかわからないって。俺はさ、茜にとって恋愛対象じゃなかった。だからなんでも言えたんだと思う」
「茜先輩が、ですか?」
混乱しながら尋ねると、うん、と短く答えてから、緑先輩は続けた。
「クリスマスカラー同士、助けてやりたいって俺も思ったから茜の相談にずっと乗ってた。なんとか茜がそいつと近づけるようにさりげなくアシストしたりさ。そのおかげか、茜とそいつは仲良くなっていった。一安心だって思った。思ったんだよ。本当に」
だけど、と続けられた声が掠れた。え、と覗き込もうとした僕から顔を逸らすように緑先輩は俯く。長めの前髪がさらりと先輩の目元を隠す。
「残念なことに俺がね、茜の好きな奴のこと、好きになってた」
「それ……あの、茜先輩は? 緑先輩の気持ちを知って……」
言いかけて僕は言葉を止める。緑先輩がゆっくりと顔を上げるところだった。
「知ってるから多分、お前をここに寄越したんだと思う。茜は友情に熱い女だから」
清貴、と緑先輩が僕を呼ぶ。声に引かれたようにざわり、と木々が揺れる。僕らの頭上を分厚く覆っていた夏木立の隙間からすうっと青白い月光が落ちてきて先輩の顔を照らした。
「茜が好きなやつ、お前ならわかんない?」
言葉をなくし僕は目を閉じる。
脳裏に浮かんだのは……茜先輩の横顔。そして、こちらに向けられていた緑先輩の真剣な眼差しだ。
だが、それらが示すのは、緑先輩の言う真実じゃない。
「緑先輩は、間違ってます」
緑先輩が首を傾げる。先輩の目を見つめ、僕は必死に口を動かした。
「茜先輩は緑先輩を好きだったんですよ。ずっと」
ずっと思っていた。茜先輩が見ている人と僕の視線の先にいる人は同じなんじゃないかと。そしてそれはやっぱり気のせいなんかじゃなかった。
「茜先輩が見ていたのは、俺じゃない。俺が見ているのと同じ人だった」
僕にはわかる。好きな人がいると嘘をついてまで一緒にいたいと願った茜先輩の気持ちが。
気の利く後輩の振りをしてでも緑先輩の傍にいたいと思った僕にはわかるのだ。
そして多分、茜先輩は……僕の気持ちも知っている。
頼んだからね。
そう言って僕の背中を押した茜先輩の手の熱が蘇る。
あれはどれだけの痛みをこらえて紡がれた言葉だったのか。
それがわかっていてこの道を選ぶ僕はきっとひどい人間なのだろう。それでも僕は言わねばならないと思った。
どうしても今、言うべきだと思った。
「俺は緑先輩が好きです」
緑先輩の目がふっと見開かれる。しばらくその目で僕を見つめた後、緑先輩は揺れる目を伏せ、うん、と頷いてから小さく、俺も、と付け足し、ふうっと息を吐いた。
「いずれにしろ……もうすぐ客が来る。しっかりお化けやろう。茜に怒られないように」
「そうですね」
この時間が終わったら。
僕は、茜先輩にどんな顔をしたらいいだろうか。
茜先輩は、許してくれるのだろうか。
怖い、とも思った。もう茜先輩が笑ってくれなくなることが怖いと感じた。
僕は、緑先輩とは別の意味で茜先輩だって好きだから。
でもそれでも僕は……。
頼んだからね。
そう言った茜先輩の声にすがりつくように僕は目を閉じる。
──人魂なんて本当にあるのか、と思っていた。
でもこんな風に頼りなく揺れるこの心は、まさにこの人魂のようだ。
遠く、悲鳴が近づいてくる。瞼を開けると、緑先輩が静かに頷くのが見えた。
揺れる心を抱きしめたまま、僕は静かに立ち上がった。
月光を受け、細く儚くひとり泣き続ける鈴虫の声がいつまでも僕の耳に残っていた。
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