3.過去のできごと

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3.過去のできごと

山手線に乗り東京駅まで移動する。丸の内の改札を抜け、整備された通りを歩く。平日の午前中、街路樹が綺麗に手入れされている街並みを、颯爽とサラリーマン街が歩いていた。来年には場所は違えど、あんな感じに自分も東京にいるのか。しばらく私は仕事のことが頭に浮かび、隣にいた天馬が浮かない顔をしている事に気がつくのが遅くなった。何も話さない天馬にようやく違和感を覚え、顔を覗き込んだ。どうしたんだろうか。 「天馬? 具合悪いのかい?」 浮かないと言うか居心地の悪そうな表情。近くにあるカフェへ移動し腰を落ち着かせる事にした。グリーンに囲まれた店内は木の香りがする。オーダーを済ませ、天馬に話しかけた。 「大丈夫?」 「うん、ごめんなさい」 「何があったの」 目の前に出されたレモン水を一口飲むと、天馬は言いにくそうに口を開いた。 「昔のこと、思い出したんだ。情けない話だけど聞いてもらえる?」 その言葉に私は頷いた。 いまから数年前。天馬は大学四年だった。就職活動をしていた彼は、無事希望する企業の内定をもらった。新しい生活の準備を進めているとき、内定者のオリエンテーションがあった。場所はここの近くにあるオフィス。他の内定者数名と顔を合わせ、オリエンテーションを終えた時、採用担当者から個別に声を掛けられた。 二人で食事に行かないかと誘われたのだ。何故二人なのかと思いつつも、断ることはできずに彼の誘いにのった。食事を終え、移動しようとした時、彼は過度に天馬に触れてきた。手を握ったり、肩を抱いたり。しまいには腰を手で引き寄せられ、身体を密着させるようなことまで。天馬は慌てて離れるが彼は『その先』も望んだ。断れるのか? と少しの脅迫めいた言葉に天馬は恐ろしくなりその場から逃げた。 そして一週間、天満の元に届いたものは『内定取消通知』だった。再編に伴う、整理解雇のためと記載されていたという。 だがのちに内定取消通知が届いたのは天馬だけだと判明。しかも天馬の方から内定辞退してきたことになっていると風の噂で聞いた。あのとき誘いを拒絶した採用担当者の愚行であることは明白だった。 そして天馬は失望し、それから就職活動はおろか働くことがままならなくなったのだという。 私はこの話を聞いて心の底から怒りが湧いてきて、わなわなと手が震えてきた。 「天馬、何故君が我慢する必要があったんだ。事実をその企業に訴えるべきだったろう」 「セクハラまがいのことをされた人間がいる会社に就職しようなんて、思わなかったんだ。戦う気力もなかったし何より人間不信になってね」 今の穏やかな天馬からは想像できない。しかし罰せられるのはその採用担当者であり、天馬には何の落ち度もない。ひとりのビジネスマンの未来をへし折った罪は重いのに。
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