第三章 愛しさと拒絶と

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 その時、不意に車が停止した。同時に、瑞紀を拘束していた力が消える。ややあって、助手席の扉が開いた。壮介が、外から開けたのだ。 (どこだ、ここ……?)  どこかの駐車場のようだった。わけがわからないまま、車外に引きずり出される。すると壮介は、瑞紀をひょいとおぶった。 「おい! 何すん……」  瑞紀の言葉は、途中で途切れた。壮介が、打って変わって愛想の良い声を上げたからだ。 「鈴木さん、ちょうどよかった」  ぼんやりと見上げた先には、何やら制服を着た若い男の姿があった。どうやら、壮介と知り合いらしい。 「村越マネージャー。お休みなのに、どうされたんです? その方は?」  まさか、と瑞紀は周囲を見回した。看板が見える。『HOTELブラン』と書かれていた。ここは、壮介の職場か。 「彼、僕のいとこなんだけどさ。久しぶりに会って話してたら、急にヒートを起こしちゃって。部屋、空いてるかな? とりあえず、休ませてやりたいんだ」  こんな手で来るとは、と瑞紀は呆然とした。どこかホテルに連れ込むだろうとは、予想していた。だから、着いた時点でホテルの人間に助けを求めようと考えていたのだが。まさか、自分が勤める所に連れて来るとは。ここまで堂々とされたら、かえって誰も疑わないではないか……。 「違うんです! 無理やり、車で連れて来られて……。助けてください!」  瑞紀は、壮介の部下らしき目の前の男に訴えたが、彼は困惑顔になった。 「マネージャーがそんなことをするわけないでしょう。それに、あなたがヒートを起こしているのは事実だ。部屋を用意しますから、とにかく入ってください」  ホテルの社員としては、店舗付近での揉め事は困るのだろう。鈴木と呼ばれた男は、瑞紀たちを建物内へ誘導しようとする。その時だった。不意に、背後から声が聞こえた。 「片方の言い分を、一方的に信用するのですか」  ドキン、と心臓が跳ねるのがわかった。実に馴染みのある声だったのだ。つかつかと近付いて来た足音が、瑞紀たちの前に回り込む。瑞紀は、信じられなかった。聖だったのだ。 (どうして、ここに? HOTELブランに……?)  聖は、瑞紀たちを一瞥すると、鈴木に詰め寄った。   「このオメガ男性は、アルファに無理やり連れて来られたと言っている。それなのに、二人を同じ部屋に泊めるのですか。いとこだからといって、許されるわけではないし、そもそも本当に身内かどうか、証拠は無いでしょう」 「こちらのアルファ男性は、私の上司で、ここの社員ですよ」  鈴木が、むっとしたように反論する。 「そもそも、あなたは何なんです?」 「僕は、こういう者ですが」  聖は、おもむろに名刺を取り出すと、鈴木に差し出した。それを目にしたとたん、鈴木の顔色は変わった。一方壮介は、顔をしかめている。 「……何なんだ? というより、僕にはくれないんですか。さっきから、失礼なことばかり並べ立てているが……」 「オメガに無礼な真似を働く輩に提供する名刺は、持ち合わせていませんね」  聖は、壮介に向かってびしりと言い放つと、再び鈴木の方へ向き直った。 「急いでこの名刺を持って、ここの支配人を呼びに行ってくれますか。……それから」  聖は、ぎろりと壮介をにらんだ。その眼差しは、これまで見たことも無いほどの威圧感に満ちていて、瑞紀は思わず震え上がった。 「すぐに彼を降ろせ。警察を呼ばれたくなければな」  地を這うような低い声だった。瑞紀をおぶっていた壮介の背中が、ビクンと震えたのがわかった。  さすがに気圧されたのか、壮介が瑞紀を地面に降ろす。思わず倒れ込みそうになった瑞紀を、聖は素早く抱き留めてくれた。ほのかなコロンの香りと、アルファのフェロモンが漂い、瑞紀は何だか泣きたくなった。聖が何か呼びかけている気配がしたが、はっきりと耳に届かない。そのまま瑞紀の意識は、急速に遠のいていった。
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