第三章 愛しさと拒絶と

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「絶対に、あなたを手に入れてみせる。……意地でも」  最後の台詞を言い切った瞬間、瑞紀は大きく安堵していた。ただし、心の中でだ。実技試験は、会場を出るまで続くものと、瑞紀は思っている。  終了の合図を出すと、面接官は瑞紀を見つめた。年代は四~五十代か、ベテラン風の男性だ。 「聞いていいかな」  彼は、軽い調子で尋ねてきた。 「台本を見ても構わないのに、見なかった理由は?」 「台詞は覚えていたので、必要ないと思いました」  瑞紀は、簡潔に答えた。面接官が、首をひねる。   「しかし、そう思っていても、オーディション本番ではど忘れするケースも多いんだけどね。不安には感じなかった?」 「はい」  瑞紀は、きっぱりとうなずいた。 「台本を手にしていると、無意識に神経がそちらに行ってしまいます。目線が影響されてはまずいと考えました」  ふむ、と面接官は目を見張った。 「目線、と言ったね。しかし演技中、あなたは前ばかり見て、ほとんど視線を動かさなかったが。これは、車中で助手席の女性に語りかけるシーンだ。隣を見ないのは、不自然ではないかな?」 「車中だからこそです」  瑞紀は、即座に答えた。 「シナリオの設定には、運転中とありました。いくら隣の女性に向けた台詞とはいえ、運転しているなら前方を見るべきかと思ったのです」  その分、表情と台詞回しに全てを込めたつもりだ。納得したかは不明だが、面接官はうなずいた。お疲れ様、とあっさり告げる。どうやら、質疑は終わりらしい。  丁重に礼を述べると、瑞紀は荷物を手に、廊下へ出た。わずかな希望を胸に、辺りを見回すが、聖の姿はなかった。ああは言っていても、見に来てくれないかと期待したのだが。 (まあいい。あとは、オーディションの結果を待つだけだ……)  発表は約一週間後と聞いている。運命の分かれ道だ、と瑞紀は拳を握りしめた。 (けど、それはそれとして、楽しかったな……)  人前で演技をするなんて、実に七年ぶりだ。もちろん緊張もしたけれど、それ以上に瑞紀は充実した気分だった。わずか十分程度の演技ではあったが、やり尽くしたという満足感が全身に広がっている。こんな機会を与えてくれただけでも、小田桐聖には感謝すべきだろう。  心地良い気分で建物を出た瑞紀だったが、そのとたん、心臓が止まりそうになった。外には、叔母の美恵子が立っていたのだ。……壮介と共に。 
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