第五章

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 思えば私が高校生の頃にフミくんに対して抱いていた感覚を、日々のなかで思い出し考えるようになったのは、あの綾美の言葉を聞いた夜からだった。  綾美は複雑さを拭えない私の心に気づかず、あれから何度も「フミくんの伴侶」の話を繰り返していた。  綾美だってフミくんに幸せになってほしいと思っていたに違いない。彼女のなかで、天涯孤独になったフミくんが家庭を持つことは、彼にとっての幸せだと信じていたのかもしれない。「経理の○○さんはどうだろう」「秘書室の○○さんはフミくんの隣りに立ったら素敵だと思う」  綾美はなぜか私と二人になるとそんなことをよく言っていた。そしてある夜、満を持したようにフミくんに恋愛の話を振ったのだ。 「フミくんは今、お付き合いをしている人はいるの?」  不器用に、唐突に発せられた言葉に、フミくんは目を丸くした。 「唐突だね。今はいませんよ」  私はというとその言葉に、安堵と共に過去にはいたという事実に苛まれた一瞬だった。  あのポニーテールの彼女とは卒業前に別れたはずだ。もちろんフミくんほどの男がポニーテールだけということはありはしない。 「今は仕事だけでいっぱいいっぱいだしね、それに君たちのように、ぴったりと合った相手にはなかなか巡り会わないさ」  フミくんは綾美が注いだビールを飲み干すと小さく微笑んだ。 「あら……、私たちのことそんな風に思ってくれて嬉しいね」   少し頬を染めて私を見た綾美に、静かに微笑んでみせる。 「本当に博は羨ましいよ、俺が持っていないものをたくさん持っている」  そう言ったフミくんに軽く小突かれながら、「そんなことないよ」と答えるのが精一杯だった。  確かに私は恵まれていると思う。仕事も生まれ育った環境も申し分ないだろう。そして常に寄り添ってくれる優しく可愛い妻。けれど私の心にはもうひとつの恵まれた要素があった。こうしてフミくんが今、こんなに近くにいてくれること。それは決して声にはできない要素だと思った。  だが、いずれ右腕になってくれるだろう親友が側にいることは、声にできないようなことではないはずだ。『声にはできない』そう感じたことこそが、私が彼を『親友』という視点でだけ見ているのではないということだ。  そのときに痛感してしまった。私はわかっていたのだ。気づかないふりをしていただけで、本当は自分でもしっかりわかっていたのだ。フミくんに世間で言う恋愛感情を抱き続けてきたことを。  繭を纏わせていた私の想いに、私自身がはっきりと気づいてしまった。
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