第五章

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第五章

「ねえ、フミくんにはいい人はいないのかしら」  いつものように出張帰りにやって来たフミくんと共に夕食をとり、遅い時間に彼が帰ったあとだった。その日のフミくんは、ひとつの現場が順調に終わったことに安堵していたのか、いつもよりよく食べ、よく飲み、よく笑っていた。彼が帰ったあと洗い物を済ませた綾美は、何かを思い出したように微笑みながらそんな言葉を発した。 「なぜ?」  私の口から出た咄嗟の返答は、自分でも気づくほどに強い響きを持ってしまった。綾美は私の言葉の強さに少し驚いたように思う。けれど「だって……」と、話しを続ける。 「あんなに素敵で魅力的なんだもの。なんだか今日は特に楽しそうだったし……」  私の前にコーヒーカップを置いて、彼女はソファーの隣りに座る。テレビ画面には一日の最後のスポーツニュースが流れている。  綾美が自分のために持ってきたコーヒーカップのコーヒーをふうふうと吹いているのを見ながら冷静さを取り戻してくる。  何か続きがあるような「……だったし」という言葉で途切れた綾美の話の続きを待っていたわけではない。綾美が置いたコーヒーカップの湯気の向こうに私が見ていたのは、久しく忘れていたあの頃のクラスメイトのポニーテール。フミくんが「人生で初めて付き合った女子」の姿だ。湯気の向こうに浮かんで見えた彼女は後ろ姿だった。  彼女を見るときは、いつも後ろ姿だった。そしてその隣りにはフミくんがいた。  一週間のうち何日かはフミくんは彼女と校門を出て行った。サッカー部の練習が終わる時間に合わせて毎日図書室で勉強をしていた私は、フミくんが一人で校門を出る日だけ彼に追いつくように歩き、彼の隣りにポニーテールがある日は、距離を保って気づかれないように後方を歩いた。  少し離れていたフミくんとポニーテールの間隔は数日ごとに近づいていった。離れた私の視線の先まで夕陽で延びた二人の影が届きそうになる度に、心のどこかが痛かった。  西陽を受けて長く伸びる二人の影がほとんどひとつに重なった頃、私は図書室でフミくんを待つことを止めた。  
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