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礼を述べて、瑞紀はハンカチを受け取った。上着と同じコロンの香りが漂うそれで目頭をぬぐううち、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。だがそこで、瑞紀はハッとした。
(壮介について調べたってことは……)
瑞紀は、勇気を振り絞って聖に問いかけた。
「あの。さっき、壮介さんについて調査したって仰いましたよね。調べた対象は、壮介一人ですか」
聖が、軽く目をそらす。瑞紀は、全身の力が抜ける思いだった。
「それで……、僕とは関わりたくないと……」
どこまで知られたのだろう、と瑞紀は背中に冷や汗が伝う思いだった。だが聖は、意外にもかぶりを振った。
「違います。僕があなたについて新たに知ったのは、あなたがご両親を亡くしていたこと、村越家を出た後は就職したことの二点です。『メイト・エージェント』から伺った経歴とは少々違いましたが、あなたを拒絶したのはそれが理由ではありません」
確かに、『今後あなたとお会いするつもりは無い』と聖が言ったのは、義叔父と会った直後だ。壮介と一緒に瑞紀のことも調べたのは、それよりも後である。
(だったら、なぜ……)
「僕の母は、僕の結婚を望んでいます。ビジネス上都合がいい相手と」
聖は、唐突に言った。瑞紀は、ドキリとした。
「だから、僕を結婚相談所に入れました。ただ、母は誤解しています。彼女は、僕が政略結婚を嫌がっているのだと考えていますが、僕はそもそも、結婚そのものをするつもりがありませんでした」
「じゃあ、どうして……」
瑞紀は、眉をひそめた。すると聖は、意外なことを言い出した。
「『メイト・エージェント』に登録したのは、母を諦めさせるためです。そのために、母には、一年間しか活動しないという条件を呑ませました。そして一年後には、気に入った相手は現れなかった、と告げるつもりでした。要は、僕は、婚活したという形を作りたかっただけなんです」
何と、と瑞紀はぽかんと口を開けていた。聖は聖で、母・みどりとは違う企みをしていたというのか……。
「けれど」
聖は、微苦笑を浮かべた。
「瑞紀さんのお写真を見て、どうしても会ってみたくなったんです。一度だけ、と心に決めて。それなのに……、どうしてでしょうね。映画に行きたいとあなたに言われて、断ることができなかった」
そこで聖は、不意に深々と頭を下げた。
「本当に、申し訳ない。二度もお会いして、気を持たせるような真似をしてしまいました。馬鹿にしていると怒ってくださっていい」
「そんな! お顔を上げてください」
瑞紀は慌てた。口には出せないが、こちらは、みどりに頼まれたサクラだというのに……。
「謝るのは、僕の方です。経歴を偽っていました。聖さんのお好みが、自立した知的なオメガと聞いて、そういう設定にしてくれるよう西尾さんに頼み込んだんです。あっ、西尾さんは悪くありません。僕が、その、無理を言ったのであって……」
聖に謝罪させるのは心苦しいが、みどりの計画を暴露するわけにはいかないし、西尾にとばっちりが行っても困る。しどろもどろに弁明していると、聖はふっと笑った。
「いいんですよ、もうそのことは。それより、今日の演技、本当に良かったですよ。特に、最後の台詞。心に響きました」
「絶対に、あなたを手に入れてみせる。……意地でも」
瑞紀は、繰り返していた。うん、と聖がうなずく。その瞳に宿る優しい光に気付いたとたん、瑞紀はたまらなくなった。
「聖さんを想って言いました」
「瑞紀さ……」
聖の顔に、微かな当惑が浮かぶ。それでも、瑞紀は止められなかった。もう、自分に嘘はつけなかった。どうしてここまで、目の前の男に固執するのか。理由は、金でも、小田桐みどりへの意地でも、西尾への配慮でもない……。
「聖さんが、好きなんです」
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