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ガラスのシップ
2030年代、人類は月面に1000人を送り込んだ。
地球の地表から直線的に打ち上げるロケットは過去のものになり、飛行機をベースにしたスペースシップで安全に宇宙へ出られるようになった。
シップには、様々な測定機器が取り付けられ、数字や画像のデータを送る通信技術も飛躍的に進歩する。
10年前なら、細い通信網に乗せるため圧縮と間引きをしていたが、量子転送装置「スターネットワーク」によって膨大なデータを瞬時に送れる。
人類初の「宇宙カメラマン」として月面基地に降り立った美月 淑絵は、愛機 Canon EOS R3000 を地球に向ける。
防滴、防塵はもちろんこと、放射線もカットする。
絶対零度にも、摂氏500℃の高温でも使える。
宇宙服に身を包み、カメラを腹に抱え周囲を見渡した。
数十センチの角ばったレゴリスが、気を抜くと足元をすくう。
1/6の重力が辛うじて肉体を地面に押し留める。
空は漆黒の闇。
星がくっきりと見えた。
地球で生まれ育った者にとっては、いくら眺めても飽きないスペクタクルだった。
素晴らしい景観にしばたく立ち止まってシャッタを切り続ける。
カメラマンにとって、物を見る行為はシャッターボタンを押す行為である。
赤外線モード、放射線モードでも撮影し、肉眼で見えないものも捉えた。
もう撮るものがない、と感じた美月は基地の自室に戻った。
最新の宇宙服で守られた肉体には、ほとんど発汗がなかった。
鏡の前に座り、少々崩れたメイクを直す。
宇宙では水分が浸透しにくいため、皮膚の表面に乗せただけの口紅が崩れやすかった。
「美月様、基地所長がお呼びです」
メッセージに従って、所長室に入った。
「火星に向かってください。
ミッション・オブ・ロリー・ポリーに選ばれました」
所長は口角を上げ、短く端的に言った。
月の生活に憧れてやってきた美月は、火星、そしてタイタンに向かうミッションに参加できると聞いて小躍りして喜んだ。
「でも、なぜカメラマンの私なのでしょうか」
「未知の生命を見逃さずにシャッターを切る。
歴史的な画像を期待してのことでしょう」
早速月から火星へ向かうスペースシップの席を押さえた。
ガラスのシップと呼ばれ、360度どの方向へも窓がついていた。
シップに乗り込み、地球のジャンボジェットのエコノミークラスのような狭い座席に身体を押し込んだ。
窓からは月面の白い砂丘が見え、足元にはゴツゴツしたレゴリスが積み重なっている。
「皆様、この度は火星行きスペースシップ、通称「ガラスのシップ」をご利用いただき、誠にありがとうございます。
当機は最新技術により光速の半分ほどまで加速いたします。
安全には十分配慮いたしますが、太陽フレアやデブリの影響で揺れることがございます。
シートベルトサインが点灯したら、装着をお願いいたします」
ベルトを確かめていると、シップが静かに垂直離陸を始め、地面から離れた感覚がシート越しに伝わった。
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