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「とまあ、そんな事情なんです。母を許せとは言いませんが、少し事情をご理解いただきたくて」
聖は、決まり悪そうな表情を浮かべた。
「瑞紀さんには、ご迷惑をおかけしました。お詫びといっては何ですが、夕食をご馳走したい。いかがですか?」
「……いえ。あいにく、もう済ませました」
瑞紀は、とっさに嘘をついた。
(これ以上、彼のそばに居てはいけない気がする……)
小田桐みどりは、瑞紀をクビにすると宣言した。報酬を期待する西尾なら、きっと彼女の誤解を解き、計画を続行しろと言うだろう。けれど、それは容易では無い気がした。みどりの怒りは、相当のものだ。瑞紀が聖から離れなければ、叔母夫婦など、身近な人間にまで手を出しかねない予感がする。
(それに……、これは好機かも)
『メイト・エージェント』に、自分以上のサクラはいないと、瑞紀は自負している。瑞紀が去った後、ろくなオメガに出会えなければ、聖も結婚相談所をやめて、白井明人と結婚する踏ん切りが付くかもしれない。そうすれば、小田桐ホールディングスの後継者にもなれる。
(順一さんがなっても構わないって言ってるけど。やっぱり、正妻の息子だもんな。本心かどうかはわからないし……)
「では、お酒でも?」
母親の仕打ちを申し訳なく思っているのだろう、聖はあくまでも償うつもりのようだ。だが、瑞紀はかぶりを振った。そばにいる時間が長引けば、離れがたくなる……。
「養成所に提出する書類を、準備しなければいけないので」
「そうですか。では、また後日、改めてお詫びさせてください」
仕方なさげではあったが、聖はようやく引き下がった。
「無理しないでくださいね」
そう言って微笑むと、聖は席を立ち、部屋を出て行った。瑞紀は、ため息をついていた。『後日』など無い。このホテルに宿泊するのは、今夜限りにするつもりだ。
瑞紀は、解きかけた荷物を、もう一度詰め直していた。
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