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「ぷっ」
その時、突如順一が噴き出した。瑞紀は、唖然とした。まじまじと見れば、彼は心底おかしそうに笑っているではないか。
「本気にした? もちろん、瑞紀ちゃんが一晩一緒に過ごしてもいいよ~って言うなら、願ったり叶ったりだけど」
順一は、瑞紀の手を放すと、グラスに新たなワインを注いだ。
「いや、それでもダメか。聖に殺されちまうな」
ぼそりとつぶやきながら、順一は首をかしげた。
「とはいえ。見返りも無く情報提供するってのは、俺にとって損な話だよねえ。そもそも俺、瑞紀ちゃんのこと何も知らないし? 俳優志望の可愛い子ってだけだ」
確かに無謀な試みだったか、と瑞紀は唇を噛んだ。一体どうすれば、順一から話を引き出せるだろう。悩んでいると、彼はこんなことを言い出した。
「てなわけで、瑞紀ちゃんも、俺に秘密を打ち明けてくれない? 聖とは、一体どこで知り合ったのよ?」
瑞紀は、ぐっと詰まった。結婚相談所だ、などとは言えなかった。聖が順一に喋っているかわからないのに、勝手に話すわけにはいかない。それに、あれこれ詮索されても困る。
「ごめんなさい」
瑞紀は、スッと席を立った。
「それは、聖さんのプライバシーに関わることなので、申し上げられません。それを話さないとご協力いただけないとおっしゃるなら、今日は失礼します。お時間を取らせて、申し訳ありませんでした」
順一が、目を見開く。怒っているのではなく、純粋に驚いているようだった。
「へぇ。しっかりしてるんだな、瑞紀ちゃんて」
順一は、テーブルに片肘を付くと、瑞紀の方を見上げた。
「ん~、じゃあ瑞紀ちゃんに全部言えとは言わない。俺の方も、大体の見当は付いてるから。最近、聖のお袋さんが縁談のことでカンカンになっててさ。聖を結婚相談所に入会させたって聞いたんだけど、本当かな? 瑞紀ちゃんとは、そこで知り合ったとか?」
一瞬、ドキリとする。だが瑞紀は、平静を装った。素知らぬふりで、首をかしげる。
「さあ、存じ上げません。そもそも、僕は聖さんのことを何も知らないからこそ、こうして順一さんにご相談したのですが?」
しばし、順一が沈黙する。やがて彼は、くくっと笑った。
「ごめんね、瑞紀ちゃん。演技技術のことをどうこう言って、悪かったわ。君は、立派な役者になれるよ」
順一は、瑞紀が座っていた椅子を指さした。
「気を取り直して、座ってよ。君の、その芯の通った性格に免じて、特別に話してあげる。聖の、過去のこと」
少し逡巡した後、瑞紀は従うことにした。順一の表情は、それまでとは打って変わって真剣だったのだ。
「お察しの通り、聖にはトラウマがある。あいつは昔、大切な人を亡くしたんだよ」
ふと、いつかの聖の台詞が蘇った。今から俳優などとても無理だと言った瑞紀に、彼はこう言わなかったか。
――人生が終わってからでは、遅いですから……。
病院で義叔父と会った際、同じ癌の人間を昔知っていた、とも言っていた。その人のことだろうか。
「その人って……」
「ストップ」
順一は押し止めるように、瑞紀の前に掌を突き出した。
「これ以上は、語れない。ただ言えるのは、聖が未だに、それに責任を感じてるってことだ。そんな必要は無いのに……」
順一は、これまで見たことも無いほどの沈痛の表情を浮かべていた。
「だから、何て言うかな……。瑞紀ちゃんが自信を無くす必要は無いってこと。瑞紀ちゃんは、十分魅力的だから。問題は、聖の方にある」
「あ……、ありがとうございます!」
瑞紀は、気持ちが安らぐのを感じていた。まだ全てが明らかになったわけではないが、順一から太鼓判を押されたことで、ややほっとしたのだ。
(あとは、どうやって聖さんを癒やしてあげるかだな……)
早速思案し始めた瑞紀を見て、順一は苦笑いした。
「本当に、聖一筋なんだね。目の前に、こんないい男がいるのに、こっちで手を打とうって気にはならない?」
「ああ、いえ、その……。順一さんも、とても魅力的です。でも、僕は聖さんが好きなので」
「取って付けたようにしか聞こえないけど?」
順一はクスクス笑ったが、気分を害している風ではない。
「ま、頑張ってよ。俺の勘だけど、瑞紀ちゃんなら、聖のあの凍った心を溶かせる気がする」
「本当ですか!?」
瑞紀は、目を輝かせた。
「嫌われていない、とは思うんですけど。少なくとも、顔はお好みから外れていなかったようです」
写真を見て会ってみたくなった、という聖の台詞が蘇り、瑞紀は思わずそう漏らしていた。すると、順一はふと呟いた。
「そりゃ、そうだろ」
「……はい?」
「ああ、いや」
瑞紀の目には、順一が初めてうろたえたように見えた。
「だから、瑞紀ちゃんが可愛いってことさ。……さ、そろそろデザートだな。ここの、美味いんだぜ?」
順一が、メニューを開いて差し出す。一瞬違和感は覚えたものの、色とりどりのスイーツの写真に見入るうち、瑞紀はそのことをすっかり忘れたのだった。
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