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テーブルに置かれた聖の手は、小刻みに震えていた。瑞紀は、思わずその手を取っていた。力強く、握りしめる。
「僕は、そのことに気付いてやれませんでした……。留学後も、忍とはこまめに連絡を取り合っていました。けれど、被害に遭った後も、彼は僕に何も言わなかったんです。とても言えなかったんでしょう。少し元気が無い気はしましたが、てっきり、母親のことで気落ちしているのだろうと考えていました。知らせを受けて帰国した時には……、何もかもが終わった後でした」
「その……、犯人はつかまったんですか?」
瑞紀は、おそるおそる尋ねた。
「ええ。オメガばかり狙う、性犯罪の常習者でした。ドラッグもやっていたそうで、恐らくはその影響でしょう。逮捕後、程なくして死にました」
「……」
「怒りのぶつけようもありませんでしたよ。……ただ唯一言えたことは、僕の行動は間違っていた、ということです。唯一の肉親である母親を亡くして、心細かったはずの忍を置いて、どうして海外へ旅立ってしまったのかと。そばに居てやれば、被害は防げたかもしれないのに。仮に防げなくても、少なくとも寄り添ってやることはできたはず。……悔やんでも、悔やみきれません」
聖が、もう片方の手で額を押さえる。瑞紀は、色々なことを思い出していた。初対面の時、留学の話題を避けたそうにしていた聖。『大切な人を亡くした』『未だに、それに責任を感じてる』という順一の言葉……。
「聖さん」
瑞紀は、もう片方の手も伸ばすと、両手で聖の手を包み込んだ。
「留学へ行ってくれと言った忍さんの気持ちを、考えたことはありますか?」
聖は、顔を上げた。虚を衝かれたような表情をしている。
「初めてお食事した時、聖さん、小田桐ホテルの海外進出を見すえているとおっしゃったじゃないですか。だから語学を極められ、留学も決意されたんでしょう? 結婚を誓った間柄の忍さんなら、聖さんのその思いを誰よりも理解なさっていたはず。そして、聖さんを愛していたなら、きっとこう考えるでしょう。その夢を実現して欲しい、そのためには自分のことは気にせず、旅立って欲しいと」
だから、と瑞紀は言った。
「忍さんは、遠慮したわけでも、強がっていたのでもないと思います。心から望んだからこそ、聖さんを留学に送り出した。だったら、その期待に応え、向こうでの経験を活かして聖さんが活躍されることが、何よりも忍さんのためになるんじゃないでしょうか。……それから」
瑞紀は、ちょっとためらってから続けた。
「これは、あくまで僕の想像ですけど。もし僕が忍さんの立場なら……、聖さんには幸せになって欲しいと思います。以前、そんな資格は無いとおっしゃってましたが、決してそんなことは……」
瑞紀は、思わず途中で言葉を止めた。聖が、空いた方の手を瑞紀の手に重ねたからだ。両手と両手で触れ合いながら、聖は瑞紀の瞳を見つめた。
「そんなことを言ってくれたのは、瑞紀さんが初めてです」
「そうなんですか?」
ええ、と聖は微笑んだ。
「皆、僕を励ましてくれました。順一も、明人も……。責任を感じる必要は無い、と言ってくれました。でも、今のような言葉は初めてです。少しだけ、心が軽くなりました」
聖の表情が和らいでいくのを見ているうち、瑞紀も心が温まるのを感じた。
「そうですよ! 聖さんは、幸せになるべきです。きっと天国の忍さんも、喜んでくれるはずですよ。聖さんのことを思っている人たちだって、そうです。順一さんも……」
『聖の凍った心を溶かせる気がする』という彼の台詞がよみがえり、瑞紀はふと口走っていた。だが聖は、やや怪訝そうな顔をした。
「順一が、どうしました?」
「……あ、いえ。弟さんなら、きっとそう思ってらっしゃるかと」
こっそり会ったとは言い出せず、瑞紀は慌てて誤魔化した。さりげなく聖の手を放すと、食べ終えた食器を持ち、立ち上がる。
「食事、ありがとうございました。とても美味しかったです」
「片付けなら、気にしないで。それより、飲み物は? お酒もありますが」
聖は、瑞紀の手から食器を取り上げた。手伝わせるつもりは無いようだ。
「そうですね……」
キッチンへと向かう聖の背中を見つめながら、瑞紀は思案した。これから言おうとしている台詞を吐くには、アルコールの助けが必要と思われた。それも、存分に酔えるほどの。
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