第二章 俳優への一歩

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「瑞紀さん?」 「あ、ああ。まあ、夢見たこともありましたけど。若気の至りですよ」  聖の呼びかけに我に返った瑞紀は、慌てて答えた。もうこの話題は打ち切ろうとしたが、聖は思いがけないことを言い出すではないか。 「若気の至り、ですかねえ。瑞紀さんには、十分才能がありそうですけど。今からでも、チャレンジなさっては?」 「まさか。僕はもう、二十五ですよ?」  冗談を言っているのかと思ったが、聖の表情は意外にも真剣だった。  「遅咲きの俳優なんて、いくらでもいるじゃないですか。そりゃ、教師のお仕事を続けたいあなたには、余計なことかもしれませんが。ただ、少しでも気持ちがあるなら、僕は瑞紀さんを応援したいんです。何なら、紹介しますよ? 大手養成所に、ツテもあります」  そう言って聖が告げたのは、大物俳優を何人も輩出している有名なスクールだった。聖は、その社長と面識があるのだと言う。 (さすが、小田桐ホールディングスの御曹司。人脈も、普通じゃねえな)  感心はしたものの、まさかイエスとは言えない。もう、夢見る年頃は終わったのだ。瑞紀は、丁重にかぶりを振った。 「ご厚意はありがたいですが、やはり僕は教師を続けたいので」 「そうですか」  聖は、静かにうなずいた。 「ですが、お気が変わられたら、いつでも仰ってくださいね。追いたい夢があるなら諦めるべきではないと、僕は思っているんです。後悔しないためにね。人生が終わってからでは、遅いですから」  瑞紀は、思わず聖の顔を見つめていた。普段の瑞紀なら、何を陳腐な、と腹の中で笑い飛ばしていただろう。だがそう言い捨てるには、彼の口調はあまりにも重々しかったのだ。  聖と別れてアパートへ帰ると、郵便受けに一枚の葉書が入っていた。差出人を見て、瑞紀は思わず眉をひそめた。  叔母だったのだ。就職した会社が倒産して以来、彼女はたびたび電話をかけてくる。心配してくれているのはわかっているが、瑞紀は毎度憂鬱な気分になった。二言目には、『うちへ戻って来たら?』と言い出すからだ。大学卒業後、就職してからも、壮介は相変わらず実家に住んでいる。またあの悪夢が繰り返されるのは、ごめんだった。 (しっかし、葉書を書いてくるなんて、珍しいな)    いつもは、電話で連絡して来るというのに。何かあったのだろうか。部屋に入って文面を読んだ瑞紀は、自分の予感が当たったことを悟った。葉書には、こう書かれていたのだ。 『友介(ゆうすけ)さん、悪性の腫瘍が見つかったの。今は入院していて……』 「マジか」  瑞紀は、思わずつぶやいていた。叔母の夫だ。彼が、癌だというのか。 (見舞い、行くか)  瑞紀はうなずいていた。壮介と鉢合わせたら嫌だが、この際そんなことは言っていられない。この義理の叔父は、瑞紀にたいそうよくしてくれたのだ。壮介の所業にこそ気付かなかったが、彼は瑞紀を、まるで実の息子のように可愛がってくれた。何より、高校三年間衣食住を世話になった恩を、瑞紀は忘れていない。 瑞紀はスマホを取り出すと、書かれている病院名を検索し始めた。
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