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私の言葉を聞いてフミくんは安心したようにフッと声を漏らして笑った。
「安心したよ。お前は嘘つかないしな」
それはフミくんに対しても世間に対しても大嘘をつき続けている私の耳には痛いひと言だが、私は曖昧に頷いた。フミくんは口元に薄く一瞬笑窪を浮かべて、また話し始めてくれた。
「俺んちはあの頃の博の家のリビングと玄関にすっぽりと収まるほどの小さな借家だった。親父が手術後に元の仕事に戻ることが難しくなってから、俺たちは親父の故郷でそんな家に住んでいたんだ。近所には親父の親族もいたからな。親父は病院に通いながら家にいたり、親族の店を手伝ったりしていたけれど、家計を支えていたのはお袋だったと思う。親父の世話をしながら、家事をしながら、昼はパートで働いて夜は内職をしていた。そして俺の面倒もみてくれていた」
フミくんの父親が亡くなり、それを機に越して来たことは知っていたけれど、それ以前のことについては、私から尋ねたことも彼から聞いたこともなかった。彼にとって厳しい少年時代だったろうと思う。しかし体力的に一番きつかったのは彼の母で、精神的に一番きつかったのは彼の父かもしれない。
私は黙ったまま、彼の話の続きを待ちながら、煙草が吸いたいと思っていた。こんな風に手も心もどこに置けばいいのかわからないときに、喫煙者は煙草を咥えるのかもしれない。
「親父が何度目かの入院をしたある夜だった。夜中にトイレに起きたときに、テレビのある部屋に灯りが点いているのに気づいてドアの隙間から中を覗いたんだ。そこでは灯りの下でお袋が内職をしていた。小さな動物の形の消しゴムを飾り箱に並べる内職でさ、俺も遊び半分で手伝ったことがあったんだ。きっとほとんど金にならないよな。でもゼロではない。もしかしたら俺の給食費くらいにはなっていたのかもしれない」
それまでの人生で、私は自分の給食費のことを考えたことはなかった。そういうものがあったことすら意識したことはない。中学からは弁当になったから、給食費が必要だったのは十二歳くらいまでだ。フミくんはそれを意識しなければならない子供時代を送っていたということなのだろう。
私たちがその歳の頃は、日本は高度経済成長期の真っ只中だった。仕事はいくらでもあっただろう。しかしそれは健康な人に限ってのことだ。
「親父もお袋も、もっと親族を頼れるものだと思っていたんだろうな。でも案外冷たかったのかもしれないな、あの頃のお袋の様子を思い出すとさ。現に親父が死んですぐに俺とお袋はあの地を離れた。そして戻ることはなかったんだからね。でも子供だった俺は何もわかっていなかったんだ。お袋も親父も俺の前では泣き言なんか言わなかったしな。だからあの夜まで俺はお袋の気持ちを考えたこともなかったよ。ちゃんと子供だった」
言葉を切ったフミくんの、最後のひと言が引っかかっている。その夜から彼は「ちゃんと子供」ではいられなくなったということなのか。
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