第1話 シャッター音①(スマートフォン)

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第1話 シャッター音①(スマートフォン)

 スマートフォンに映る世界はなぜこんなに違和感があるのだろう。  カメラに切り替えたスマートフォンに映る本棚は殺伐と見える。中学生の時から必死に集めたCDの並びもどこか貧相で、この和室と同じで薄暗く色褪せている。CDを並べた時はカラフルで色鮮やかに見えたのに。  スマートフォンの端をタッチすると、間抜けな表情(かお)が現れる。インカメラに切り替えた瞬間に見える自分の顔はよく知っている顔のはずなのに、見知らぬ顔で不気味に見える。  スマートフォンを手にした腕に振り回されるように身体を動かし、親指を押すとシャッター音がした。無表情に写った自分は、何かがズレた自分に見える。  連続してシャッターボタンを押すとカシャカシャと薄っぺらい音を素早く返してくる。  その音に応えるように、腕を回しながら身体もぐるぐると回して、シャッターボタンを何度も押した。  見上げるように強く睨んだ顔がいい感じに思えた。だが後ろに写った穴の空いた(ふすま)が気になった。  この部屋で絵になるところなどない。  六畳の和室に置かれた二段ベッドの下の段は物置きとなっており、衣類ケースとパンパンに詰められた45Lの袋が無雑作に置かれている。  ベッドの向かいには学習机があり、その隣には衣装箪笥がある。箪笥の側面には、6月だというのに去年のカレンダーが掛かっていた。  この部屋で自撮りできるスペースは襖の前しかない。  後で背景を加工するしかないなと思い、再び襖を背にして、手にしたスマートフォンを掲げたところで襖が開いた。 「隆一(りゅういち)、何やってんのや」  その声は明らかにいつもより高くなっており、どこからそのエネルギーが湧いてくるのかというぐらいの勢いで笑い出した。 「カッコよく生んでもらえて感謝しいや」  そう言って笑うのは岡村隆一の母、富子(とみこ)だ。   冗談で言っているように見えるが本気で言っている。隆一が小学生の頃からずっと言っている記憶がある。隆一がはっきり覚えているのは小学4年生の時の参観日の帰りだ。    校門前でお母さんたちによる井戸端会議が行われていて、隆一たちはお母さんの話が終わるまで、山崩しをしながら待っていた。山崩しというのは、小さな砂山に小枝やアイスの棒を刺して、順番に山を削って、小枝を倒した人が負けとなるゲームだ。  山崩しに集中していた隆一だが、お母さんたちの声が大きく、聞きたくなくても、お母さんたちの会話が隆一の耳に届いた。 「隆一君なんか、大きなって男前なったねぇ」  同じクラスメイトのお母さんが隆一を褒めていた。子供ながらに、お世辞を言っているのは隆一にもわかった。だが、富子はその言葉を待っていたかのように、否定することなく、「そやねん」と言って大きな声で笑い出した。  富子の声は大きく、風貌もまわりのお母さんたちの中でも一際目立っていた。一緒に山崩しをしていた友達から「雪だるまやな」と言われて、隆一も納得してしまうほどの体格だ。ベージュ色のスーツが横に伸びて、ボタンで辛うじて留めてある感じだ。  隆一はあまりにも恥ずかしくて、その場から逃げたかった記憶がある。  自分の息子を男前と言って笑う富子の気持ちが隆一にはわからなかった。  俺のどこが男前というのか。  隆一がそう感じるようになっても富子の息子自慢はブレなかった。もちろん隆一が高校3年生になった今でもそれは変わらない。 「男前の自分に見惚れてたんか。ご飯やで、早よ食べてや」  富子は何に急いでいるのかいつでも「早よ」を付ける。 「後で食べるから置いといて」  そう言って襖の引き手に触れた時、とても良い匂いがした。肉の焼ける匂いだ。 「お父さんが買ってきた肉すぐなくなるで」  富子の意地悪な返しはお約束だが、父、和樹(かずき)はなぜ肉を買ってきたのだろうか。  買い物は普段富子が全部やっている。和樹は気まぐれに蟹や魚、刺身を買ってくることがあるが今度は牛肉だ。大抵は良い時ではなく嫌なことがあった時に買ってくる。大きな蟹はリストラされた時に買ってきた。牛肉のレベルが高いと相当な事があったのではないか。  台所に行くと皿に大きな肉が乗っていた。それを見てつい言ってしまった。 「なんかあったんか」 「なんもないわ」  間が全くない返しだった。  和樹はいつものパジャマに着替えており、穏やかな表情に見えた。すでに缶ビール1本空けているようだ。  和樹は疲れたとは決して言わないが、毎日、疲れ果てた青白い顔で仕事から帰ってくる。  居間のテレビがよく見える台所の席で缶ビール1本飲むと、和樹は一歩で居間に入って崩れ落ちるように寝てしまう。  だが今日の和樹の顔は血色がよく、少し赤くなっていた。何があったんやと隆一は不審に思いながらも、目の前の肉があまりにも美味しそうで、そのまま席に着いた。  隆一はテーブルに最近見ない茶碗が置いてあるのに気付いた。 「今日、姉ちゃん帰ってくるんか」  富子は当たり前のように「そやで」と答えると同時に山盛りのご飯を隆一に手渡した。  どんだけ食わすねんと心でツッコミながらも心踊っていた。こんな大きな肉を食べたことがない。丸皿の端から端まである大きな牛肉だ。 「久しぶりの牛や」  隆一は食卓で滅多に見ることのないナイフを手にした瞬間に富子が手を伸ばしてストップをかけた。 「凛花(りんか)もうすぐ着くから待ちや。駅出たって連絡きたから」  富子がそう言ってすぐに玄関から音がした。 「おかえり」と大きな声で富子が迎える。  凛花は拗ねた声で「ただいま」と言って、小さな鞄と紙袋を居間に置くと和樹の前に座った。  凛花は母富子と違いスタイルが良く、本当に親子なのかというくらい身体の幅が違う。父和樹は細身でがっちりした体格というのもあって、凛花は和樹に似ているとよく言われていた。  富子は身体は大きいが鼻筋が綺麗で、目も程よく大きく、色白で綺麗な肌をしていた。良く見れば富子と凛花は似ているなと隆一は思っていた。だがそんなことを言うと富子が馬鹿笑いして喜ぶだけなので、口にしたことはなかった。 「今日は何なん」  凛花が缶ビールを開けながら聞いた。 「ほんまや、何なん。肉買うて集まるって」  隆一も何も知らなかった。 「お父さん、転職しました。しかも前よりいいところに」  富子が和樹を見ながら答えた。  凛花の顔が一瞬硬直したのが隆一にもわかった。 「また転職したんか」  凛花はあっという間にビールを飲み干した。それを見た和樹は真後ろにある冷蔵庫から凛花に素早くビールを手渡した。 「給料は前より上がったんか」 「来年まで働いたら上がる約束やねん」  凛花は「なんやそれ」と言って、肉にかぶりついた。  富子は凛花の表情を気にすることもなく、ずっと笑顔で御菜(おかず)を並べている。  隆一はやっとれんなと思い、小さく手を合わせると、肉にナイフを通した。力なく切れる肉だった。肉汁溢れる美味しい牛肉(ステーキ)に心から感動した。和樹の転職祝い最高やんと思った。  凛花は就職した去年家を出たのだが、2、3か月に1度は、こうやって一緒にご飯を食べに帰ってくる。今回は富子が強引に誘ったのだろう。  凛花は文句言いながらも、肉やポテトサラダをパクパク口に入れていく。相変わらず元気な凛花に隆一は安心した。  少し感情的でよく怒る凛花は、隆一にとっては恐くて、優しい姉だった。  凛花が中学2年生で隆一が小学4年生の頃、凛花の机の引き出しにあった手紙を隆一が勝手に読んだことがバレて、隆一はボコボコにどつかれた。顔に(あざ)ができるほどの力だった。  その力は困った時も発揮してくれた。  隆一が高校に入学する頃、和樹がリストラされた。呑気に隆一は蟹を「美味しい美味しい」と言って食べていたが、裏で和樹は凛花に酷く怒られていた。  隆一の高校の制服、教科書、体操着、入学にかかるお金などを全て凛花が出してくれた。  体力に自信があるとバイトを昼夜問わず働いて払ったのだった。当時、短大に通っていた凛花は単位がやばくなったが無事留年することなく卒業できた。  そんな経緯もあり家族で凛花に逆らえる者はいなかった。  和樹はある程度飲むと隆一に必ず言う。 「なんか歌え」  小さい頃から歌わされる隆一は何の抵抗もなかった。  隆一は適当に鼻歌から入って、最近流行りのシンガーソングライターの歌を歌い始めた。  和樹はゆっくり席を立つと、台所の隅に、縦積みにされたCDの側にあるギターを手にした。  水色のストラトキャスターをアンプに繋がず、小さな音で奏でる和樹。即興に合わせる和樹の腕は、なかなかのものだと隆一は息子ながらに思う。  隆一が歌ってる途中に凛花がリクエスト曲を言う。すると歌の途中でギターはリクエスト曲に変わる。  富子はいつも満面の笑顔で聴いている。富子は歌が上手いが家ではあまり歌わない。主婦会ではカラオケ女王と言われるくらいの富子だが何故歌わないのか。  和樹のギターの邪魔にならないか気にしているのではないかと隆一は思っている。  和樹が本当に好きな音楽はジャズだった。  メジャーデビューしたほどのジャズマンだったが、玄人ウケで素人ウケしなかったとよく口にしていた。  和樹がライブで演奏する姿を隆一が見たのは幼少の頃であまり覚えてない。  和樹の音楽活動時期の借金が貧乏の理由だと凛花から隆一は聞いたことがある。  隆一は売れなかった和樹がダサくも思えたが、素人ウケ狙いでいけば売れたのではないかと贔屓目(ひいきめ)に見てしまう。  米津玄師の曲を弾く和樹を見て笑う凛花は心底楽しんでいるように見える。  和樹の表情は柔らかかった。話に聞く若かりし頃の頑固なギターはどこにいったのだろうか。こうあるべきとかではなく、家族が1番ということなのか。    隆一は歌いながらいつも思っている。 「俺は歌手(プロ)になる」  家族の前でまだ口にすることができなかった。
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