第六章

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 東口改札の壁際にフミくんは立っていた。駅に向かって横断歩道を渡ってくる人並みの方は見ようともせずに、ぼんやりと空を見ている彼にすぐには声がかけられない。その姿を見ているひとときで、仕事で感じていた緊張が溶ける、そして新たな緊張感が顔を出していた。  ふと壁に凭れたフミくんの姿にまた昔のことを思い出した。フミくんはいつも誰かから声をかけられていた。  あの頃の転校生には二種類あったと思う。誰もが遠巻きに様子を伺ってしまうタイプと、物珍しさも加わってクラスメイトが群がっていくタイプ。フミくんは後者だった。わいわいと皆が彼の席のあたりに集まった。一時間目が終わったらまた別の顔、昼休みにはまた別の顔。そして私はどの時間にも近づけなかった。数少ない私の友人達も皆に遅れて、だがその日のうちに彼に話しかけていた。 「気さくな奴だったよ」  そんななかの一人が私に教えてくれても、時を逃してしまった私は彼に話しかけることができなかった。女子達がどうだったのかはわからないが、クラスのほとんどが彼と話したあとは他のクラスから。同じクラスにいながら彼と話せていなかったのは私だけのような気がしたが別段気にもしなかった。  そんな幾日かが過ぎたあと、彼の方から私に話しかけてくれたのだ。思えばフミくんから能動的に話しかけたのはクラスの中で私だけだったのではないか。それは「午後は体育だよね?」という何でもない誰でもいい一言だったけれど。  フミくんがポニーテールの彼女と付き合うことになったのも、確か彼女から告白されてだ。彼からではない。  あの頃の私は、何となくフミくん自ら私のことを選んでくれたように感じていたのだ。綾美にも言われたことがあったように、それは少し誇らしかった。  彼の姿をほんの十数秒見つめていた私に、またフミくんから気がついてくれる。自分の存在を離れた場所にいる私に知らせるように軽く手を上げたフミくんに頷いてみせた。 「あまりこういう店は来ないだろ?」  そう言いながらフミくんに連れて行かれた居酒屋『膳』は、入社して間もない頃はよく同期と行った店だ。けれど結婚してからは遠ざかっている。 「独身時代に来たことがあるよ」  答えて入った店内は昔と変わらず、ネクタイを緩めたサラリーマンがジョッキを傾けている。社の人間が居ないかと思って見回したが、もう若い層はわからない。 「奥の個室を予約してある」  私の様子から私の気持ちを汲み取ったように言って、フミくんは店員に話しかけ個室のある奥へと細い通路を進んだ。
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