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「あの……、僕も、これで」
ホテルを出ると、瑞紀は足早に立ち去ろうとした。だが、聖は素早く瑞紀の前に回り込んだ。腕を組んで、瑞紀を見つめる。
「どこへ行くと言うんです? 泊まる場所というのは?」
「……聖さんには、関係無いじゃないですか」
瑞紀は逃げ出そうとしたが、聖はそんな瑞紀の腕をつかんだ。
「関係ありますよ。母があれだけのことをしでかして、その翌朝には、出て行く宣言だなんて。おまけに、メッセージアプリのブロックに、着信拒否までされるとは。息子として、また小田桐ホテルの総支配人として、僕は責任を取らないといけません……。さあ、今夜はどこに泊まるつもりです?」
「……友人の所に」
「嘘ですね」
聖は、即座に返した。
「頼れる人がいるなら、あなたはそもそも、小田桐ホテルには泊まらないはず……。とにかく、行きましょう」
言いながら聖は、手を挙げ、タクシーを停めている。瑞紀はぎょっとした。
「行くって、どこへ?」
「僕のマンションです」
瑞紀は、絶句した。
「母に文句を言われて、あなたが遠慮したくなる気持ちも、わからなくはありません。だから、無理に小田桐ホテルに泊まれとは言いません。けれどこのままでは、あなたは野宿しかねないでしょう?」
それは、当たらずとも遠からずだが。だが、聖のマンションになど、行けるはずが無い。彼から離れろと、みどりに言われたばかりだというのに……。
「止めて、くださ……」
もがく瑞紀を、聖は強引にタクシー内へと押し込む。瑞紀は、聖に必死ですがった。
「自分のアパートに戻りますから! 壮介は明人さんが確保してくれましたし、平気でしょう?」
「HOTELブランは、警察じゃないんですよ。一晩中、村越を拘束する権利はありません。早速、今夜押しかけて来たらどうするんです? みじめな思いをさせられただけに、可能性は大いにありますよ」
もっともな主張だが、それでも従うわけにはいかなかった。
「それでも、ダメです! さっき壮介が言ったことは、本当なんです。その……、そういう商売を、僕はしていました。こんな人間を家に入れたら、あなたの評判に傷が付きます」
運転手が聞いているのであからさまなことは言えなかったが、聖には十分伝わっただろう。彼の気持ちを変えるにはこれしかない、と瑞紀は思った。だが、聖の表情は変わらなかった。それどころか、逃すまいとばかりに瑞紀の手を握りしめるではないか。
「事情があったのでしょう。卑下する必要は無い」
「でも……」
「少なくとも、僕に対しては」
え、と瑞紀は思った。聖は、驚くほど苦しげな表情を浮かべていたのだ。
「僕は、あなたが思っているほど立派な人間じゃありません……。さっき明人が言いかけていたこと、全て打ち明けますよ。瑞紀さんになら、話せる気がします」
瑞紀の手を握る聖の力が、強くなる。仕方ないか、と瑞紀は思った。どう説得しようが、瑞紀を自分のマンションに連れて行くという彼の決意は、変わらないらしい。
(……いや、ダメだ!)
瑞紀はそこで、はたと思い出した。今夜は、小田桐みどりに小切手を返しに行く予定だったではないか。時計を見れば、二十時はもうとっくに過ぎている。
(まずい! でも、何て言い訳すれば……)
サクラのことは、聖には打ち明けられない。とはいえ、すっぽかせば、みどりはカンカンに怒ることだろう。どうしよう、と瑞紀は知恵を巡らせた。
「すみません。もう逃げないので、手を放してもらっていいですか。菊池アクターアカデミーから、連絡が」
自由な方の手でスマホを見せ、適当な嘘をつくと、聖はようやく瑞紀を解放してくれた。瑞紀は、大慌てで西尾宛てにメッセージを打った。
『小田桐聖に見つかった。今、彼のマンションに強制連行されてるとこ。まさかサクラのことは打ち明けられないし、みどり社長のとこへ行けねえ。どうしよう?』
西尾からは、即座に返信が来た。
『わかった。俺が代わりに、小田桐ホールディングスへ行って、現金百万渡してくる。強欲ババアだ、とりあえずは黙るだろ』
ほっとしつつも、瑞紀は申し訳ない思いでいっぱいになった。
『本当に、ごめん!』
すると西尾からは、スタンプが送られてきた。GOサインを表すデザインだ。
『中森。今夜は、チャンスだ。泡沫の夢を見ろ』
瑞紀は思わず、隣に座る聖の顔を見ていた。アルコールを摂ったわけでもないのに、顔は火のように熱かった。
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