第二章 俳優への一歩

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 それをいいことに、瑞紀は声を張り上げた。 「義叔父さん、本当に、部屋へ戻られた方がいいんじゃないですか。長い間体を起こしていると、体力を消耗しますよ」 「やれやれ、美恵子みたいなことを言うなあ」  苦笑いしつつも、友介はようやく腰を上げた。そこへ、看護師が通りかかった。 「あら村越さん、こんな所にいたの? 検査があるって言ったでしょう」  友介が、しまったという顔をする。 「身内が見舞いに来てくれたもので、つい……。瑞紀くん、小田桐さん、悪いけれどこれで。検査、時間がかかると思うから」 「いえ。また来ますから」  内心ほっとしつつ、瑞紀は看護師に、持参した花を託した。 「すみませんが、病室へ届けてもらえますか?」 「はい、もちろん。じゃあ村越さん、行きますよ」  テキパキと答えると、看護師は友介を誘導しようとする。すると友介は、ふとこちらを振り返った。 「そういえば瑞紀くん、養成所へは行ったのかい。ほら、通いたいって言っていたじゃないか」  ドキリとした。就職して金を貯めたらチャレンジしたい、と昔漏らしたことを、義叔父は覚えていたらしかった。 「いえ。今にして思えば、若い頃の幼稚な夢だったと思いますよ」   かぶりを振ったが、友介は残念そうな顔をした。 「幼稚、かねえ。演技をしている時の瑞紀くんは、本当にイキイキしていたけれど」  高校の文化祭に、叔母夫妻は欠かさず来てくれた。瑞紀が演じた劇も観てくれたものだ。 「生きている間に、もう一度瑞紀くんの演技を観たかったんだけどねえ」 「村越さんてば、変なことを言わないの」  看護師が、顔をしかめてたしなめる。冗談だと笑いながら、友介は彼女に連れられて去って行った。瑞紀は、その後ろ姿から目を離せずにいた。友介の最後の一言は、瑞紀の胸に深く刺さったのだった。  その後、瑞紀と聖は、二人でエレベーターに乗り込んだ。すると、聖がぽつりと言った。 「優しい義叔父さんですね」 「ええ……」 「その義叔父さんの願いを叶えてあげようとは、思わないんですか」 「まさか……、この前仰っていた、養成所のことですか?」  ええ、と聖はうなずいた。 「瑞紀さんだって、本当は考えていたんでしょう?」 「さっきの話ですか。世間知らずの高校生が、わけもわからずに口走っただけのことですよ。お恥ずかしいです」  会話を切り上げようとした瑞紀だったが、聖はさらに言い募った。 「義叔父さんは、瑞紀さんの才能を認めてらっしゃるから、ああ仰ったんじゃないですか。それに、この前も申し上げましたが、僕も瑞紀さんには素質があると思っています」  真剣な眼差しで見つめられ、瑞紀の心は揺れ始めた。 「けれど……。今から養成所に入ったところで、デビューできるとは限らないでしょう。仮にできたとしても、それまでには相当の年月がかかるはず。正直、義叔父がそれまで……」  途中で瑞紀ははたと口を閉ざしたが、聖は悟ったようだった。 「プロとしての活躍を見せるのに間に合わなくても、いいじゃないですか。養成所に入って、瑞紀さんが夢に向かってイキイキと頑張っている、それだけで彼は喜ぶと思いますよ」 「それだけで……?」  ふと、高校時代が蘇った。実の息子同様に、瑞紀を可愛がってくれた叔母と義叔父。二人は、瑞紀が演じた劇を、心から楽しそうに観てくれた。それを思い出して、瑞紀の胸は熱くなった。 「……受けるだけ、受けてみましょうか、オーディション」  ぽつりとつぶやけば、聖は満足そうに微笑んだ。 「応援しますよ。ま、僕の勘では、瑞紀さんはきっと合格しますね」  聖は鞄から手帳を取り出すと、サラサラと何か書き付けた。 「養成所の社長に、連絡しておきましょう。日時が決まったら、お知らせします」 「あの」  瑞紀は、ふと気付いたた。これは、聖との距離を縮めるチャンスでもあるではないか。 「そのオーディションて、聖さんも付き添ってくださるんですか」  一瞬沈黙した後、聖はかぶりを振った。 「いえ。一人で行ってください」 「あ、すみません。お忙しいですもんね」 「そうではなくて」  聖は、手帳をパタンと閉じると、瑞紀を見つめた。その表情は読み取れなかった。 「率直に申し上げて、今後あなたとお会いするつもりは無いんです。養成所の件は責任を持って手配しますが、関わるのはそれが最後と思っていただきたい」  瑞紀は、耳を疑った。
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