呪いの首飾り- 1

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呪いの首飾り- 1

「は、……なんだと?」  話を聞いた酒楽(しゅらく)は顔をひきつらせた。  片手にもった饅頭のことですら忘れてしまったようだ。齧りつこうとした姿勢のまま、目の前に座る男を睨みつけている。  今朝の酒楽は栗色の髪を後ろで団子にし、鴬色に金刺繍の入った軽やかな羽織姿だった。髪と衣のせいでずいぶんと幼く見え、つくも神の伍仁(うにん)は、朝にその装いをあてがったことを後悔した。 (この男が来るとわかっていれば、もっと大人びた装いにしたものを)  酒楽の前に座るのは、画聖・拾野波路(じゅうのはじ)だ。  朝はやくに突然やってきて、部屋を煙草臭くした張本人でもある。  工芸家系、拾野(じゅうの)一派の先鋒にして、風景画の鬼才とも呼ばれている。酒楽の実の叔父で、天敵でもあった。 「聞こえなかったか? 酒楽、お前には画聖としての才がない。画を描くのを止めろ。そう言ったんだ」  ふうと紫煙をくゆらせ、拾野波路は意地悪く笑んだ。叔父の歳は酒楽よりひとまわり上、二十代の半ばだった。漆黒の長衣に赤襟布をたらし、黒髪を無造作に流している。病的に白い肌。空気をも切り裂く鋭いまなざしは凶相で、顔立ちが整っているぶん、目があうと凄まれている気にさせられる。彼はいつでも煙管を手放さない──その両手には黒革の手袋がつけられているが、彼はこの手袋を年中つけっぱなしだった。理由はよく知らない。酒楽が口を開くより先に、拾野波路は言葉を吐き出していた。 「この五年。お前と同時に後宮入りしてから、俺はその評判、作品、所業のすべてを見聞きしてきた。酒楽、お前は天才だが画聖じゃない。とっとと家に帰れ」  後宮を去れと、男は横柄に告げた。 「なぜ、お前にそのようなことを」 「分かってんだろ、自分でも」  酒楽は何かを言いかけてやめた。険しい目で煙管を握る拾野波路の右手を――そこに()まる黒革の手袋を見ている。男は視線の意味を察し、鷹揚に頷いてみせた。 「お前には愛がない。たとえばこの俺様のように、一度でもいい。自分の利き手を守ろうと考えたことがあるか? 画筆を握る指をなにより大事と考えたことは。画に命をかけようと考えたことくらいは? ないだろうな。お前にはたしかに才がある。けれど芸に対する愛がなく、だから画はいつまでたっても二流なんだ」 「私の画の価値は、与えられた(くらい)が証明している。お前にとやかく言われる筋あいはない」  酒楽の位は貴人で、拾野波路の才人より上だった。同時期に後宮入りし、年下の酒楽のほうが評価されるという現状を、叔父は苦々しく思っているはずだった。しかし男はなぜか余裕たっぷりの笑みだ。 「どうかな? 俺とお前では得意な画風も違うしなあ。先代の鳳梨帝(ほうりてい)は、俺の風景画よりもお前の得意な人物画を好んでいたが、それは画のせいだけじゃない。画より、先帝はお前にご執心だったんだ。そうだろう? 位の価値は画にあったんじゃない。お前の色香にあったのさ」  ぐしゃりと、酒楽の手にあった饅頭が潰れた。酒楽の地を這うような声が聞こえる。 「……負け惜しみだな。信じないだろうが、私と鳳梨帝の間に艶事はなかった」 「ああ、信じられんなあ。あれだけ足しげく通わせておいて」 「碁を打っていたのだ」 「まあいいさ、先帝はもう死んだ。だが次の柘榴帝(ざくろてい)はそうはいかんぞ。画を描くことにさほど興味もないお前が、ただ楽だから画聖でいるというのなら、鳳梨帝の喪に服してとっとと後宮を辞せ。――ああ、ちなみに後宮を抜け出せないという言い訳は俺には通じんぞ。お前が大量の火薬を仕入れたとの噂は耳にした。『花火を作るから』だったか? その花火はいつ打ち上げる? 逃げる気があるなら、さっさとそれを使ってうせろ」  酒楽は忌々しそうに茶をあおっている。  数週間前までは、たしかに大量の火薬が隣室にあった。その用途を聞きそびれていたが、どうやらそれを使って後宮から逃げる算段を立てていたらしい。 (でも蓮楽人(れんがくじん)に渡してしまったから――)  酒楽が春画を失くしたときのことだ。その一枚と引き換えに、隣室の火薬はほぼすべて蓮楽人が持ち去ってしまった。いま思えばそれは僥倖だったのかもしれない。酒楽がどんな手を考えていたか知らないが、火薬を使い後宮から逃げるなんて物騒すぎる。  酒楽は勢いよく茶器を置いた。上物の青磁茶碗が割れていないかと、つい心配になってしまう。 「話はそれだけか? 波路(はじ)、お前にはいつも苛々させられる」 「お互いさまだな」  ふうと煙を吐き出し、拾野波路は立ち上がった。どうやら今日はただ嫌味を言いにきただけらしい。朝から迷惑な話ではあるが、拾野波路のこうした嫌がらせにはこの五年ですっかり慣れてしまっていた。後宮に入ってから、彼にはそれだけ目の敵にされてきたのだ。出て行こうとする男の背を、よせばいいのに酒楽は呼び止めた。どうやら言い足りなかったらしい。 「いつ後宮を去るか、それは私自身が決めることだが……そうだな、今度の祝水(しゅうすい)(うたげ)までは残るつもりだ。柘榴帝から直々に招かれているし、私をご指名だから。行かないと」  話をそばで聞いていた伍仁は呆れてしまった。酒楽は見栄のために嘘をついた。 (宴に招かれたのは本当だが、柘榴帝とは話したこともないのに)  酒楽を気に入り、宴に招いたのは美蛾娘(びがじょう)だ。後宮の支配者にして、快楽殺人を好む悪姫である。  数日前、春画の件で遊舎貴人(ゆじゃくいれん)と会っていたとき、美蛾娘が来て「遊舎貴人の美人画を宴にもってこい」と酒楽に告げたのだ。 (宴に出ること、あんなに嫌がっておられたのに)  元々出世欲など皆無の少年は、叔父に負けまいとなけなしの意地を張っていた。しかし口は災いの元だ。目をすがめた拾野波路は、親の仇でも見るように憎々しげに言う。 「宴に画家の席はないと聞いていたが、お前の席があるなら、官吏に金を渡して俺の席にしてもらおう」 「は、そんなこと」 「できるさ。俺様はお前と違って顔が広いからな。心配するな。柘榴帝には『あなたが招いた廿野酒楽は、風邪で来られなくなりました』と詫びておくさ」  これに焦ったのは酒楽のほうだった。拾野波路は社交的な男だ。官界にも顔がきく。 (もし今日のことを告げ口されたら)  柘榴帝から直々に招かれたとついた嘘が周囲にばれてしまう。つまらない意地を張るからだと伍仁は呆れたが、酒楽はめずらしくも本気で怒りだした。 「いい加減にしろ! 波路、お前はいつもそうだ。この五年間は嫌がらせばかり、今日という今日はもう」 「いい加減にするのはお前だぞ酒楽」  ぴしゃりとはねのけられ、酒楽は声をのむ。  拾野波路の形相には凄みがあった。 「俺様は後宮でお前に問い続けてきた。お前は何がしたいのか。出世に喜ぶでも、画を描く悦びがあるわけでもない、お前はただ飽いている、違うか? 違うとは言わせないぞ、見ればわかる。家にいたときと同じだ。お前、何のためにここにいる。何がしたくて後宮へ来た? 目的もなくうろちょろされたら目障りなんだよ」 「私は、ただ――」  ちろりと困惑した瞳が伍仁へくれられた。 「え?」  付喪神の伍仁の姿は人には見えない。拾野波路には、酒楽が視線をさまよわせたように見えただろう。けれど伍仁は見た。栗色の瞳のなかにある困惑を。迷いとためらい、その中心に伍仁がいた。酒楽は言葉を選んでいた。 「私は、ただ画を描きにきたのだ。そのために後宮にいる。画聖なのだから当然だろう」  拾野波路は「ふうん?」と首をかしげたが、顎をさすり嘲笑した。 「なら、お前に二日やろう。あくまで後宮の画聖であるというなら、俺様に見せてみろ」  画を持ってこいと拾野波路は言葉を投げてよこした。挑戦状だ。 「この俺様を納得させるものを描いてこい。それ次第では、宴のことは考え直してやってもいい」
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