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明人は、のんびりした声を出した。
「あれ~、聖、来たの? 秘書が来るから、必要無いって言ったじゃん」
「そうは言っても、心配だろう。囮作戦なんて……」
そこで、聖の言葉は途切れた。瑞紀は、観念して背後を振り返った。瑞紀を認めた聖が、目を見張る。明人は、けろりと説明した。
「ちょうど中森さんが来られたから、今謝罪してたとこだよ。ああ、村越だけど、予想通り部屋に誘いやがった。床に叩きつけたけどね」
そう言うと明人は、壮介をじろりとにらんだ。
「もうすぐ秘書が来るから、一緒に本社へ来てもらおうか。僕に何をしようとしたか、じっくり説明してくれよね」
青ざめる壮介の腕を、聖はぐいとつかんだ。ボックス席に強引に座らせ、逃がすまいとばかりに、自分もその隣に腰かける。明人は、聖の正面に座ると、瑞紀の方を見た。
「どうぞ、おかけください。何か頼まれます?」
明人が自分の隣を指すので、瑞紀は仕方なくそこに腰かけた。正面にいる壮介の方は見ないようにして、メニューに目を落とす。やがてやって来た店員に、壮介を除く三人は、それぞれ注文を告げた。聖と瑞紀はソフトドリンクを選んだが、明人は何と、先ほどの度数の強い酒を、再び頼むではないか。目を見張れば、明人はクスッと笑った。
「ご心配なく。僕、お酒には強いんです。さっきは、酔ったふりをしていただけで」
それを聞いた壮介は、チッと舌打ちした。明人が、目を吊り上げる。
「反省の欠片も見えないな。聖、やっぱり、ギリギリまで罠にはまったふりをするべきだったじゃん。そうしたら、強姦未遂で警察送りにできたのに」
瑞紀はぽかんとして、明人を見つめた。お坊ちゃまだとばかり思っていたのに、イメージがどんどん崩れていく。そんな瑞紀の思いに気が付いたのか、聖は瑞紀の方を見て、話し始めた。
「瑞紀さん。こちらは、白井明人さんといって、HOTELブランの管理部門にお勤めなんです。僕とは昔からの知り合いですが、とにかくやんちゃで、手に負えない」
素知らぬ顔で、瑞紀はうなずいた。『昔からの知り合い』というフレーズに、胸がチクリと痛む。やはり二人は、親しい間柄なのだろう。明人はと見れば、やんちゃという表現が気にくわなかったのか、口を尖らせている。
「あなたが村越から被害に遭った後、上司から注意はさせたんですが、やはり別企業なので、それ以上口出しはできなくてね……」
聖は、悔しげな顔をすると、意外なことを言い出した。
「それで、明人の協力を得て、村越について調べてもらったんです。その結果、アルバイトへのセクハラトラブルが複数発覚したため、降格と転勤という措置を執ってもらいました」
瑞紀は、ハッとした。そういえば聖は、こう言っていたではないか。
――同じ傘下とはいえ、HOTELブランはあくまで別企業ですから、口出しするにも限界があります……。
それで、明人に働きかけてくれたのか。妬いていた自分が、瑞紀は恥ずかしくなった。
「お二人とも、ありがとうございました」
聖と明人に深々と頭を下げると、二人はいやいやとかぶりを振った。そこで明人は、ふと思い出したようだった。
「ところで。中森さんは、どうしてこちらへ?」
「……その。実は、壮介さんが、白井さんを車に乗せるのを偶然目撃しまして。僕のように被害に遭うのではと思い、追いかけて来たんです」
正直に答えると、明人はうなずきつつも、首をかしげた。
「そうだったんですか。でも、僕の顔をご存じで?」
「ええと……、経済誌か何かで、お見かけした気が」
本当のことは言えないので、瑞紀はしどろもどろに弁明した。幸いにも、明人はそれ以上追及しなかった。
「ありがとう。中森さんは、優しい方なんですね。僕なら、大丈夫ですよ。不埒なアルファをぶちのめすのは、慣れてます」
「だからって、無茶し過ぎるなよ」
聖が、呆れたように肩をすくめる。瑞紀は、思わずつぶやいていた。
「仲、よろしいんですね」
すると明人は、おやという顔をした。意味ありげな笑みを浮かべる。
「何か、誤解してません? 僕と聖は、兄弟みたいなもんですよ」
「そうなんですか?」
瑞紀は、聖と明人の顔を見比べた。聖が、あっさりうなずく。
「だから、今回の件も明人に頼んだんです。本当は、彼の兄の方が権限は大きいんですが……。正直、兄さんの方とは、あまり関係が良くなくて」
「兄貴は、聖を妬んでるんですよ。同じアルファで、同じグループ企業の社長の長男同士ですからね。くだらない」
肩をすくめながら、明人が補足する。そういえば、白井社長の長男はアルファだったか、と瑞紀は思い出した。
「聖ばっかり意識してたら、そのうち弟に追い越されるかもしれないってのにね。あ、ちなみに僕、バリバリのキャリア志向なんで。仕事のことしか頭に無いから、恋愛とか結婚とか、当分考えてません。中森さん、安心して聖と付き合ってくださいね」
「ちょっ……、そういうのでは……」
明人の言葉に、瑞紀は真っ赤になった。明人は、にこにこしている。
「あー、わかった。どうせ聖が、こう言ったんでしょう。恋愛するつもりは無い、とか。でもね、聖はあなたにベタ惚れですよ。でなければ、あんな必死な形相で、村越をどうにかしろ、何て言うわけが無い」
「おい、明人……」
聖は、焦ったように身を乗り出したが、その時明人が、あ、と声を上げた。胸ポケットから、スマホを取り出す。
「秘書が着いたって。ちょっと外に出てくるから、聖、村越をつかまえといてよね」
言い終えないうちに、明人は身軽に席を立ち、出口へと向かった。やれやれといった様子で、聖も立ち上がる。
「じゃあ瑞紀さん、僕は村越を、明人の秘書に引き渡しますから……」
聖が壮介の腕をつかみ、立たせようとする。だが壮介は、その手を振り払った。血走った目で、瑞紀をにらみつける。
「調子に乗るな。この売り専野郎が」
心臓が凍る気がした。
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