第六章

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 ゲソ天を頼んでしまうとフミくんはどこか手持ち無沙汰な風だった。半分ほどになったジョッキを触りながら、口に運ぼうとはしない。彼がそれほど酒に強くないことは知っていたし、ビールよりもウイスキーが好きなことも知っていた。このままだと彼がトイレに立つような気がする。生理現象なら仕方がないがそうではない。きっと話すかどうかを迷っている。  なぜ? 私はジョッキに手をかけビールを飲んだ。そしてテーブルに戻す勢いを借りながら、核心へと誘う質問をする決心をした。 「フミくん……なぜ結婚をしないと決めてるんだい?」  自分の体のなかで鼓動が聞こえる。それを表に出さないように精一杯何気なく言葉にした。  フミくんがぴくりと動いたような気がする。その直後、彼の肩から力が抜けるのがわかった、まるで降参するように。そしてゆっくりと顔を上げると、ジョッキを両手で包んで持ちながらようやく私の方を見て口を開いた。 「俺が転校してきた理由は知ってるよな」 「ああ」 「親父が死んだことが一番大きなきっかけだ。親父は結構長い間、体調を崩し続けていたんだ」  そのことは知らなかった。 「俺がまだ小一の頃かな、結構大きな病が見つかって手術をした。その後もなかなか快復しなくてさ、入退院を繰り返していたんだ」  そこまで言ってフミくんはビールを飲む。私は彼が話し終わるまで、ゲソ天が運ばれてこないことを祈りながら、ジョッキがテーブルに置かれるのを待った。  『膳』は小さな居酒屋だが優秀な店だ。客を待たせない。しかしこの時は、その優秀さが邪魔だと思った。ゲソ天はフミくんがジョッキを離す前に運ばれてきてしまった。 「ゲソ天来たぞ。ほんとこの店は早いんだ」  そう言って箸を持ったフミくんに、意を決して声をかけた。 「フミくん、俺はちゃんと聞きたいよ。君が何か迷っていることはわかるけれど、やっぱりちゃんと聞きたい」  言い終わってからもジョッキは持たなかった。ただ箸を持って話し続けることを迷っている彼を見つめた。  フミくんは小さな溜息をひとつ吐いてから、箸を置く。そしてまた徐に話し始める。 「今から話すことは、あくまでも俺の考えであってそれを誰かにわかってほしいわけじゃないし、結婚ってものを否定する気もないんだ。俺の……感覚的なこと。だから博たちの結婚生活を疑うものでも否定することでもない。そこはわかってほしい。幸せな家族を見て、俺が心を痛めることもない。お前たち夫婦と過ごす時間が俺にとって幸せな時間であることは真実なんだ。俺はそれを無くしたくないと思っている、願っている。博とあやちゃんは、俺に残された幸せの大切なひとつだと思ってるんだ。それをわかってほしい。わかってくれると約束してから聞いてほしい」  ジョッキを持たずに両手を腿に置いてそう言ったフミくんは、決心を固めたように私の方を真っ直ぐに見た。 「約束するよ」  フミくんが何を不安に思っているのかわからないままに返答した。フミくんが「約束してほしい」と言うのなら、私に迷うという選択はない。
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