第五章 泡沫の夢

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「お客様……!?」  仰天したのか、スタッフが飛んで来ようとする。だが、明人はそれを制した。強い酒を飲んだとは思えないほど、けろりとした表情だ。 「騒々しくして、失礼しました。こちらで対処しますので、ご心配なく」  そう言うと明人は、壮介を見下ろした。 「やっぱり、そういう魂胆かあ。オメガを舐めんなよな。あいにく、護身術くらい習ってるから」  ぽかん、と瑞紀は口を開けた。では明人は、壮介の企みに気付いていて、あえて付いて来たというのか。そして、このキャラ変ぶりは何だ。    「いえ、その、そうではなく……」  壮介は、どうにか立ち上がると、あたふたと弁明しようとしている。だが明人は、彼の言葉をさえぎった。 「どうせ、こういう腹でしょ。僕を酔わせて既成事実を作って脅そう、そうしたら左遷を取り消してもらえるかもって。浅はかすぎ」 (壮介が、左遷!?)  瑞紀は、再び目を見張った。いつの間に、そんな話になっていたのか。その時、壮介がふとこちらを見た。まずい、と思ったが遅すぎた。壮介は、一瞬目をむいたものの、つかつかとこちらへやって来た。 「へえ、偶然だなあ、瑞紀」  壮介は、瑞紀の腕をつかむと、明人の元へ連れて行った。顔には、狡猾な笑みが浮かんでいる。 「白井さん。こちらが、例のオメガのいとこですよ。昔、我が家で面倒を看ていたのですが、恩を仇で返すような性格でしてねえ。僕の悪口を、言いふらしているんですよ。というわけで、先日の騒動も、こいつの嘘で……」 「違……」  慌てて否定しようとした瑞紀だったが、その言葉は途中で途切れた。明人が瑞紀に向かって、深々と頭を下げたからだ。 「あなたが、中森瑞紀様ですか。私、HOTELブランの管理部門に勤める、白井と申します。当ホテルの従業員が無礼な振る舞いをしたとのこと、深くお詫び申し上げます」  明人のお辞儀は、定規でも当てているかのごとく美しかった。話し方からも気品が感じられ、瑞紀は一瞬、彼の言葉に聞き惚れた。それをぶち壊したのは、壮介のわめき声だった。 「白井さん! 何、こいつに謝ってるんですか。あれはこいつの嘘だったって、言ってるじゃないですか!」  明人は頭を上げると、壮介をじろりとにらみつけた。 「村越壮介。この一週間調査した結果、複数のオメガのアルバイトから、君からセクハラを受けたとの証言を得ている。よって、降格及び地方転勤処分は確定だ」   壮介は、さすがに言葉に詰まった。明人は、瑞紀の方へ向き直ると、打って変わってにこやかな笑顔を浮かべた。 「中森様。村越の処分については、今申し上げた通りです。今後は人事管理を徹底して参りますので、何卒ご容赦いただけますでしょうか」 「……あ、はい! もちろんです。ご配慮、ありがとうございます」  戸惑いながらも、瑞紀はぺこりと頭を下げた。想像していたイメージと、白井明人は違いすぎる。これほど落ち着き、しっかりした性格だとは思わなかった。仕事面でも、有能なように感じられる。 「ところで……」  明人が、ふと怪訝そうな表情になる。どうして瑞紀がここにいるのか、疑問に思ったのだろう。どう弁明しようか逡巡したその時、不意に背後から声が聞こえた。 「明人。無事か?」 ギクリとした。それは、聖の声だった。
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