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これから出社するという順一とは、店の前で別れることにした。
「飲まれた後で、大丈夫なんですか」
「グラスワイン二杯なんて、飲んだうちに入らないって」
茶目っ気たっぷりに笑った後、順一はふと何かを思いついたような顔をした。
「そういえばこの辺りって、小田桐ホールディングス傘下の企業が集結してるのよ。小田桐ホテルの本館も近いけど、どう? サプライズで聖を訪ねてみたら?」
一瞬心は動いたが、瑞紀はかぶりを振った。
「お仕事中に、お邪魔はできませんから」
「瑞紀ちゃんは、真面目だね」
順一はにこりと笑うと、じゃあと手を振って姿を消した。
(そっか。小田桐ホテル、この近くなんだ……)
訪れる勇気は無いが、そう言われると少し意識してしまう。駅までの道のりを歩きながら、瑞紀は何となくそわそわするのを感じた。オフィス街のせいか、周囲は飲食店だらけだ。出入りする会社員たちを何気なく眺めていたその時、瑞紀はハッとした。その中の一軒から、見覚えのある男が出て来たのだ。
(――白井明人)
HOTELブランの社長の次男で、聖の政略結婚の相手にと考えられているオメガだ。そういえば、父親の会社に勤めていると聞いたな、と瑞紀は思い出した。だから、近くの店でランチを取っていたのだろう。
(それにしても、偶然もある……)
だが次の瞬間、瑞紀は息を呑んだ。明人に続いて、長身の男が、店の中から姿を現したのだ。……聖だった。
(何でだ……!?)
とっさに近くの路地に入ると、瑞紀は彼らの様子をうかがった。二人は、どうやら一緒に食事をしていたらしい。店の前で、談笑している。
落ち着け、と瑞紀は自分に言い聞かせた。二人は、関連企業の経営陣同士なのだ。きっと、仕事の打ち合わせだろう。
(それにしても……)
瑞紀は、不安を拭えなかった。聖は、営業スマイルとは思えないほどの明るい笑みを浮かべていたのだ。心から楽しんでいるのが、伝わってくるようだった。明人の方も、聖を見つめて微笑んでいる。
(似合い、だよな)
瑞紀は思った。同じオメガ、同じ年齢でも、瑞紀と明人には決定的な違いがある。何不自由なく育ってきた者独特の満ち足りた雰囲気を、明人は醸し出していた。きっと、教養やセンスもあるのだろう。聖と話しても、彼を楽しませられるに違いない。
胸はキリキリ痛むのに、どうしても目を離すことができず、瑞紀は二人を見つめていた。すると、聖が大通りに向かって手を挙げた。程なくして、一台のタクシーが停まる。
(――え)
そこで瑞紀は、目を見張った。てっきり、明人一人を乗せるものかと思いきや、聖は彼に続いて車内へと入ったのだ。二人を乗せたタクシーは、あっという間に走り去って行った。
瑞紀は、声も出ず立ち尽くしていた。
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