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瑞紀は、ドキリとした。よく似た台詞を、最近聞かなかったか。……ああ、聖だ。彼は、こう告げた。
――あなたは、もっと他人を非難していいんですよ……。
「お前は、不幸に慣れすぎてるんだよ。そのいとこにだって、何年苦しめられてる? 俺は、お前が不憫で仕方ない」
不覚にも、目頭が熱くなる気がした。西尾の声音からは、壮介への怒りがにじみ出ていたのだ。
「だから」
西尾は、瑞紀の顔をのぞき込んだ。
「少しくらい、夢見たっていいじゃねえのか? たとえば、坊ちゃんとの未来だ。坊ちゃんは、お前にマジなんじゃないか?」
「まさか!? 俺なんかのこと、本気になるわけないだろ」
西尾の思いがけない台詞に、瑞紀は慌てた。確かに、一度好きとは言われたが。直後に、応えられないと切り捨てられた。ささやかな好意程度のものだろうと、瑞紀は解釈している。
「大体! 白井明人に気が向いたのかもって言ったのは、西尾さんだろ!」
「一つの仮説だ」
西尾は、けろりと言った。
「今日の話を聞く限り、小田桐聖はお前に惚れてるとしか思えん。いくらストーカーに狙われているとはいえ、普通そこまでするか?」
「それは……」
「中森」
西尾は、静かな口調で瑞紀の言葉をさえぎった。
「結婚相談所の経営者という立場を忘れてでも、俺はお前を応援してやりたい。……いいじゃねえか。泡沫の夢を見たってよ」
西尾が、労るように瑞紀の頭を撫でる。瑞紀の瞳からは、涙がぽとりと落ちて頬を伝った。
その日の十九時。瑞紀は、小田桐ホールディングス本社へと向かった。昨日、順一と食事した界隈だ。彼の言った通り、グループ企業は、ここに集結しているようだった。
『小田桐』の名が付いたビルの群れを眺めながら、瑞紀は、西尾の言葉を反芻していた。
(聖さんとの未来、か)
いやあり得ない、と瑞紀はかぶりを振った。みどりが許すはずが無いし、第一聖本人が、結婚する気は無いと言っている。文字通り、夢物語だ。西尾だって、泡沫の夢と表現したではないか。
(そう……。一時的な、はかない夢さ)
夢ならもう十分見せてもらった、と瑞紀は振り返った。何よりも、諦めていた俳優への道を開いてくれたではないか。聖には、感謝してもし尽くせない。
(それよりも……、本題はこれからだ)
瑞紀は、気持ちを引き締めた。小田桐みどりへの、前金の返還だ。同額の小切手は、すでに準備してある。もっとも憂鬱な案件だが、避けては通れなかった。
その時瑞紀は、ふと足を止めた。HOTELブランを見つけたのだ。恐らくは、本館だろう。小田桐ホテルよりはややカジュアルな雰囲気だが、お洒落な建物だった。一流ホテルであることには、間違い無い。
(やっぱり、ここの息子とくっつくのが一番だよなあ……)
そんなことを考えながら建物を見上げてていた瑞紀だったが、不意にぎょっとした。一台の車が、すうっと走って来ると、HOTELブランの前で停まったのだ。その白いSUVには、見覚えがあった。
(壮介!?)
まさか、ずっと自分の後をつけていたのだろうか。瑞紀は、とっさに辺りを見回すと、近くのコンビニに飛び込んだ。いらっしゃいませえ、と甲高い女店員の声が響く。いざとなったら助けを求めよう、と瑞紀は彼女の方を見やった。
(いや、しかし、どう助けてもらう?)
訴えたら、警察を呼んでくれるかもしれない。でもそれでは、叔母に連絡が行ってしまう……。
瑞紀がパニックになっているうちに、壮介が車から降りる。だがそこで、瑞紀はおやと思った。壮介は、真っ直ぐHOTELブランへと入って行ったのだ。どうやら、瑞紀狙いではなかったらしい。
(何だよ。単に、仕事かよ……)
制服ではなく普通のスーツ姿ではあったが、何か本館に用でもあったのだろう。瑞紀は、素早くコンビニを出た。壮介が出て来ないうちに、さっさと退散しよう。そう思った瑞紀だったが、またもやぎょっとした。壮介は、すぐに建物から出て来たのだ。一人ではなかった。一緒にいるのは……、白井明人だった。これまた、私服と思われるスーツ姿だ。
(は? 何でだ?)
瑞紀の脳内は、疑問符でいっぱいになった。明人は、社長の息子だ。恐らくは、高い役職に就いていると思われる。一店舗の部門マネージャーである壮介が、直接関われる相手なのだろうか。
(いやいや、同じ企業の社員なんだから、接点くらいあるかも……)
その時、瑞紀はあっと思った。壮介が、明人の腰に軽く手を当てたのだ。微笑みかけながら、彼を自分の車の助手席へと乗せる。
(まずい……!)
瑞紀は、とっさに通りに向かって手を挙げた。停まってくれたタクシーに乗り込むと、運転手に早口で告げる。
「あの白のSUV、追っかけてくれますか!?」
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